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2018年1月

2018年1月29日 (月)

使われたカネは消えない

食料品やガソリンなどの値上がりのせいか、国内消費がどうもパッとしない。
そして、“消費を盛り上げる方法はないか”という議論になると、真っ先に出てくるのは、「規制緩和や構造改革を断行し、凍りついた1800兆円の個人金融資産をフローに廻せ」という改革論で、その次が、「社会保障を削って、社保制度に対する国民の不信感を払拭しろ」といった緊縮論と相場が決まっている。

改革論や緊縮論しか言わぬ論者は、「消費=カネ(主に所得)を使ってモノやサービスを購入すること=生産したモノやサービスにカネという対価が支払われ収益になること」という単純な構図を理解していない。

消費に強い影響を与えるのは「現実の所得(フロー)の多寡」と「将来にわたる所得逓増への確信」、つまり、いま所持している財布・貯蓄の中身と、来月以降も給料が増え続けるという強い期待であり、規制緩和や財政赤字云々なんて、ほとんど関係ない。(というか、まったく関係ない)

財布に2千円しか入っていないのに、“年金支給が70歳からに引き上げられたのか… よしっ! これで日本の年金制度は100年大丈夫。今夜はパーッと飲みに行くか!”と散在するバカが、いったいどこの世界にいるのか?

だが、今回は、改革・緊縮論に浸るバカコンビではなく、莫大な個人金融資産の一部をフローに廻せという改革論に噛みつき、「ストックはフローには絶対に廻らない」と言い張る稀代の珍説・奇説を採り上げてみたい。

ストック&フロー断絶説を本気で信じるネジの緩い変わり者は、「ストックとは貯蓄ではない。金融資産のうち既に「融資された額=結果」だ、あるいは、既に世の中にある「土地・建物・道路・空港・港湾設備…といった使われた総額」だから、フローにはなり得ない」と自信ありげに断言する。

奸物が、小学生にもバカにされそうな珍説を吐く意図は、「ストックを刺激してもフローは増えない→フローを増やす手段はない→経済成長なんて諦めろ→日本経済の弱体化」にある。

一般的には、「フロー=所得(収入)、ストック=貯蓄・資産」という理解が浸透しており、ストックの定義を、無理やり、融資や実物資産(国富)に限定する意味はない。
珍説論者は、持説を吹聴したいがために、都合よく仮定を捻じ曲げているに過ぎない。

珍説論者は、「ストック=貯蓄ではない。既に融資したカネだから、そのカネはもう貸せない」と暴論を吐く。

彼は、銀行が国民から預かり企業に融資したカネ、あるいは、国民が株を買ったカネは、どこかに消えて別管理され、二度とシャバには出てこれないと妄想しているようだ。

銀行が預かったカネのほとんどは融資に廻り、仮に融資されずに余ったカネは、国債や株・外債などの債券に変身してしまうから、もう使えないはずだ。
さらに、「土地・建物・道路・空港・港湾設備などの国富」の購入に使われたカネも、二度とフローには使えない、と言いたいのだろう。

この手の妄想を本気で信じるバカの頭の中には、使われたカネだけを集めて一気に焼却する“巨大なゴミ箱”があるに違いない。(呆呆呆…)

実体経済下には、「カネを使う者」の反対側に、必ず「カネを受け取る者」が存在するから、融資されたカネであれ、株を買ったカネであれ、カネが消失することはない。

Aがカネを使いBから株を買えば、カネがAの預金口座からBの預金口座へ移動するだけで、カネそのものは無くならずに、日本中にある金融機関の口座の中を動き回るだけのことだ。

第一、融資されたカネが二度と使えないとしたら、信用創造機能はストップし、金融機関はとうの昔にこの世から消えているはずだ。

金融機関は預かった以上のカネを貸し出せないと言い張るなんて、シロウト未満の杜撰さで呆れ果てる。
いまでこそ預貸率(融資総額/預金総額)が100%を下回る金融機関が多いが、高度成長期やバブル期は100%を超える(バブル期には120%超えも…)オーバーローン状態が当たり前だったことを思い出せばよい。

これは、不動産や道路、空港などのインフラでも同じで、珍説論者は、「カネを使って建設された道路は、もはや換金できず、カネではないから、フローに使えないはず」と言いたいのだろう。

だが、道路を建設した時点で、建設資金は “土木工事売上というカネ” に変化して建設業者の預金口座に移動するから、別の用途で消費や投資・融資に使える、つまり、いくらでもフローに化けることができるわけだ。

さらに、不動産や有価証券といったストックを担保に融資するのも当たり前に行われてきたのだから、ストックがフローに一切廻らないなんて、「一度降った雨は地球上から消え去り、再び降雨をもたらさない」とドヤ顔で騙るくらい恥ずかしい。

彼みたいに、カネの動きを片務的視点(行ったきりの片道切符)でしか理解できないと、こうした基本的ミスを犯し、世に大恥を晒すことになる。

そもそも、ストックがフローに廻らぬとしたら、この世にストック(資産)を貯め込む者なんて誰もいないはずなのだが…

日本人にカネを使わせろ!

『17年の訪日客消費額、4兆4161億円 過去最高を更新』(1/16 日経新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL16HPG_W8A110C1000000/

「観光庁が16日発表した訪日外国人消費動向調査によると、2017年累計の訪日客による旅行消費総額(速報)は4兆4161億円と16年(3兆7476億円)に比べて17.8%増加した。初の4兆円超えとなり、通年ベースでの過去最高を更新した。
 国・地域別では、中国が消費額全体の38.4%を占め最大だった。中国の消費額は14.9%増の1兆6946億円。次いで台湾が9.5%増の5744億円だった。
 訪日外国人の1人当たり消費額は1.3%減の15万3921円だった。中国人の1人当たり消費額は0.5%減の23万382円だった。(略)」

インバウンドの増加は、斜陽化した百貨店やホテル産業にとって、まさに干天の慈雨といってよく、日本百貨店協会によると、国内百貨店の昨年1 月~11 月までの免税売上は約 2,425 億円(前年同月比 146.5%)と大きく伸びており、消費底割れを防ぐ防波堤になっている。

また、観光業界でも、平成28年の外国人延べ宿泊数は7,088万人泊と、ここ10年間で3.1倍に膨張し、全体の稼働率押し上げに大きく貢献しており、特に、東京・名古屋・京都・大阪・福岡では70%以上の高い稼働率を維持するなど、消費の波及効果もさることながら、ホテルの新設・改修などといった民間投資を後押ししている。

一時の爆買いは鳴りを潜め一人当たりの消費額こそやや減っているが、マスとして捉えたインバウンドの消費力は一定の勢いを維持している。
新たな買い手や需要家の出現は、国内企業の売上・収益向上に資するものだから、報道各社が好意的に採り上げること自体に異存はない。

だが、インバウンド消費という“来訪型の外需”を歓迎するのは良いとして、「インバウンドという援軍のお陰で消費が下げ止まった。さらに国内客を刺激して内需拡大へ反転攻勢を仕掛けよう」という声が、どこからも聞こえてこないのは何故か?

誰もが約4兆円のインバウンド消費力を称え、景気回復の切り札的な役割を期待したがるが、減税や財出などで蛇口をひねれば、その程度の需要原資は簡単に引き出せる。

例えば、消費税を廃止するだけで年間17兆円を超える巨大な需要力が出現するから、国内消費に与えるインパクトの強さは、インバウンド消費の比ではない。
勤労者世帯の平均消費性向は約70%と推計されるから、少なくとも17兆円×0.7≒12兆円くらいの需要拡大効果が見込まれる。

当然、「消費税廃止による減収分をどう補填するのか?」という緊縮バカからの非難も予想されるが、そんなものは国債や紙幣の増発で賄えばよいし、文句があるなら大企業中心に法人税を大幅に引き上げてやってもよかろう。

一国の経済力を高度なレベルで維持更新するために重要なのは、政府の懐(=税収)を肥やすことではなく、経済活動の主力プレーヤーたる民間企業や家計を豊かにし、その財務力や所得水準を上げ続けることである。

実体経済下の資金循環の中心点を民間側に置く、つまり、企業や家計の金回りを良くしておきさえすれば、政府にカネが無くとも何ら問題はない。

政府なんて、政策実行や再配分のために、政策立案→歳入→歳出という過程で一時的にカネを通過させる機関に過ぎないから、税収確保に躍起となり民需を圧迫するようなことがあってはならない。

本来、政府に通貨発行権が与えられているのは、政府の懐具合に関わりなく、実体経済の温度を一定のインフレ率に保ちつつ、民需を刺激できるフリーハンドを確保するためなのだ。

不兌換紙幣に基づく管理通貨制度が整備され、国家の大権たる通貨発行権が用意されたのも、国の借金がどうとか、税収が足りないとか、政府の勝手な都合に民間の経済活動が振り回されぬための周到な配慮であることを忘れてはならない。

民需拡大に資することならば、政府は手段の清濁を一切無視して、大胆かつ積極的な経済政策を選択すべきだ。
インバウンド景気で百貨店や観光業界が救われるのは結構なことだ。
そうした僥倖をさらに増幅させるためにも、大型減税や財出をフル動員して内需を思いきり刺激すればよい。

内需の過熱により、量を捌くことは無論のこと、例えば1泊1万円のホテル代が1.5~2万円の値付けも可能となり、より高額で高付加価値な商品やサービスへシフトする。
そうなれば、人手不足云々の影響(※筆者は本気にしていないが…)を最小限に抑えたまま、企業収益の改善にもつながるだろう。

2018年1月27日 (土)

蛸壺論者は外の空気を吸ってこい!

