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2018年1月12日 (金)

銃口は敵に向けろ!

いつも緊縮派や構造改革派、リフレ派の妄想や寝言に文句をつけてばかりの拙ブログだが、今回は少々趣向を変え、機能的財政論に基づく積極的な財政金融政策を唱える勢力(ここでは積極財政派と記す)への批判について触れたい。

ただし、“批判”といっても、緊縮派やリフレ派など外部からの手垢まみれの幼稚な批判ではなく、従来、財政政策に融和的態度を取っていた層からの批判、つまり、内部やその周縁部にいる者からの批判や諫言めいた指摘の類を指す。

ご承知のとおり、積極財政派の存在は極めて少数だ。
例えるなら、一升炊きの米櫃の中の一粒のコメのようなもので、筆者はこれまでその割合を1%未満などと表現してきたが、実数を正確にカウントすれば小数点は左側に二桁ズレ、恐らく人口の0.05%もおるまい。

よって、財政政策が政治や政策に反映されることもなく、積極財政派は、四半世紀にも及びそうなほど不況が長引くのを横目に、即効性のある財政政策がゴミ同然に遇われるのを、臍を噛みつつ眺めるよりほかなかった。

一向に夜明けが見えぬ忍従に耐えかね、論を捨て、緊縮派やリフレ派へ転向・変心する者も多く、中には、財政政策を批判し財源の蛇口を閉めながら庶民への大型分配を唱えるというミミズ以下の低能ぶりを発揮する阿呆もいる。

こうした惨状を憂慮してか、積極財政派の言論活動の拙さを指摘し、「主張を世に知らしめる工夫が足りない。もっと女性をうまく使え」、「知的エリートを自負する排他的な態度を改めろ」、「論の正しさよりも、リフレ派みたいに広く人材を受け容れ、素朴で人間味溢れる対応を取れ」云々と、各方面から様々な批判がある。
(※リフレ派のロジックこそ、人間心理や人間味とは数億光年もかけ離れた空論なんだが…)

だが、内部への批判や叱咤がお得意で、熱心に諫言したがる方々に限って、自身の主張や活動がまったく疎かでお粗末なのは、とても残念だ。
得意顔で内部批判する暇があるなら、積極財政論を広めるエントリーの一本でも書いてほしいものだが、せいぜい、つまらぬゴシップ記事や読書感想文に多大なエネルギーを割くだけだから、言行不一致も甚だしい。

彼らは、是是非非の態度を装い、客観的立場から格好良く諫めているつもりかもしれぬが、筆者は、「是是非非」という言葉を軽々しく使い公言したがる輩ほど、背信や変心を屁とも思わぬ賤しいコウモリ野郎だと思っている。
いい大人が、時に応じて態度や思想をコロコロ変え、誰にでも噛みつこうとするのは、まことに見苦しい。

コンサルタントの世界では、「内部批判や不機嫌な態度で組織内に生じたネガティブパワーを払拭するのは、その3倍のポジティブパワーが要る」と言われているが、ただでさえ超少数民族の積極財政派には、これ以上のポジティブパワーを浪費する余裕など残っていない。

また、とあるビジネスサイトでは、“会社に籍を置きながら、上司や所属部署、会社などを徹底して批判する人”、いわゆる内部批判にばかり熱心な役立たずの特徴を次のとおり分析している。
①認めてほしいから批判する
②批判する割に未練がましく組織を離れようとしない
③平気で裏切る
④自分に自信がない
⑤不満や劣等感が強すぎ
⑥使命感や責任感がない

まさに、積極財政派をグチグチ批判するしか能がない軽輩の徒そのものではないか。

だが、連中がこうした恥ずかしい態度を取らざるを得なくなるのも、積極財政派の主張がいつまで経っても世に普及せず、現実の政策に反映されないが故のことだろう。

彼らには、「焦らず腐らず辛抱して、ただ時を待て」と言いたい。

どうも、政治論壇や経済論壇では、特定の思想や主張が“政策デビュー”するには、まず多数派形成が必要だと考える者が多いが、現実は決してそうとは限らない。

太古の昔から我が国のマジョリティ・オピニオンを占めてきたのは、勤勉を尊び贅沢を戒める「緊縮思考」であり、政・官・財・官・学のリーダー層だけでなく、国民の大半は消費や投資が尊ばれる世の登場を望んでいない。
つまり、これまで一貫して世論の多数派を制してきたのは「緊縮派」であり、それは未来永劫変わることはない。

享保・寛政・天保年間に庶民を苦しめた江戸のデフレ促進策が「三大改革」呼ばわりされ拍手喝采を浴び、日本を不況のどん底に貶めた橋本行革や小泉改悪が称賛されるのも、(メンヘラ女みたいに)幸せ恐怖症に陥り、奢侈を毛嫌いする日本人の特性がよく表れている。

こうした緊縮主義が蔓延する日本が世界有数の経済大国にのし上がれたのは、元禄時代や化政時代、あるいは、戦後復興期や高度成長期、バブル期、バブル崩壊直後のリーダーたちが、緊縮好みの世論を振り切り、多数世論を無視した積極財政政策を推し進めたおかげなのだ。

「我々は皆、リフレ派である」と冷笑ものの捨て台詞を吐いた原田日銀審議委員ではないが、日本人は緊縮派が多数だからと多数意見が罷り通っていたら、いまごろ日本は、東洋に浮かぶラオス並みの後進国として、国民全員がコメ作りに励みイノシシやシカを追う農村生活を余儀なくされていただろう。

持論が認められず駄々をこねる者に言いたいのは、世論のマジョリティを握らずとも、特定の経済思想を政策に反映させることはまったく不可能なことではない、ということだ。

現に、アベノミクスの先兵として、リフレ派悲願のインフレ・ターゲット政策が初めて政策として実行されたではないか。

正直言って、インタゲ政策の真意を理解できる者なんて千人に一人もおるまい。
おまけに、インタゲ政策による量的金融緩和やゼロ金利政策は、財政規律を弛緩させる、金融機関の収益を毀損すると各方面から集中砲火を浴びつつも、5年以上にわたりダラダラ続けられている。

だが、こんな少数意見(&いい加減な理論)であっても、時の政権と波長さえ合えば立派に政策として採り上げられるし、たとえ5年間もの歳月を浪費し常に目標未達という失態を続けても、周囲が失敗を糊塗してくれるのだ。
(※日銀券ルールの撤廃と400兆円もの国債の実質的無効化という功績は評価)

積極財政策が萌芽せぬことに憤りや諦観の念を感じる者も多いだろうが、多数派工作に焦燥するあまり周囲(=味方や内部)に当たり散らすのは止めてもらいたい。

多数派でなくとも政策として陽の目を見るチャンスはいくらでもある。
時機を得て政策を世に問う時が来るまで辛抱強く論を磨くことに専念していればよい。

多数派に阿ることなく、少数派らしく、ニッチな分野で尖った発想を磨き、エッジの効いた論を展開する差別化戦略をこそ重視すべきなのだ。

今回のエントリーを読み、「何だ、お前も内部批判する者を批判しているだけじゃないか?」との異議もあるだろうが、筆者は別に構わない。

そもそも、味方や内部の者の揚げ足を取り、刃を向けたがる連中のことを内輪とか内部の者なんて思っていないし、積極財政派なんて、元々“超少数民族”なのだから、いまさら数を減らしても大した影響はない。

内部批判をして悦に入っているバカ者には、味方ヅラをするつもりなら、その銃口を本来向けるべきターゲットに向けてみろと言っておく。

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