江戸時代に正徳の治なる緊縮&デフレ政策を断行した新井白石だが、政敵の荻原重秀(元禄の改鋳を主導,後に勘定奉行へ昇進)に異様なまでの私怨を滾らせ、元禄地震や元禄飢饉が起きたのを荻原の貨幣改鋳のせいだと騒ぎ立て、彼の幻覚やポエム満載の「折たく柴の記」に呪詛の言葉を書きなぐっていたらしい。

まさに狂人の所業と言えるが、妬みと怨念まみれのストーカーが後世の教科書に載り、聖人君子の扱いを受けるのだから、世の中とは不思議なものだ。

さて、巷には、嫉妬まみれの儒学者のように、自ブログに妄想を開陳するプロ気取りの経済論者がおり、
①世界中の経済学の教科書を調べても、GDPを増やす方法を解説するものはない

②財政金融政策で総需要を拡大させ、総供給を増やせるなら、政府支出を毎年増やしさえすれば自動的に経済成長が達成できてしまうが、そんなことは絶対にありえない

③GDP(生産量)を増やすには、ヒトや設備の投入量を増やすか、生産性を上げるしかなく、公共投資で生産性が上昇するわけがない
と息巻いている。

経済のプロを騙る割に経済の基本を知らぬ痴れ者は、くだらぬ情念ばかりが溢れ出て、言葉の一つ一つに品性がない。

先ず①について、あまりの大言壮語ぶりを不審に思い、試しに書店で何冊かの経済本を捲ってみると、記述の分量こそ少ないものの、経済成長の手法についてきちんと触れられていた。
(例)マクロ経済学マクロ編/マンキュー、マクロ経済学・入門/福田慎一ほか、マクロ経済学/中村保ほか、経済のことが面白いほどわかる本!/小宮一慶、東大生が書いたやさしい経済の教科書/東京大学赤門Economistなど

経済学の教科書にGDP増加や経済成長の方法を解説するものがないとしたら、それは経済学者の怠慢に過ぎない。
経済用語の解説だけで済まして悦に入っているような役立たずの無責任な蛸壺学者は、早々に学会からお引き取り願いたい。

次に②の「謎の歳出&経済成長の中立命題」だが、これはGDPの基本式すら忘れたバカの戯言だろう。

政府支出を増やした分だけ、それに対応する供給サイドのエネルギーが予算消化に費やされるから、GDPが増えるのは経済の摂理であり、何の不思議もない。

政府が歳出に使う札束をすべて焼却するなら話は別だが、いったん実体経済に放出された支出は民需と化し、嫌でもGDP成長の糧となってしまう。
しかも、乗数効果を伴い投入量より増殖して成長を促すから、かのエセ論者のような妄想家にとっては悪夢だろう。

だいたい、日本のように高度な供給力を有する先進国において、政府支出(政策経費ベース)を拡大させながら、逆に経済を成長させないことの方が遥かに困難だ。
それほど妄想を信じたいなら、試しに政府支出を10年くらい毎年50兆円ずつ増やし、本当に経済成長できぬかどうか確かめてみればよかろう。

OECDや内閣府のデータを拾ってみれば判ることだが、我が国だけでなく世界各国の政府支出の伸びと名目GDPの伸びとは正比例しており、GDP増加額が政府支出増加額の4~5倍に達する例が多い。
こんなことは“常識”の範囲内で、わざわざ数式を持ち出して分析するまでもない。

バカ論者は、総供給は政府支出拡大の影響を受けないと主張するが、建材メーカーや機械メーカー、事務機器メーカーなどどこでもよいから、実際の企業経営者に会い、「政府が来年度予算から向こう5年間、御社の関連業界に毎年10兆円の支出をするそうだが、御社はどうしますか?」と尋ね、「財政政策は総供給に対して中立だから、ウチは静観するよ」と答える感度の悪い経営者を必死に探してみてはどうか?

企業経営者なんて、日ごろは大所高所から「政府は本気で歳出改革に取り組まないとね」なんて偉そうに語るものだが、いざ自分たちの目の前に予算がチラついた途端に目の色を変え、需要獲得に向けた投資に走るものだ。

実際に筆者の支援先にも、役所の無駄遣いをやたらと辛口に批判したがる経営者がいる。
だが、以前に会った時に、彼は、TPP対策の畜産クラスター事業なる補助金が酪農家に大量投下されるとのニュースを聞いた途端、重機を買い込み、オペレーターを雇い入れ、地域の酪農家を大車輪で回り畜舎の改修工事や資料のストックヤード工事を必死に売り込み始めた。
このように、現実はとてもシンプルにエセ論者の大ウソを暴いてくれる。

最後に③の「公共投資の生産性に対する中立命題」という程度の低いアホ論議には、まともに付き合うのも疲れる。

先ず、「GDP(生産量)を増やすには、ヒトや設備の投入量を増やすか、生産性を上げるしかない」と妄想するのは、このエセ論者の“生産”に対する概念が、牛馬で畑を耕していた牧歌的時代から一歩も進歩していない証拠だ。
さらに言うと、“生産性”を時間当たりの生産量・産出量としか理解できない、大量生産・大量消費時代に憧れる憐れな田舎者とも呼べるだろう。

現代における生産性は、生産に投じた諸要素から得られる収益性の高さで評価すべき、つまり、“時間当たり○個作れた”ではなく、“○円の増収・増益につながった”かどうかに着目すべきだ。

彼のように、生産の物量ばかりを気にする論者が相変わらず多いが、そもそも、需要も不確かなのに人や機械を大量投入して、いったい何を作り、誰に売ろうというのか?

生産性を語るなら、製造能力ではなく、需要に裏打ちされた市場でどのくらいの収益を生み出せるかという視点で論じるべきだ。

エセ論者は、公共投資(=インフラ投資)を嫌うあまり、そんなものは生産性に寄与しないと言いたげだが、十分な量の公共投資を民間市場に投じれば、そこに必ず実需が発生する。

しかも、工事単価基準を引き上げて割りの良い仕事を増やしてやれば、それを受注した企業の収益や生産性は間違いなくUPし、さらに長期的投資を保証してやれば、雇用増加や人材投資、設備投資を促す効果も生み出せる。

教室(いまは自宅か?)に引き籠り、妄想のぬるま湯に浸りきっているエセ論者は、どうやら現実を直視するのを怖がっているようだから、リハビリを兼ねて、実業社会の経営者に会い、「公共投資は御社の生産性向上とまったく無関係ですか?」と尋ねてみることをお勧めする。

何なら、建築土木業者、重機販売業者、電気設備業者、アスファルト製造業者、トラック製造業者、工作機械製造業者、運送業者等々、適当な経営者をご紹介してもよいが…

2018年1月25日 (木)

不安を期待に変えるには「おカネ」が必要

今回は、今月11日に公表された日銀の「生活意識に関するアンケート調査」 ( 2017年12月調査)の結果に触れてみたい。
【参照先URL】http://www.boj.or.jp/research/o_survey/data/ishiki1801.pdf

この調査は、1993年以降、三カ月ごとに全国の個人4,000人(満20歳以上)を対象に行われており、拙ブログでもたびたび引用している。

今回の調査結果を見て気になったポイントは、
①景況感が前回比で若干改善しているにも関わらず、暮らし向きや収入、雇用環境に対する見通しが後退していること
②今後の物価についてインフレ見通しを立てながら、支出に対してネガティブな態度を取っていること
の二点だ。

まず、①について、一年前と比べた景況感は、
〈H27/9〉良くなった7.6%、変わらない71.0%、悪くなった21.1%
〈H27/12〉良くなった8.3%、変わらない70.9%、悪くなった20.2%
また、景況感D.I(「良くなった」-「悪くなった」)も、
〈H27/9〉▲13.5→〈H27/12〉▲11.9
さらに、現在の景気水準も、
〈H27/9〉「良い」+「どちらかと言えば良い」12.7%
〈H27/12〉「良い」+「どちらかと言えば良い」15.2%
と、いずれも(ほんのわずかだが…)改善を示している。

こうした景気判断の根拠として、「自分や家族の収入状況」61.4%、「勤め先や自分の店の経営状況」32.5%などの回答が多く、収入や勤務先の収益といった「数字」に裏打ちされたものと言えなくもない。

だが、景気回復を実感しているはずの家計が、どのような消費行動を取ろうとしているのかを確認すると、一気にトーンダウンしてしまうから不思議なものだ。

現在の暮らし向きに関する質問では、
〈H27/9〉ゆとりが出てきた7.3%、どちらとも言えない53.0%、ゆとりがなくなってきた39.2%
〈H27/12〉ゆとりが出てきた6.5%、どちらとも言えない52.4%、ゆとりがなくなってきた40.2%
と、暮らし向きの窮屈感が強まっている。

また、一年後の収入見通しは、
〈H27/9〉増える9.5%、変わらない58.9%、減る30.7%
〈H27/12〉増える9.8%、変わらない57.8%、減る32.0%
と、「減収」見通しが強まっている。

さらに、雇用・処遇に関する不安感について、
〈H27/9〉あまり感じない23.2%、少し感じる50.4%、かなり感じる26.1%
〈H27/12〉あまり感じない19.6%、少し感じる50.4%、かなり感じる30.0%
と、巷間囁かれている人手不足問題を吹き飛ばすほど明確に悪化しており、業務を回す人手が足りないにもかかわらず、既存社員の立場や処遇がぞんざいに扱われている様子が判る。

ここまでの結果をまとめると、緩やかな景況感の回復に反して、家計がポジティブな消費行動を取れないのは、明確な収入見通しが立たないのと、雇用環境に強い不安感を抱いていることが理解できる。

アベノミクスは大成功だと騒ぎ立てる盲目の徒も多い。

しかし、安倍首相の経済運営はと言えば、歴代政権が経済成長を放棄し、悪化するに任せてきたのを最悪の一歩手前で止めたという程度で、不況から反転攻勢し、力強く成長軌道に乗せようとする意志はまったく感じられない。

事実、安倍首相は、経済財政諮問会議の場では「ワイズスペンディング(=歳出削減)」や「社会保障制度改革(=社会保障の切り下げ)」を推し進めるとともに、2014年4月に消費税を8%に引き上げ、2019年10月にも10%への再増税を決断しており、消費の腰をへし折る気マンマンなのだ。

ここ数カ月の日経平均株価上昇や最低賃金引き上げなどを材料に、景気回復の芽を強調する輩もいるが、五年もの歳月を費やした割りに、アベノミクスの成果はあまりにも小さすぎる。

アベノミクスを誇大に評価する連中は、マイナス20℃の厳冬下で外気温が2℃上がったと喜び勇んでTシャツ一枚で外出しようとするキチガイと同じだろう。

現に、本調査の「現在の景況感D.I」や「収入D.I」、「一年後の支出D.I」などの指標を長期で見ても、安倍政権発足後、いずれも一貫して大幅なマイナス値から抜け出せていない。

次に、②のインフレ見通しに対する消費行動について、一年後の物価見通しは、
〈H27/9〉「かなり上がる」+「少し上がる」70.4%
〈H27/12〉「かなり上がる」+「少し上がる」75.6%
と、明確なインフレ見通しを持っており、これは五年後の見通しでも同様だ。

だが、物価上昇に対して「どちらかと言えば困ったことだ」との回答は、同期間で77.8%→80.8%へ増えており、家計が、収入の伸びが期待できぬ状況下でのインフレを迷惑がる様子が覗える。

よって、一年後の支出見通しは、
〈H27/9〉増やす7.5%、変えない49.5%、減らす41.0%
〈H27/12〉増やす7.4%、変えない49.8%、減らす41.8%
と、わずかだが「減らす」という回答割合が増えている。

要は、家計が所得や雇用に強い不安を抱いている経済環境下では、インフレ予想が駆け込み消費を促すことはなく、かえって家計の防衛意識を刺激するだけに終わるということだ。
インフレ予想がもたらすのは「期待」ではなく「不安と節約意識」でしかない。

よって、これ以上、「金融政策+構造改革+緊縮財政」の三点セットを根幹とするアベノミクスを続けても政策効果が出ることはない。
恐らく、重篤→微熱→重篤…を繰り返しながら、徐々に死期へ近づくことになるだろう。

家計が消費にポジティブになり景気過熱の発火点になる工程は、工場の製造ラインと同様に、一見複雑に見えるが、「材料投入→製造加工→検査→出荷」といった川上から川下までの流れと何ら変わらない。

投入される材料(=収入・所得)を増やし、製造加工を効率化(=適切な分配・消費スピードの加速)させ、生産性や付加価値向上(=個人消費の活性化・高付加価値製品購入へのシフト)といった好循環を創りだすことが大切なのだ。

歴代政権やアベノミクスのように、川上工程への材の投入ケチった挙句に、製造工程のメンテナンスも怠り、検査ばかりに目くじらを立てていては、まともな製品が出来上がるはずがない。

家計が自信と確信を以って消費行動に勤しめるよう、大規模な財政政策へと政策の軸足をシフトさせ企業収益を刺激するとともに、減税や社保負担・教育負担の軽減、医療費や水道光熱料金引き下げなどにより、家計の実質所得を増やす努力が必要だ。

家計が何より欲しているのは、「自由に使えるおカネ」なのだから…

2018年1月22日 (月)

改革屋が創る「頑張ったものが報われない社会」

『年頭所感:改革が遅くなるほど、痛みを大きくする』(1/3 アゴラ 自民党衆議院議員 鈴木馨祐)
http://agora-web.jp/archives/2030357.html

巷には不治の改革病を患った連中が多いのは既知のことだが、経済事象をこれほどまで真逆に勘違いしたコラムも珍しい。

鈴木氏は、「今年は明治維新から150年の節目の年です。そして当時に勝るとも劣らない危機に我が国は直面しているといわざるを得ません」と紋切り型に危機感を煽ったうえで、デフレ不況の原因は、将来への期待や経済活動におけるリスクテイクの停滞であると指摘し、不況打破のためには、“より自由でオープンな競争、チャンスが何回でもあるダイナミックな社会、真に頑張ったものが報われる社会への構造改革”が必要だと訴えている。

具体的には、「ベンチャーの起業・スタートアップ、企業の新陳代謝、一度失敗すると岩盤規制にはじかれ再チャレンジが出来ない終身雇用の転換、バラマキによる持続可能でない需要創出主体の景気対策の転換、民間主導の経済成長の徹底」が不可欠で、経済・金融・税財政政策の方向性や霞ヶ関・永田町のあり方自体の大転換を図るべきだとの主張だ。

彼は、政府による規制や税制、行政サービスの肥大化をもたらす「大きな政府」や「優しすぎる政府」は民間活力を喪失させるという事実を過去数十年の失敗から学んできたとも主張する。

さらに、国民皆保険制度や税・社保料負担による医療制度をはじめとする社会保障制度を“共産主義的”と批判し、社保の効率化と抜本的な改革、つまり、社会保障制度の陳腐化と国民負担増を早急に受け容れよと叫んでいる。

ここ20年間というもの、彼が好みそうな「民間主導の経済成長」が一敗地にまみれた最大の原因は、民間部門が、「不況=需要不足」という事実を認めずに財政政策に反対し続けた挙句に、自らは「投資・消費・雇用・育成」という成長要素を放棄し、ひたすら内部留保と役員報酬・株主配当という内向きの分配にばかり執着してきたからだ。

鈴木氏の妄想の中では、「ベンチャー起業の勃興、企業の新陳代謝、終身雇用の崩壊」が足りないと感じているようだが、起業数が少ないから不況なのではなく、不況がアニマルスピリッツを抑制し、起業の邪魔をしているだけのことだ。

バブル期に7%を超えていた開業率も、バブル崩壊以降4~5%を行き来する体たらくで、売上も見込めぬ不況下でわざわざ起業したがる変わり者が減るのは当然だろう。

また、企業の新陳代謝云々と軽口を叩いているが、我が国の企業数は2009年→2014年のたったの5年余りで421万者→382万者へ9.3%も減っており、このペースだと50年後に我が国から企業が消滅してしまうことをご存じないようだ。

現実には新陳代謝どころか、「陳(=古いもの)」の消滅が進むばかりで、このまま雇用の場を減らすに任せてしまうと、彼が理想とする「より自由でオープンな競争、チャンスが何回でもあるダイナミックな社会、真に頑張ったものが報われる社会」なんて端から実現不可能になる。

鈴木氏みたいにリアルな社会経験や就業経験に乏しい輩は、企業活動のダイナミズムを生み出す源泉が何か、という点に対する考察が極めて幼稚だ。

「ヒト・モノ・カネ・情報」は企業経営の根幹を成す四要素だと言われるが、ヒトにしろ、モノにしろ、情報にしろ、それらを手に入れて活用し、収益を得るに至るには、とにかく「カネ」が要る。

カネが無ければ、どんなに優れたアイディアや技術を有していても、企業が成長することはない。

需要家がもたらすカネが企業活動のエネルギーとなって、売上→所得分配→収益→投資という経済循環を生み出し、起業促進・雇用の安定・自由でオープンな競争・ダイナミズムに溢れた社会をもたらすことを忘れてはならない。

不況下で少ない需要の奪い合いを余儀なくされる現状こそ、不断の努力が踏みにじられ、本来得るべき付加価値を不当に減じられてしまう「頑張ったものが報われない不幸な社会」であり、鈴木氏の発想は因果関係がまったく逆なのだ。

“自由競争を謳歌できる社会、挽回のチャンスに溢れた社会、頑張ったものが報われる社会”、これらは、鈴木氏が忌み嫌う「大きな政府」や「優しすぎる政府」が大手を振って跋扈した高度成長期やバブル期にしか実現できぬものであり、バラマキを否定し、社保の劣化・国民負担増の押し付けは、国民の消費・投資意欲の低下をもたらし、巡り巡って企業活動の萎縮を招くだけに終わる。

改革という言葉に酔いしれるだけの中学生に、経済の理をいくら解いても無駄かもしれないが、一つだけ確かなのは、需要力に裏打ちされぬ経済下で行う改革など、国民生活の窮乏を招き、社会基盤を壊すだけの毒薬にしかならぬということだ。

2018年1月19日 (金)

根回しもできぬクズ、それに期待するバカ

『統一会派、わずか2日で破談=民・希双方にダメージ』(1/18 時事通信)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011701228&g=pol
「民進、希望両党の執行部がもくろんだ統一会派構想は17日、正式合意からわずか2日後に破談となった。安全保障関連法や憲法改正といった根幹政策の違いを棚上げして進めようとしたことに対し、双方の党内で強い反発を招いたためだ。
野党勢力の結集に向けた動きは仕切り直しを余儀なくされたが、展望は開けそうになく、22日召集の通常国会を前に、両党にダメージを残した。(略)」

トップ同士の正式合意が、いとも簡単にひっくり返されるのだから、野党の結束力のなさには呆れ返るばかりだ。
まさに、制御不能の幼稚園児といったところか…

民進・希望・立民の所属議員の多くは、元々旧民主党出身にもかかわらず、土壇場のどんでん返しで醜態を晒すありさまだから、何もコメントする気になれない。

挙句の果てに、希望の党の玉木代表は、この期に及んで“分党”を提案し、再分裂の火種を撒き散らす体たらくだ。

やはり、新自由主義者と緊縮主義者の醜悪な集合体である旧民主党の連中(※自民党も同じだけど…)は、何をやらせても幼稚で大人げない。

巷にはアベノミクスを礼賛する声も多いが、その実態は「壮大なる現状維持経済」と「移民&過当競争推進による社会基盤の破壊」でしかなく、野党サイドには経済成長や富の分配、社会福祉制度の充実といった切り口で攻めるチャンスはいくらでもあった。

しかし、結果は見てのとおりで、野党の連中は、時に与党を凌駕するほどの緊縮策や不況容認とも受け取れる消極策ばかりを採り、安倍政権や与党の延命をアシストし続けてきたではないか。
彼らは真の野党ではなく、「自民党の党内野党」に過ぎない。

ネットには、「機能的財政路拡大のためには、野党議員を動かせ! 政治は結果! 野党議員こそインフルエンサーに相応しい!!と息巻いていたお坊ちゃん(※しかも、自分では何も行動せず…)もいたが、社会人として基本中の基本である「根回し」や「報連相」レベルの動きすら取れない園児たちに、いったい何を期待するつもりか??

新社会人未満のバカ議員に機能的財政論を説くなど、野良狗に英会話を教えるようなもので時間の無駄にしかなるまい。

さて、根回しや報連相不足と言えば、このニュースだろう。

『年金受給、70歳超も選択肢=高齢社会対策大綱案-政府』(1/18 時事通信)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011700428&g=soc
「政府が中長期的な高齢者施策の指針とする「高齢社会対策大綱」の改定案で、公的年金の支給開始年齢を70歳を超えても選べる制度を盛り込んだことが17日、分かった。高齢者の就業を促すとともに、年金財政の安定につなげることが狙い。(略)
 大綱改定案は、65歳以上を一律に「高齢者」として扱うことはもはや現実的ではないと指摘。全ての人が意欲や能力に応じて活躍できる社会を目指すとした。(略)」

政府・与党の連中は、国民に何の根回しも相談もなく、年金受給開始年齢を勝手に引き上げようとしている。

一年ほど前に、日本老年医学会が高齢者の定義を65歳から75歳に変更してはと提言した際に、年金受給開始を遅らせるための世論喚起だと批判を受け、政府は火消しに走ったことがあったが、やはり、あの提言は年金受給条件改悪のための露払い役だったようだ。

政府は、受給年齢引き上げが高齢者の就業を促し、人手不足解消に役立つとの論建てだが、そんなものは年金支給をケチりたいだけで何の論拠のない詭弁にすぎない。

ワーカホリックで生涯現役を美談にしたがる日本人のことだから、70歳への引き上げにも唯々諾々と従い、せいぜい、「議員歳費と公務員の人件費を削れ」、「無駄な公共事業を止めろ」と愚痴るだけだろう。

しかし、高齢者の就業と年金受給条件の劣化は、本来、二者択一の選択に付されるべきものではない。

高齢者に働いてもらいたいなら、働き口の斡旋システムを充実させればよいだけのことで、年金受給を遅らせる言い訳にはならない。

60歳を超えても現場で働き、そこで得た収入と年金収入とを合わせた豊かな所得を原資に、より高付加価値な消費をすればよかろう。

その方が、需要不足(=消費者不足)に悩む各企業にとっても大きなメリットがあるし、使える所得が増える国民サイドにとって願ってもないことだ。

政府の改正案では、受給開始年齢を70歳まで遅らせた場合に、受給額の上乗せを図る方針とのことだが、こんな朝三暮四レベルのせこいまやかしで国民の年金不安を増幅させるのは、社会保障制度に対する将来不安を煽り、消費にブレーキを掛けるマイナス効果しか生まない。

このままでは、年金受給開始年齢は65歳→70歳→75歳へと徐々に引き上げられるだけで、朝三暮四どころか“朝三暮二”レベルの詐欺行為だ。

国民は、こうした詐欺行為が何の相談もなく、後出しじゃんけんで堂々と論じられることに対して猛烈に罵倒すべきだが、緊縮と忍耐が大好きな日本人には、何を言っても無駄なのか…

2018年1月18日 (木)

家計簿言論人

『消費者心理、4カ月ぶり悪化 野菜値上がり影響 29年12月消費動向調査』(1/9 産経新聞)
http://www.sankei.com/economy/news/180109/ecn1801090037-n1.html

「内閣府が9日発表した平成29年12月の消費動向調査によると、消費者心理を示す消費者態度指数(2人以上世帯、季節調整済み)は前月比0・2ポイント低下の44・7となり、4カ月ぶりに悪化した。台風などの天候要因でレタスをはじめ野菜が値上がりしたことなどが悪影響を及ぼした。もっとも、より長い期間でみた改善傾向は変わらず、内閣府は基調判断を「持ち直している」で据え置いた。(略)」

世間にはアベノミクスが大成功を収めたと大騒ぎする盲目の徒もいるが、ボーナス月の12月調査にもかかわらず、なぜか消費者心理が冴えない。
消費者態度指数は、昨年9~11月の3か月間連続で前月比プラス(といっても、43.3→44.9に微増しただけ…)を記録したが、肝心のボーナス月に再度マイナス化してしまった。

この消費者態度を長期トレンドで俯瞰すると、平成26年3月調査以降なだらかに改善しつつあるものの、指数値は30台後半から45を切る程度と非常に低調で、悪いなりに45~50辺りをウロチョロしていた平成16~18年期と比べて絶対値があまりにも低すぎる。

ちなみに、指数値50は、「暮らし向き」「収入の増え方」「雇用環境」「耐久消費財の買い時判断」の4項目をそれぞれ5段階評価し、すべての項目で「変わらない」と答えた場合の値だから、それを大きく下回る現状を好況呼ばわりするのは、単なるデマかバカでしかない。
【参照先】http://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/shouhi/this_year/201712shouhi.html#bukka

また、今回の調査では、1年後の物価見通しは「上昇する」と回答した割合が80%で前月より1.4ポイントアップし、五カ月連続で前月比増となったが、自己啓発や外食などへのサービス支出DIは、ここ3年ほどの間、平成市営30年1~3月期の「コンサート等の入場料(+1.2)」を除き(安室奈美恵効果か?)、すべてマイナス値のまま、つまり、支出を今より減らそうとしている人の割合の方が多いのが実状だ。

リフレ派が吹聴する金融緩和政策万能主義によれば、物価上昇予想は家計の消費を促すはずだが、人々はインフレ予想に背中を押されて消費に走るどころか、ますます消費にネガティブになり、財布の紐をきつく締め上げ、専守防衛態勢を選択している。

仮に、財布や通帳がおカネで満たされ所得も安定した状態なら、家計はインフレ予想に敏感に反応して高くなる前に消費に勤しむだろうが、フローもストックもボロボロの状態では、インフレ予想は消費に対するモチベーションには成り得ず、単に生活を脅かす不安要素でしかない。

5年もの歳月を費やしたアベノミクスの成果といえば、精々現状維持がいいところで、別に大したものではない。
しかも、来年秋には消費税率の再引き上げが迫っており、GDPの根幹を成す個人消費者の先行きは非常にネガティブになるだろう。
安倍政権は、緩めのアクセルと強めのブレーキを同時踏みしているだけに過ぎない」。

では、凍りついた消費者マインドを氷解するのに必要な政策とは何か?
それは、「所得の明確なる上昇」と「将来にわたる上昇期待の継続」である。

消費に対して悪感情しか抱けぬ消費者のマインドを転換させ、「購買単価の上昇(高付加価値商品・サービスへのシフト)」、「購買量の拡大」、「購買スピードの加速」という消費過熱の三要素を現実化させるには、当然、原資が要るし、消費行動を促すきっかけも必要になる。

そうした原資やきっかけは構造改革ごっこや野放図な移民流入から生まれる筈がないし、返済義務を負うマネー(=金融緩和政策でブタ積みされたマネタリーベース)を数百兆円積上げたところで起爆剤とは成り得ない。

最も重要かつ効果的なのは、消費や投資に直接使えるおカネを所得名目で家計の懐に突っ込んでやることで、『骨太かつ聖域なき、間断なき財政支出による持続的かつ万遍なきバラマキ』と、それをサポートする金融政策無くして消費者心理の好転など有り得ない。

消費に使えるカネ無くして消費を増やせる“奇術”があるというのなら、ぜひ知りたいものだ。

だが、残念ながら、経済論壇の主流を占めるのは、いまだに衰退と縮小を善しとする緊縮師ばかりで、日本は成長できないというPessimismで溢れ返っている。

次のURLからアクセスできる池田信夫氏のコラムも、そうした緊縮師の怨念が詰まっている。👉http://agora-web.jp/archives/2030450.html

池田氏はよく知られた緊縮論者であり、こと経済論においては、財政危機を煽って日本経済を縮こまらせるコラムしか書かず、反原発派と慰安婦ゴロ退治にしか役に立たない人物だが、今回の短いコラムも虚言が満載だ。

彼曰く、
「PB黒字化なんて大した問題ではない。それは財政赤字の一つの目安に過ぎず、それを黒字化したところで、日本の財政が危険な状況にある現実は変わらない。たとえば長期金利が2%上がると、GDPの1割が吹っ飛ぶ」
「高齢化して労働人口の減る日本で、そんなバラ色の未来を前提に財政の見通しを立てるのは無責任」
だそうだ。

まず、長期金利が突然2%上がるという仮定だが、池田氏は日ごろから量的金融緩和政策を頭ごなしに否定しているのだから、どういう過程を経て長期金利が上がるのかを先に明示せねばなるまい。

そのうえで、幸運にも金利が上がったならば、“有事の円買い・日本買い”が大好きなマーケットの連中による日本国債の買い注文が殺到し、我が国の国債が世界一の安全資産であることを再認識させられるだけのことだ。

また、金利上昇は投融資需要の先食いを起こして企業の設備投資を活性化させ、家計においては、波及効果が限局的な株価上昇とは違って、預金金利上昇による消費刺激効果も期待できる。

金利UPに伴う政府の利払い負担や日銀保有国債の陳腐化が気になるなら、国債の直受けや永久債化すればよい。

つまり、2%程度の長期金利上昇でGDPが1割も吹き飛ぶことはない。

既存の常識や法規に囚われたまま財政至上主義を妄信するのは、成長と分配を拒絶する無能の徒の所業である。
財政法なんて、経済状況に応じていくらでも改正すればよいだけのことだ。

次に、池田氏は、“高齢化し労働人口が減る日本国民は暗黒の未来を甘受せよ”と主張するが、まさに、国や国民の未来に対する責任を放棄しようとする唾棄すべき売国奴の言である。

少子高齢化による労働人口減少に見舞われるという苦難を宿命づけられたからこそ、税収に頼り切った財政構造を断ち切り、紙幣増刷や国債増発を歳入の柱に据えて、経済政策(=需要創出力)の自由度をより高め、国富たる供給能力や生産性の向上を図る努力をすべきなのだ。

彼みたいな国債償還や財政赤字に怯えるだけの家計簿言論人こそ、日本の生産性を貶める最大のガンであり、無駄口をたたく暇があるなら、経済成長に資する提案の一つでもしてみろと言っておく。

2018年1月15日 (月)

毛虫はモノを騙るなかれ

世に経済論は数あれども、まともに検討に値するものはごく稀だ。
なぜなら、世に蔓延る自称経済論のほとんどは、“経済”とは何かという基本ルールを知らぬまま、己の観念論や、べき論を騙っているにすぎないからだ。

「経済」という語句を検索すると、
『経済とは、人間が自分達の生活環境をよくするために行う活動で、サービス・商品の生産・分配・消費・浪費などをすることによってお金を循環させること。
また、それらを通じて形成される社会関係である。
元々は中国の古典の言葉、経世済民。世を経(おさ)め、民を済(すく)う、の意味である。(ニコニコ大百科)』
と説明されている。

ここで重要なポイントは、
①民(国民)の生活向上に資するための活動であること
②商品やサービス生産活動とそれらの消費活動との間断なき循環を指すこと
③お金は生産と消費との循環に用いる道具に過ぎず、消費であれ、浪費であれ、その行為の清濁よりも循環という行為そのものが尊ばれること
の三点であり、これこそが経済を語るうえでの原理原則だ。

・財政健全化を最優先したがる緊縮財政派
・改革こそが生産性を上げると信じて疑わぬ構造改革派
・インフレ予想が実質金利を引き下げ投資や消費を刺激すると主張するリフレ派
・大量生産・大量消費は地球環境を破壊すると妄想する成長否定派
等々、経済論壇は群雄割拠(とは言っても、緊縮財政派が圧倒的多数を占めるが…)の状況だが、いずれも経済の基本ルールを無視したまま、知ったかぶりをして理想の観念論をがなり立てているだけだから、景気が良くなるはずがない。

彼らは、口先ではロケットをうまく飛ばそうと構造や設計を弄り回し、軽量化を図るのには熱心だが、肝心の燃料だけは絶対に入れようとしない。
挙句に、ロケットを飛ばすと近所迷惑だからと打ち上げそのものを止めるよう主張するバカもいるから困ったものだ。

そんな経済論議を眺めていると、時々、上記のいずれにも属さぬ“珍種”がチョロついているのが目に入る。

その珍種は、口では庶民への分配を騙りながら、その方法や財源はまったく示さぬという如何わしさで、敢えて分類するなら「寄生目(もく)-私怨科-エセ分配属」とでも呼ぶべきか。

そのエセ分配属は次のとおり主張する。
①GDPを構成する政府支出や投資は国民を幸せにできない
②財政支出を増やしても国民の収入は増えず、却って税金が上がるだけ
③全額企業負担による最低賃金引き上げこそ救国の秘策
④しかし、最賃をいくら引き上げるべきか計算できない

彼らは庶民への分配が第一と叫ぶが、肝心の政策スケールは芋虫みたいにこじんまりしている。
生来気が小さいせいか、寝ても覚めても分配・分配と繰り言を吐く割りに、どうしても緊縮派に遠慮してしまうのか?

企業収益を削ってでも最賃を上げろと言いながら、投資(=企業が行う支出)は国民の懐を豊かにできない、と小学生以下の矛盾を堂々と主張する様には、こちらが恥ずかしくなる。

「政府支出で、あなた、幸せになりますか?」なんて妄言をうっかり吐いてしまうのも、実社会の経験が浅く、乗数効果や経済の連環を知らぬからだろう。
自分の給料がどこから来るのか想像できぬ幼子の視野は、針の孔より小さく狭いものだ。

最賃引き上げには筆者も賛成だし、いまの700~800円から1,000円を目指すなんて生易しいものではなく、思い切って2,000~2,500円くらいを要求すべきだ。
1,000円程度の最賃なんて、フルに働いても年収200万円台にしかならず貧困から抜け出せない。

だが、反射神経でしかモノを騙れないエセ分配属みたいに、最賃引き上げの責任をすべて企業におっ被せるのは無謀な暴論でしかない。

空前収益を上げる一部の上場企業ならまだしも、全企業の99%を占める中小零細企業で黒字なのは全体の1/3しかなく、しかも、そのうちの8割近くは、財務上の利益はごくわずかで実質は赤字なのに、銀行対策上の理由で決算書を粉飾していると主張する大手税理士法人もある。(=本当に黒字を出せるのは全体の5~6%だけ)

こんな状態で、中小零細企業に最賃引き上げ原資を全額負担させてしまえば、我が国の中小企業は財務パニックを引き起こすこと必定だ。

これだから、反射神経でモノを騙る毛虫は信用されないのだ。

財務力がペラペラの零細企業に人件費負担を押し付けても経営者を夜逃げに追い込むだけだ。

国民の実質所得を増やすためには、モノの順序というものがある。

政府が大規模な財政支出を打ち続け、下請けに対する取引条件改善と労働分配率向上を、法律強化と世論醸成の硬軟織り交ぜて普及させるという間接的給付ルートが一つ。

加えて、減税や社保負担軽減、教育無償化、医療負担軽減、児童・介護給付金、年金受給条件緩和などといった直接的給付ルートを同時に刺激し、国民の所得水準を名目・実質ともに大幅に引き上げるべきだ。

我が国の喫緊の課題は、あまりにも低過ぎる家計収入水準の絶対値を引き上げることであり、それをスピード感を以って実現するには、企業負担もあることながら、政府による大規模な財政支援が不可欠だ。

それくらいの理屈が解らぬから、いつまで経ってもエセ分配属は毛虫や蛆虫扱いされるのだ。

まぁ、「財政支出を増やしても国民の収入は増えず、却って税金が上がるだけ」なんて程度の低い寝言をほざくなら、試しに、最大の効果を狙って財政支出をゼロにしてみればよかろう。
毛虫の勤務先が倒産し、失業保険も吹っ飛ぶかもしれぬが、そのくらいの荒療治をせぬ限り、バカの目が覚めることもあるまい。

機能的財政論批判はいつもワンパターン

今年で平成も30年を迎えようというのに、少子高齢化・買い物弱者対策・農業の担い手不足・教員の過重労働・公共インフラの老朽化・科学研究レベルの低下・待機児童問題・介護従事者不足・医療難民対策etc…といった具合に、我が国は常に様々な社会問題を抱え対策に頭を悩ませている。

新聞やTV、雑誌などでこうした問題が採り上げられ、専門家や識者らが喧々諤々と対策を論じるが、行き着く先は決まって「財源問題」であり、そこで議論が行き詰まった挙句に、“問題の先送りor公共事業・防衛費の削減or国会議員(もしくは公務員)を減らせ”という生産性のない議論に逆戻りしてしまうのがオチだ。

「やるべきことは山ほどあるが、肝心のカネがない」というレベルで済むうちはよい。

だが、財源を言い訳にして、この先も永遠に問題解決を先送りしている間に、問題解決に当たることができる人材が枯渇し、「いくらカネを積んでも、やれる者がいない」という最悪の事態を招くことになる。

“燃料を買うカネがないから、火を点けられない”という段階から、“燃料は手に入ったが、火の点け方を知る者が誰一人いない”といったレベルまで劣化してしまうと、もはや手の打ちようがない。
多額のコストを支払い、火の点け方を知る者を海外から雇い入れるしかなくなった時点で、我が国は後進国の仲間入りすることになる。

供給力や生産力・サービス提供力、それを支える国民一人一人の勤勉さや技術こそが日本にとって最重要の『国富』であり、財源やカネなんてものは、そうした国富を永続的に養成し続けるための手段や栄養分に過ぎない。

大切なのは、国民生活をより豊かにするためのモノやサービスの生産力であり、貴金属との兌換性を解かれた通貨を神聖視することではない。
供給能力や生産力の拡大に応じて、インフレ率を睨みつつ必要なだけ消費や投資に直接使える通貨(カネ)を供給し、それらに対価を与えてやればよい。

だからこそ、近代国家は窮屈な金本位制を破棄して管理通貨制度を採用し、通貨発行を国権の下に組み入れたのだ。

筆者が日ごろから機能的財政論を基に、政府紙幣発行や国債増発による積極的な財政金融政策を訴えるのは、国富たる供給力が需要不足(=カネ不足)により弱体化・陳腐化するのを恐れるからに他ならない。

だが、相変わらず世論の大半は、いくらでも創りだせるカネを国富と勘違いして信奉し、社会に山積する諸問題解決には税収UPが不可欠だと思い込んでいる。

『アバ・ラーナーの機能的財政論は間違い (6)』(楽天ブログ「メシと為替とトレードと」より)
https://plaza.rakuten.co.jp/uminoue/diary/201305260000/

上記ブログのエントリーは四年半以上前に書かれたものだが、他の論者や識者からの機能的財政論や積極財政論に対する反論のレベルは、正直いって、当時からほとんど進歩がない。

件のブログ主の機能的財政論に対する批判の要点は次のとおりだ。

①政府債務(内国債)が国民の財産と考えることは良いが、それを現金で償還する場合は、必ず徴税というプロセスを踏むから、徴税分だけ国民負担が増えるはず。
仮に徴税せず通貨発行により償還したら、市場から財政ファイナンスと取られて大幅なインフレとなり、実質値で大幅な損失を被る。(フリーランチはない)

②国債が存在しない場合、国内民間貯蓄は国内外の実物資産などに投資される。これらの投資は将来金利を生み、将来世代は元本と収益を受け取ることができる。
その際、将来世代が投資の果実を享受するためには、将来時点で貯蓄を保有しているのみでよく、元本と収益を受け取るのに何か追加の負担をする必要はない。

③一方、内国債を発行すると、元利支払いの原資は将来世代への課税により調達しなければならず、増税分だけ将来世代の負担が増す。
貯蓄が内国債以外の実物資産に投資されていれば税金など支払う必要はなく、元本と収益を受け取り全額消費に廻せるはず。

まず、①だが、国債償還財源確保のためにいちいち増税していたらキリがないし、国民の猛反発を喰らうだけだ。なぜ、三方大損必至のバカな選択をしたがるのか理解に苦しむ。
そんな面倒なことをせずとも、償還期を迎えた既発債をロールオーバーし、国債(=資金の出し手にとっての資産)を膨張させ続ければよいだけのことだ。

通貨発行→財政ファイナンス→ハイパーインフレという手垢のついた批判も聞き飽きた。
黒田バズーカにより日銀はすでに400兆円もの既発債を保有し、その分だけ政府債務は消滅しているのだが、これを以って“政府は日銀の財布を打ち出の小槌にして実質的な財政ファイナンスに手を染めている”との批判も根強くある。

だが、マーケットはそれに動揺するどころか微動だにせず、有事の円買い常態化する始末で、ブログ主が懸念する大幅なインフレなどまったく起きていない。

次に、②の“国内外の実物資産にさえ投資すれば、元本は保証され、将来にわたり金利収益を手に入れられる”という妄想には呆れ返る。
投資家気取りの連中は、本当に頭でっかちで実体経済の仕組みを理解していない。

如何わしい投資商品をむやみに勧めるインチキ業者に限って、「投資=ノーリスク&ハイリターン」であるかのような詐欺紛いのセールストークをしたがる。
しかし、実物資産にしろ、金融資産にしろ、投資商品が収益(リターン)を生むためには、収益の源泉たる実体経済下の商行為における事業の成功が不可欠だ。

投資マンションから期待どおりのリターンを得るためには、100%近い入居者を確保せねばならないし、入居者が家賃を滞りなく支払えるだけのマクロ単位での雇用・所得環境が欠かせない。

件のブログ主は、実物投資さえすれば自然と収益が得られるかの如く主張するが、トンだ妄想もいいところで、そんなうまい話があるなら、平成バブルが弾けることもなかったろうし、投資で失敗する者などいるはずがなかろう。

最後の③についても、①の主張に対して指摘したとおり、国債償還を増税で手当する必要などないことさえ理解できれば何の問題もない。

資金の出し手にとって大いなる資産価値を持つ国債をつかまえて、借金だの、負担だのと悪質なレッテル貼りをし、イメージを意図的に歪めようとするバカ論者は、財政の自由度を奪い、需要不足を恒常化させ、国富たる供給力の弱体化に手を貸す“間接的売国奴”だと言える。

我が国のみならず、管理通貨制度下にある国では、国債償還財源を増税に頼ることは稀であり、何処も増額ロールオーバーを繰り返して平気な顔をしている。

ブログ主氏の主張どおりなら、マーケットが財政ファイナンスを懸念して通貨が暴落し、とうの昔に世界各地でハイパーインフレが起きていてしかるべきだが、そんなニュースは聞いたことがないし、当のブログ主自身も、暴落必至の“円”を後生大事に抱え込んでいるに違いない。

カネの価値と、モノを創ることの価値との違いを理解できないバカには、何を言っても始まらないが、我々の先進的な生活水準が何によって支えられているのか、という点に思いを馳せてみれば、どちらを重宝すべきかという結論に至るはずだ。

2018年1月12日 (金)

銃口は敵に向けろ!

いつも緊縮派や構造改革派、リフレ派の妄想や寝言に文句をつけてばかりの拙ブログだが、今回は少々趣向を変え、機能的財政論に基づく積極的な財政金融政策を唱える勢力(ここでは積極財政派と記す)への批判について触れたい。

ただし、“批判”といっても、緊縮派やリフレ派など外部からの手垢まみれの幼稚な批判ではなく、従来、財政政策に融和的態度を取っていた層からの批判、つまり、内部やその周縁部にいる者からの批判や諫言めいた指摘の類を指す。

ご承知のとおり、積極財政派の存在は極めて少数だ。
例えるなら、一升炊きの米櫃の中の一粒のコメのようなもので、筆者はこれまでその割合を1%未満などと表現してきたが、実数を正確にカウントすれば小数点は左側に二桁ズレ、恐らく人口の0.05%もおるまい。

よって、財政政策が政治や政策に反映されることもなく、積極財政派は、四半世紀にも及びそうなほど不況が長引くのを横目に、即効性のある財政政策がゴミ同然に遇われるのを、臍を噛みつつ眺めるよりほかなかった。

一向に夜明けが見えぬ忍従に耐えかね、論を捨て、緊縮派やリフレ派へ転向・変心する者も多く、中には、財政政策を批判し財源の蛇口を閉めながら庶民への大型分配を唱えるというミミズ以下の低能ぶりを発揮する阿呆もいる。

こうした惨状を憂慮してか、積極財政派の言論活動の拙さを指摘し、「主張を世に知らしめる工夫が足りない。もっと女性をうまく使え」、「知的エリートを自負する排他的な態度を改めろ」、「論の正しさよりも、リフレ派みたいに広く人材を受け容れ、素朴で人間味溢れる対応を取れ」云々と、各方面から様々な批判がある。
(※リフレ派のロジックこそ、人間心理や人間味とは数億光年もかけ離れた空論なんだが…)

だが、内部への批判や叱咤がお得意で、熱心に諫言したがる方々に限って、自身の主張や活動がまったく疎かでお粗末なのは、とても残念だ。
得意顔で内部批判する暇があるなら、積極財政論を広めるエントリーの一本でも書いてほしいものだが、せいぜい、つまらぬゴシップ記事や読書感想文に多大なエネルギーを割くだけだから、言行不一致も甚だしい。

彼らは、是是非非の態度を装い、客観的立場から格好良く諫めているつもりかもしれぬが、筆者は、「是是非非」という言葉を軽々しく使い公言したがる輩ほど、背信や変心を屁とも思わぬ賤しいコウモリ野郎だと思っている。
いい大人が、時に応じて態度や思想をコロコロ変え、誰にでも噛みつこうとするのは、まことに見苦しい。

コンサルタントの世界では、「内部批判や不機嫌な態度で組織内に生じたネガティブパワーを払拭するのは、その3倍のポジティブパワーが要る」と言われているが、ただでさえ超少数民族の積極財政派には、これ以上のポジティブパワーを浪費する余裕など残っていない。

また、とあるビジネスサイトでは、“会社に籍を置きながら、上司や所属部署、会社などを徹底して批判する人”、いわゆる内部批判にばかり熱心な役立たずの特徴を次のとおり分析している。
①認めてほしいから批判する
②批判する割に未練がましく組織を離れようとしない
③平気で裏切る
④自分に自信がない
⑤不満や劣等感が強すぎ
⑥使命感や責任感がない

まさに、積極財政派をグチグチ批判するしか能がない軽輩の徒そのものではないか。

だが、連中がこうした恥ずかしい態度を取らざるを得なくなるのも、積極財政派の主張がいつまで経っても世に普及せず、現実の政策に反映されないが故のことだろう。

彼らには、「焦らず腐らず辛抱して、ただ時を待て」と言いたい。

どうも、政治論壇や経済論壇では、特定の思想や主張が“政策デビュー”するには、まず多数派形成が必要だと考える者が多いが、現実は決してそうとは限らない。

太古の昔から我が国のマジョリティ・オピニオンを占めてきたのは、勤勉を尊び贅沢を戒める「緊縮思考」であり、政・官・財・官・学のリーダー層だけでなく、国民の大半は消費や投資が尊ばれる世の登場を望んでいない。
つまり、これまで一貫して世論の多数派を制してきたのは「緊縮派」であり、それは未来永劫変わることはない。

享保・寛政・天保年間に庶民を苦しめた江戸のデフレ促進策が「三大改革」呼ばわりされ拍手喝采を浴び、日本を不況のどん底に貶めた橋本行革や小泉改悪が称賛されるのも、(メンヘラ女みたいに)幸せ恐怖症に陥り、奢侈を毛嫌いする日本人の特性がよく表れている。

こうした緊縮主義が蔓延する日本が世界有数の経済大国にのし上がれたのは、元禄時代や化政時代、あるいは、戦後復興期や高度成長期、バブル期、バブル崩壊直後のリーダーたちが、緊縮好みの世論を振り切り、多数世論を無視した積極財政政策を推し進めたおかげなのだ。

「我々は皆、リフレ派である」と冷笑ものの捨て台詞を吐いた原田日銀審議委員ではないが、日本人は緊縮派が多数だからと多数意見が罷り通っていたら、いまごろ日本は、東洋に浮かぶラオス並みの後進国として、国民全員がコメ作りに励みイノシシやシカを追う農村生活を余儀なくされていただろう。

持論が認められず駄々をこねる者に言いたいのは、世論のマジョリティを握らずとも、特定の経済思想を政策に反映させることはまったく不可能なことではない、ということだ。

現に、アベノミクスの先兵として、リフレ派悲願のインフレ・ターゲット政策が初めて政策として実行されたではないか。

正直言って、インタゲ政策の真意を理解できる者なんて千人に一人もおるまい。
おまけに、インタゲ政策による量的金融緩和やゼロ金利政策は、財政規律を弛緩させる、金融機関の収益を毀損すると各方面から集中砲火を浴びつつも、5年以上にわたりダラダラ続けられている。

だが、こんな少数意見(&いい加減な理論)であっても、時の政権と波長さえ合えば立派に政策として採り上げられるし、たとえ5年間もの歳月を浪費し常に目標未達という失態を続けても、周囲が失敗を糊塗してくれるのだ。
(※日銀券ルールの撤廃と400兆円もの国債の実質的無効化という功績は評価)

積極財政策が萌芽せぬことに憤りや諦観の念を感じる者も多いだろうが、多数派工作に焦燥するあまり周囲(=味方や内部)に当たり散らすのは止めてもらいたい。

多数派でなくとも政策として陽の目を見るチャンスはいくらでもある。
時機を得て政策を世に問う時が来るまで辛抱強く論を磨くことに専念していればよい。

多数派に阿ることなく、少数派らしく、ニッチな分野で尖った発想を磨き、エッジの効いた論を展開する差別化戦略をこそ重視すべきなのだ。

今回のエントリーを読み、「何だ、お前も内部批判する者を批判しているだけじゃないか?」との異議もあるだろうが、筆者は別に構わない。

そもそも、味方や内部の者の揚げ足を取り、刃を向けたがる連中のことを内輪とか内部の者なんて思っていないし、積極財政派なんて、元々“超少数民族”なのだから、いまさら数を減らしても大した影響はない。

内部批判をして悦に入っているバカ者には、味方ヅラをするつもりなら、その銃口を本来向けるべきターゲットに向けてみろと言っておく。

2018年1月11日 (木)

税が主役の時代は終わった

政府は、幼児教育の無償化を柱とする「人づくり革命」と、企業の実質的な税負担軽減を盛り込んだ「生産性革命」による2兆円規模の「経済政策パッケージ」打ち出している。
(政府・与党は、不況色の強い「改革」という文言に見切りをつけ、「革命」に衣替えする意向のようだが…)

政策パッケージの財源は、2019年10月に実施予定の消費増税による1.7兆円と、企業の拠出金0.3兆円を充てることになっているが、たかだか2兆円くらいの経済政策を打つのに、消費増税が人質に取られるのは間尺に合わない。
家計や企業は増税による恒常的な負担増に悩まされることになり、長期的に縮小傾向にある勤労者世帯の可処分所得は一層低下するだろう。

ここ20年来の不況により、経済政策の中身よりも財源の確保を何より重要視する「財源ファースト論」が蔓延する一方で、歳出増につながる財政政策は蔑視され、不況脱出の大きな障害になっている。

財源ファースト論の支持者は、歳出の恒常的抑制を前提とし、上に手厚く下に重たい税制の導入を狙っている。
彼らは、持てる者に都合のよい税制を目指し、消費増税や高額所得者・法人の税率引き下げという国民への負担押し付けでしかない税制改悪を「歳入改革」だと称する強欲な痴れ者だ。

下記にご紹介するコラムは、そんな痴れ者のアホな御託が満載だ。

『税制の抜本的な改革を!<歳入改革>』
(GLOBIS知見録 堀 義人:グロービス経営大学院 学長 グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー)
https://globis.jp/article/1059

堀氏の主張は次のとおり。
①競争原理を働かせ経済成長に資する税制 → 法人減税 実行税率を25%まで引き下げろ
②頑張った人が報われる税制 → 所得税の最高税率を引き下げろ
③なるべく多くの人が公平に負担するシンプルでフェアな税制 → 所得税の課税ベースの拡大・消費増税・各種控除の廃止により、低中所得者により多く負担させろ

堀氏のように、持てる者に優しく持たざる者に厳しい税制を好む輩は、「高額所得者=頑張った人」という幼稚で根拠不明な妄想に囚われている。

彼のような妄想家は、自分たちが税を負担するのを嫌がるくせに、税制自体に強いこだわりを持ち、他人に税が課されるのは何の痛痒も感じない。

“それほど税金を払いたくないのなら、いっそのこと無税国家にしましょうか?”と彼に提案してあげたいが、無税国家なんて絶対にありえないと100%否定するに違いない。
彼に限らず、所得税の最高税率や法人税率引き下げに熱心な連中に限って、税制そのものに縋りつき、しかも、それを他人に負担させようとするものだ。

だが、“税”を信奉するのは、堀氏みたいな“税制タダ乗り論者”だけではない。
ほとんどの国民が、税収こそ歳入の柱であるべきだと自然に考えているだろう。

巷には、「歳入=税」という公式がまことしやかに常識化しているが、歳入とは何かを改めて確認すると、「歳入の主要部分は、租税から構成されるのが通常である。その他、使用料・手数料や交付金・負担金、公債(国債・地方債)、通貨発行益などがある。租税法律主義(租税を徴収する根拠は必ず法令に明記すること)に準じて、租税以外の歳入についても必ず法令に根拠を置くことが近代国家では原則となっている。歳入とは、歳出に充てうるものを指す。すなわち、フローである。」(Wikipediaより)とあるように、歳入とは様々な政策の実行に必要なフローを手当てするための手段に過ぎず、その調達は税に限定されているわけではない。

税の役割を過大視したがる連中は、国家運営の経費は税という“会費”で賄うべきだという固定観念に囚われ過ぎなのだ。
国家の財政運営は、そこいらの自治会やサークルと違うことを理解できないのが、筆者には不思議でしかたがない。

自治会の運営経費だって、自治会費だけでは賄いきれず自治体からの補助金収入があるのが普通だというのに、1億人を超える人口を抱える我が国の国家財政を税だけで賄おうとする発想そのものに呆れ返る。

我が国には6,500万人もの就業者と380万者もの企業が存在し、膨大な量の製品やサービスを生み出すべく日夜努力を重ねている。
そうした経済活動を円滑に継続・発展させる原動力は、売上や給与という名目で支払われる対価であり、その対価の正体は「円という通貨(貨幣)」に他ならない。

不断の経済活動を支え続けるには、供給された製品やサービスに見合う分量の貨幣量が必要であり、既存のストックをぐるぐる廻すだけではまったく足りない。
政府が国債や紙幣発行を通じて貨幣量を増やさぬ限り、対価を得られぬ生産者や労働者の苦労や努力は無駄に終わる。

税という制度自体が、そもそも、国家財政運営の原資を主体的に賄う性格のものではなく、“税は国家なり”を体現するための徴税権行使を通じた権力の確認行為、あるいは、酒やたばこなどの奢侈を抑制する懲罰行為的な色彩が強い。

よって、歳出の原資を税だけに限定してしまうと、経済活動量に見合うだけの資金を確保できず、「歳出削減+増税=不況」という永遠のスパイラルを繰り返さざるを得なくなる。

民間金融機関や事業者が消費や投資に使える貨幣を勝手に創ることはできない以上、唯一それを為し得る政府(日銀を含む統合政府)が、歳出というお題目の下で国債発行や紙幣増刷という手段により実体経済下の貨幣量をコントロールするしかない。

税が歳入の主役を務めることができた時期はとうの昔に終焉を迎えたのだ。

2018年1月 8日 (月)

満足レベルの低下が生産力の衰退を招く

『人口減は日本にとってイノベーションを準備するいい機会だ』(2017.12.25 週刊ダイヤモンド)
http://diamond.jp/articles/-/154081

上記は、週刊ダイヤモンド12月30日・1月6日特大号の第一特集「総予測2018 世界は新次元!」の冒頭にある吉川洋・立正大学教授と楠木建・一橋大大学院教授との特別対談の一部を抜粋したものだ。

対談の要旨を掻い摘んで紹介してみると次のとおりだ。
・人口減=GDP縮小とはならない。イノベーションにより一人当たりのGDPを伸ばせば問題ない。
・イノベーションとは「何がいいか」という「価値の次元そのもの」の変化。日本初のイノベーションの代表選手がソニーのウォークマンだった。
・海外頼みではなく、国内で次世代のモノやサービスへの新しい価値を創り出す試みこそイノベーションに通じる。(例:高齢者用紙おむつのインドや中国市場への拡大)
・全ての価値観は“気のせい”。内閣府の「国民生活に関する世論調査」の生活の満足度に関する問いに「満足」と答えた割合は17年の調査が過去最高だった。
・「失われた20年」なんて言ってもかつての英国病より遥かにマシで、日本の不況は高が知れている。
・日本には欧米や諸外国に劣らぬ底力があり、必要以上に将来を悲観する理由はない。

人口減=成長放棄ではないとの意見には筆者も同意する。

我が国の人口減少ペースは、当面、非常に緩やかだから、積極的財金政策のアクセルを吹かせば、名目・実質ともに経済成長の伸び率は、人口減少ペースを十分に凌駕できるだろう。

また、海外だけでなく国内市場の中にもイノベーションにつながるシーズが埋蔵されているはずだという見方にも賛同する。

ヘルスケア、福祉サービス、小ロット高速移動体、省エネ等々、国内市場にも潜在的イノベーションが山積している。
仮に、太りにくい糖質や炭水化物が開発されれば、川上の一次産業から川下の三次産業まで巻き込んだ巨大なマーケットを生み出すのは間違いない。

一方で、いまの日本の不況は大したことはない、日本人は生活に満足しており、将来を悲観する必要はないとの言い草には賛同しかねる。

対談の中で吉川氏は、「国民生活に関する世論調査」(平成29年6月調査)で、現在の生活にどの程度満足しているかとの問いに、「満足」の割合が73.9%(「満足している」12.2%+「まあ満足している」61.7%)に達し、過去最高だったことをとらえて、あたかも日本人は不況を気にしていないかのようにミスリードしている。

この調査は昭和20年代後半から行われているが、同趣旨の質問に対する過去の結果を見てみると、オリンピック景気の昭和39年には62.0%、いざなぎ景気に沸いた昭和44年には満足63.5%、バブル景気絶頂期の平成2年には66.8%という結果であり、満足度の高さは経済成長率の伸びと反比例している。

こうした調査に「満足」だと回答する人は、他人と自分との生活レベルを相対的に比較し、周囲との差異の小ささに満足しているに過ぎない。

つまり、絶対的な所得水準や雇用条件を評価して満足・不満足を判定するのではなく、お隣りや会社の同僚と比べて、“確かに俺の給料は低いけど、周りもみんな低いのだから仕方ない。不況で贅沢も言えないから、まあ満足かな”と諦めているだけのことだ。

全世帯平均所得はピーク時(平成6年)の664万円から平成27年には545万円へと18%も下がっているのに、国民の生活満足度が上がるはずがないことくらい小学生でも理解できる。
満足割合の表面ヅラの数値だけを見て拙速に判断することなく、「満足」という言葉の質やレベル、基準点自体が低下していることに思いを馳せねばなるまい。

好景気に沸き、物価も給料も凄いスピードで上がっていた時代は、国民が「満足」という言葉に求めるレベルが、いまとは比べものにならぬほど高く、年収が10~20%上がっても、“お隣さんは、もっともっと上がっている”と容易には満足せず、より高い待遇を求め、そうした欲望や熱気が強力な需要の原動力となって経済成長を起爆し続けた。

翻って、現代の日本は、どれほど給料を下げられても、“同僚だって低い給料で我慢しているから”と自分を納得させ、ちょっとばかり給料が上がれば、“不況だし、一円でも給料が上がれば儲けものだ”と「満足」のバーを勝手に下げ始める。
その結果が、昨今の満足度の嵩増し現象の正体なのだ。

日本の不況なんて大したことはない、かつての大恐慌時代と違い道端で野垂れ死にしている者なんていないじゃないか、というバカバカしい詭弁にも呆れるばかりだ。
我が国年間が死者数は1,800~2,000人と推計され、500人程度だった1970~80年代の4倍近くに上っている。

また、平成28年度の統計でも、経済・生活問題や勤務問題など経済的理由による自殺者数は5,500人を上回っており、「日本の不況は高が知れている」などと嘯く痴れ者の無神経さに腹が立つ。

不況の深刻さを理解せぬバカが政権を担っている間に、日本の企業者数は2009年から2014年にかけて39万者も減っており1999年との比較では103万者も減っている。
このままのペースなら、この先50~60年余りで我が国から企業は消滅してしまうだろう。

ご紹介した対談記事の中で楠木氏は、ソニーのウォークマンこそ日本発の製品イノベーションだと得意げに語っているが、1979年発売の“骨董品”がいまだにイノベーションの代表例として語られることの異様さを理解できぬらしい。

イノベーションと聞いて40年近くも前に世に出た製品の名が真っ先に挙げられる(≔それ以外に適切な例がない)という現実が、日本のモノづくりの長期にわたる低迷・停滞ぶりを物語っている。

そうしたモノづくりの大停滞時代を招いたのは、供給サイドが得るべき収益不足、つまり、需要力の低下に他ならず、これを放置したまま不況を軽く見ようとする両氏の見解には首肯しかねる。

対談の締めに吉川氏は、必要以上に日本の将来を悲観する理由はないと高を括ったようなコメントをしているが、筆者は逆にかなり悲観している。
なぜなら、我が国の高名な経済学者と経営学者が揃いも揃って経済問題の根源を理解せず、一方の国民も、成長や幸福の追求を諦め、もはや諦観の域に達しつつあるからだ。

欲望の衰退や縮小は、需要の弱体化と供給力の老朽化や陳腐化に直結する、云わば、資本主義経済を動かすエンジンの破損と同義であり、最大の需要家たる国民の意識レベルの低下は如何ともしがたい。

「日本はもう成長できない」という諦めと、「現状の生活レベルさえ維持できればよい」というぬるま湯に安住しようとする怠け心こそが日本の社会機構を腐らせるがん細胞であり、これらを克服せぬ限り、日本社会が悲観の闇から覚めることはないだろう。

2018年1月 4日 (木)

税に頼らぬ歳入構造こそ真の歳入改革

「財政規律の緩みが心配な来年度予算」(日経新聞)
「来年度予算 財政規律 危機感がなさすぎる」(朝日新聞)
「政府予算案 野放図に膨らませる時か」(信濃毎日新聞)
「来年度政府予算案/これでは財政健全化は遠い」(河北新報)

昨年末に一般会計総額約97.7兆円の平成30年度政府予算案が閣議決定されたのを受け、新聞各社から、「財政規律の弛み」だの「財政再建が遠のく」だのという批判的かつ低次元な社説が一斉に掲載された。

筆者に言わせれば、平成29年度当初予算比でたったの2千億円しか増やせなかったにもかかわらず、「過去最大・野放図な歳出」と罵る新聞屋連中の神経を疑うしかない。

本来なら、「成長放棄・不況容認・福祉切り捨て型の超緊縮予算」だと、政府・与党の守銭奴ぶりを強く批判すべきなのに、各社とも判で押したように、聖域なき歳出改革だの、社会保障費削減に切り込めだのと見当違いな批判の大合唱を繰り広げるさまは異常だ。

経済の基本すら解らぬ新聞屋どもは、PB黒字堅持はおろか、歳入の公債依存度を限りなくゼロに近づけろ、つまり、国債発行を止めろとまで主張するのだから、あまりのバカっぷりに開いた口が塞がらない。

彼らが“歳出などというものは税収の範囲内に収めるのが当然だ、さもなくば、国民の税負担を増やし痛みに耐えてもらうしかない”と平気で言い放つのは、小学生のお小遣い帳レベルの経済観念しかもっていないのと、我慢と改革という絵空事が未来を切り開いてくれるはずという時代錯誤的思い込みに囚われているからに過ぎない。

来年度予算の歳入の柱は税収59兆円(60%)と公債発行33兆円(35%)であり、お小遣い帳至上主義の新聞屋どもは、歳出改革の美名の下に、“公債発行が多過ぎる、歳出を減らすか増税か、いや、その両方をやれ」と必死に無理難題を押し付けようとするが、自分たちが経済クラッシュの引き鉄を引こうとしているという自覚がないのか?

筆者は、100兆円にも満たぬ当初予算はあまりに少な過ぎ、不況脱却への意思表示にはまったくの力不足だと思う。

2~3年のうちに当初予算ベースで140兆円程度を確保する一方、消費税や固定資産税、酒税・たばこ税・ガソリン税などは全廃し、税収は所得税と法人税などによる35~40兆円程度とし、残りは国債発行と紙幣増刷で調達すれば十分だ。
つまり、「歳入=税」という前時代的な因習を改め、国債と紙幣発行を柱とする歳入構造に転換すべきだと考える。

世界大百科事典で『租税』という言葉の意味を確認すると、「現代国家の政府収入は,大別すれば次の六つの源泉をもっている。(1)租税収入,(2)借入収入,(3)紙幣創造による収入,(4)財・用役の販売収入,(5)政府間の借款による収入,(6)その他(罰金等)。これらの収入源は,すべて同一のウェイトをもつものではない」との記載がある。

現状、ほとんどの国で財政運営の財源を租税収入と借入収入(公債発行)に頼っているが、これは“需要過剰&供給不足の対インフレ経済下”でのみ上手く機能した時代の名残であって、供給力や生産力が飛躍的に発展し、恒常的な需要不足に悩まされる現代や近未来に対応できる歳入形態ではない。

次々と高品質・高付加価値な製品やサービスが大量に放出される実体経済では、それらを購買するBuying powerが圧倒的に不足しており、対価を得られぬ製品・サービスの陳腐化や無価値化を招き、製造技術の発展・継承(=国富)を阻むという許しがたい弊害を生んでいる。

国家が自由に創り出せるカネを惜しみ国民生活の維持発展の原動力たる生産力や供給力を蔑ろにする、つまり、「カネを尊び、原始的生活への回帰を余儀なくされる」というのでは、あまりに本末転倒な話ではないか。

世界大百科事典に記載された6つの収入源のうち、家計や企業の需要力を損なわず、逆に増進させる「借入収入(公債発行)と紙幣創造による収入(政府紙幣増刷)」を歳入の軸に据える『歳入改革』へ取り組めるか否かが、我が国が21世紀のリーダーとなれるか、後進国への没落の道を辿るかの大きな分岐点となるだろう。

お小遣い帳至上主義のバカ者は、財政法第4条第1項の「国の歳出は原則として国債又は借入金以外の歳入をもって賄うこと」という規定を盾に、あたかも国債発行が禁じ手、あるいは、異例な処理であるかのように騒ぎ立てるが、同規定は、政府紙幣の発行まで禁じていないし、そもそも、公債発行を例外視する規定自体が間違っていることに気付くべきだ。

我が国における税の起源は、魏志倭人伝の「女王卑弥呼が支配する邪馬台国には、建物や倉庫があって集めた税を納めていた」との記録を基に3世紀頃とされる。

以降、平安時代や室町時代、江戸時代を通じて、年貢や労役(雑徭)、座役、運上金、冥加金などが課されてきたが、そうした税の成り立ちを見ると、国家財政運営収入の確保というよりも、権力者(国主、貴族、荘園主、寺社など)による徴税権を通じた支配力と権力の誇示、あるいは、酒税やたばこ税といった懲罰的な奢侈禁止を目的とするものが多い。

つまり、税という制度の根本は、元々、権力の誇示や承認行為であり、国家財政の財源を賄うためのものではないということだ。
それを証拠に、有史以来、時の政権運営に必要な財源を完璧に税収だけで賄ったことなんて数えるほどしかないが、日本という国家は何の問題もなく脈々と受け継がれてきたではないか。

明治維新により成立した新政府の財政収支を見ると、慶応3年から明治2年に掛けての初期段階では、政府紙幣発行(太政官札)と公債借入金による収入が歳入の72~87%にも達していた。
しかも、出来立てほやほやで、鳥羽伏見の戦いや函館五稜郭戦争という旧幕府軍との戦時下にあり信用力がゼロに近かった新政府発行の太政官札が立派に通用力を維持した事実は、ハイパーインフレ妄想に怯える現代人に重要な教訓をもたらしてくれる。

また、明治3年に鉄道建設資金調達のため日本初の国債が発行(ポンド建)された際には、満期13年、金利9%という条件であり、頭の悪い財政学者の中には、ホンジュラス(12.5%)やトルコ(9.9%)に次ぐ劣悪な条件を呑まされたと揶揄する向きもあるが、当時の列強諸国のフランスが7.1%、ロシアが6.3%の金利だったことを思えば、西洋諸国の資金の出し手にとって得体の知れぬ東洋の島国のデビュー戦としては上々の調達条件だったのではないか。

江戸時代には法定金利こそ12~15%だったが、民間の高利貸しでは350~1050%もの超高金利が横行していたそうだから、10%にも満たぬ金利で外国から資金調達できたのは非常に恵まれた条件だと言える。

明治初頭の混乱期に新政府が苦し紛れに発行したおもちゃのような紙切れ(太政官札)がきちんと通用し、西洋諸国から見れば、下等な生産力しか持たず蛮族視されても仕方のない新政府が低金利で資金調達できたという事実は、紙幣増刷や国債発行を歳入の柱に据えても国家運営に大した問題を及ぼさないことを見事に実証している。

国債を余計に発行し歳出をちょっと増やしただけで、“野放図なバラマキが財政破綻を招くのは歴史の教訓”、“円の信用が失墜する。ハイパーインフレだ”と青筋を立てる不勉強な論者も多いが、バラマキこそが国家の信用力を維持し、生産力向上を促して過度なインフレを防ぎ、国民生活の向上を実現させてきたという歴史を直視すべきだ。

我が国が短期的に直面するリスクは圧倒的な需要不足であり、緊縮を善しとしてそれを放置すれば、人材育成と生産力・供給力の維持向上という中長期的な課題と対峙せざるを得なくなる。

人材育成や生産力の確保は一朝一夕に解決できる問題ではなく、多大なる時間とコストを要するから、その分だけ他国との競争に競り負けるリスクが増えてしまう。

そうした要らぬ苦労を小さな火種のうちに防ぐには、目先にある需要不足に対して全力を以って解決に当たるべきだ。

そのためには、歳入を語るに当たり、税という消費や投資に対する懲罰的手法に頼ることを止め、紙幣増刷や公債発行を主軸とする歳入体系への転換に舵を切り、真の『歳入改革』へと想の転換を図るべきだろう。

2018年1月 1日 (月)

大甘採点が成長の芽を摘み取る

『安倍政権5年間の通信簿は雇用の確保で70点の及第点だ』(DIAMOND On-line 高橋洋一/嘉悦大学教授)
http://diamond.jp/articles/-/154603

第二次安倍政権も今月で六年目に突入したわけだが、その成果を巡り、安倍応援団のひとりであるリフレ派の高橋洋一氏から援護射撃があった。

高橋氏の主張を要約すると、次の二点になる。

1.自分は、金融緩和をすれば、円安、株高、雇用増になると予測していた。
金融緩和は円を相対的に増やし、希少性がなくなるので円安になる。円安になると、輸出製造業が有利になって株価が上がる。企業収益も増すので、派生需要である労働需要が増えて雇用が良くなる。これこそがアベノミクスの成果だ。

2.アベノミクスに点数をつけるとすれば、100点満点としてそのうち、雇用60点、所得40点を満点として評価する。
雇用では失業率の下限となる構造失業率2%台半ばを満点の60点とするので、今のところ55点。
所得ではGDPの動向で評価する。2014年の消費増税の前までは良かったが、その後は消費が伸び悩んだので40点満点で15点。
それでも合計70点なので、まあまあの合格点だ。

経済論壇におけるアベノミクスへの評価は、次の四つに大別される。
①安倍政権5年間の生ぬるい成果を全力で評価する勢力(自称保守派、リフレ派、構造改革派)
②安倍政権の金融緩和政策が財政規律の弛みを助長すると批判する勢力(緊縮財政派)
③安倍政権は公共事業費や防衛費を増やし過ぎ(?)だ、原発推進派だと批判する勢力(love&peaceな人々)
④安倍政権の経済政策は緊縮財政・規制緩和・構造改悪的な色彩が強く、恒常的不況や国力低下につながると批判する勢力(機能的財政論者、積極財政派)

高橋氏は、上記①に該当する熱心な安倍信者の代表格だが、彼をして5年間にも亘るアベノミクスの評価が「70点」、「及第点」としか言えない辺りに、アベノミクスの限界が透けて見える。

因みに、筆者の採点だと所得60点・雇用40点の配点とし、所得15点・雇用10点の合計25点で落第といったところか。

まず、金融緩和政策と雇用増との関係だが、昨今の人手不足は、若年層の人口減少と団塊世代やそれに続く世代が定年を迎えたことによる人口構造が惹き起こした“自然現象”であり、安倍首相でなくとも、経済をイーブンペースに維持しておきさえすれば誰にでも達成できたもので、これを金融緩和政策の手柄ヅラするのは相当無理がある。

高橋氏の持論は、「金融緩和による円の希薄化→円安→輸出増→株高→製造業を中心とする雇用増」というものだが、円安による輸出促進効果や海外売上の利益嵩増し効果はあるかもしれないが、エネルギーや食糧、鉱物資源などの輸入コストの大幅上昇による効果相殺もあり、国内経済にとって大きな起爆剤となったかといえば、はなはだ疑問だ。

現状程度の円ドル為替水準なら2008~2009年頃にも確認されていたし、例えば1998年や2001年辺りだと1㌦=130~140円と今より遥かに円安だったが、コラムの中で高橋氏が得意顔で紹介した就業者数のグラフは明らかに下降トレンドを辿っており、「円安=就業者増」というのは単なる思い込みでしかない。

また、円安を起因とする製造業の雇用増加説についても、確かに、2017年11月の労働力調査でも、製造業の就業者数は1,049万人、前年同月比+13万人と増えてはいるが、2015年以降の推移をグラフ化するとほぼ横ばいで、2002年頃には1,200万人を超え、2016年1月頃に1,100万人近くいたことを思えば、ここ数カ月の就業者数増加トレンドは、瞬間風速的な誤差の範囲内といって差し支えない。

次に、昨年11月時点で2.7%に下がった失業率をどう評価するかだが、失業率の分子となる完全失業者数は178万人と以前より大幅に減っているが、非労働力人口のうち就職希望者数(=潜在的失業者)は、一時期より減ったとはいえ2016年時点で380万人余りもおり、こうした人材の活用がまったくなされていない。

また、就業者数の推移を男女別に5年前と比較すると、2012年11月:男3,784万人・女2,784万人→2017年11月:男3,772万人・女2,958万人と、この間の162万人の就業者増は女性の増加によるものだ。
女性就業者増加の内訳はといえば、45~54歳+105万人、65歳以上+87万人と、いわゆる女性の社会進出ではなく、旦那の稼ぎが減ったり、年金の目減りにより仕方なくパートに出ざるを得なかった女性が増えただけであるのが判る。

数百万人もの潜在的失業者を放置したまま、且つ、中高年女性の嫌々パートが増えただけの雇用状態に55点/60点もの高評価を与える高橋氏の節穴ぶりには失笑を禁じ得ない。

最後に国民・勤労者の所得状況についての考察だが、高橋氏は消費税導入と消費の伸び悩みを理由に15点/40点と、こちらは辛目の評価だ。

2016年の民間平均年収は421万円で、ピークの467万円(1997年)を10%も下回る惨状で、安倍政権スタート時との比較でも4年間でたったの3%しか増えていない。

安倍政権が経団連など経営サイドに賃上げ要請を行う姿勢は評価すべきだが、現状では家計の名目賃金の伸びがあまりにも小さ過ぎ、日用品や食料品、エネルギー価格の上昇や社保負担増加分を賄えず、実質雇用者報酬の伸びは2017年に入ってから明らかに鈍化している。

本来なら、経営サイドが労働分配率引き上げに積極的になるよう、大規模な財政支出で実体経済を刺激し消費・投資マインドを過熱させるべきだが、肝心の政権・与党はといえば、歳出改革だの、聖域なき社会保障費削減だのと、真逆の緊縮思考うつつを抜かし、2019年10月には政権奪取後2度目の消費増税を目指すなど、アクセルを吹かすよりもブレーキを強く踏み込む政策ばかりが目につく。

橋本行革や小泉構造改悪以来、20年にもわたり成長が止まった我が国の経済を立て直すには、成長に毛の生えたような1~2%の成長率ではまったく話にならない。
我が国の低迷を尻目に成長を遂げた他国を追いかけ、国民の成長マインドを取り戻すには、成長と分配に役立ちそうな政策をフルに動員して名目で8~10%近い成長を目指すくらいの気概が必要なのだ。

アベノミクスによって最悪の時期に歯止めが掛かったとは思うが、あくまで下落を止めた程度でしかなく、ベストやベターなパフォーマンスとまで評価することはできない。

悪夢の民主党時代よりマシと擁護する声もあるが、比較の対象があまりにも酷過ぎる。
経済政策の評価は相対評価ではなく絶対評価で下すべきだろう。

安倍首相とて、日本の長期不況の引き鉄を引いた小泉政権時代から政権や与党の要職にあったのだから、その間の経済停滞の責任から逃れられると思ったら大間違いだ。

アベノミクスの成果とやらが一年間のパフォーマンスならまだしも、5年もの歳月を費やしてのものだから、筆者には正直言って物足りないとしか思えない。

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