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2018年1月27日 (土)

蛸壺論者は外の空気を吸ってこい!

江戸時代に正徳の治なる緊縮&デフレ政策を断行した新井白石だが、政敵の荻原重秀(元禄の改鋳を主導,後に勘定奉行へ昇進)に異様なまでの私怨を滾らせ、元禄地震や元禄飢饉が起きたのを荻原の貨幣改鋳のせいだと騒ぎ立て、彼の幻覚やポエム満載の「折たく柴の記」に呪詛の言葉を書きなぐっていたらしい。

まさに狂人の所業と言えるが、妬みと怨念まみれのストーカーが後世の教科書に載り、聖人君子の扱いを受けるのだから、世の中とは不思議なものだ。

さて、巷には、嫉妬まみれの儒学者のように、自ブログに妄想を開陳するプロ気取りの経済論者がおり、
①世界中の経済学の教科書を調べても、GDPを増やす方法を解説するものはない

②財政金融政策で総需要を拡大させ、総供給を増やせるなら、政府支出を毎年増やしさえすれば自動的に経済成長が達成できてしまうが、そんなことは絶対にありえない

③GDP(生産量)を増やすには、ヒトや設備の投入量を増やすか、生産性を上げるしかなく、公共投資で生産性が上昇するわけがない
と息巻いている。

経済のプロを騙る割に経済の基本を知らぬ痴れ者は、くだらぬ情念ばかりが溢れ出て、言葉の一つ一つに品性がない。

先ず①について、あまりの大言壮語ぶりを不審に思い、試しに書店で何冊かの経済本を捲ってみると、記述の分量こそ少ないものの、経済成長の手法についてきちんと触れられていた。
(例)マクロ経済学マクロ編/マンキュー、マクロ経済学・入門/福田慎一ほか、マクロ経済学/中村保ほか、経済のことが面白いほどわかる本!/小宮一慶、東大生が書いたやさしい経済の教科書/東京大学赤門Economistなど

経済学の教科書にGDP増加や経済成長の方法を解説するものがないとしたら、それは経済学者の怠慢に過ぎない。
経済用語の解説だけで済まして悦に入っているような役立たずの無責任な蛸壺学者は、早々に学会からお引き取り願いたい。

次に②の「謎の歳出&経済成長の中立命題」だが、これはGDPの基本式すら忘れたバカの戯言だろう。

政府支出を増やした分だけ、それに対応する供給サイドのエネルギーが予算消化に費やされるから、GDPが増えるのは経済の摂理であり、何の不思議もない。

政府が歳出に使う札束をすべて焼却するなら話は別だが、いったん実体経済に放出された支出は民需と化し、嫌でもGDP成長の糧となってしまう。
しかも、乗数効果を伴い投入量より増殖して成長を促すから、かのエセ論者のような妄想家にとっては悪夢だろう。

だいたい、日本のように高度な供給力を有する先進国において、政府支出(政策経費ベース)を拡大させながら、逆に経済を成長させないことの方が遥かに困難だ。
それほど妄想を信じたいなら、試しに政府支出を10年くらい毎年50兆円ずつ増やし、本当に経済成長できぬかどうか確かめてみればよかろう。

OECDや内閣府のデータを拾ってみれば判ることだが、我が国だけでなく世界各国の政府支出の伸びと名目GDPの伸びとは正比例しており、GDP増加額が政府支出増加額の4~5倍に達する例が多い。
こんなことは“常識”の範囲内で、わざわざ数式を持ち出して分析するまでもない。

バカ論者は、総供給は政府支出拡大の影響を受けないと主張するが、建材メーカーや機械メーカー、事務機器メーカーなどどこでもよいから、実際の企業経営者に会い、「政府が来年度予算から向こう5年間、御社の関連業界に毎年10兆円の支出をするそうだが、御社はどうしますか?」と尋ね、「財政政策は総供給に対して中立だから、ウチは静観するよ」と答える感度の悪い経営者を必死に探してみてはどうか?

企業経営者なんて、日ごろは大所高所から「政府は本気で歳出改革に取り組まないとね」なんて偉そうに語るものだが、いざ自分たちの目の前に予算がチラついた途端に目の色を変え、需要獲得に向けた投資に走るものだ。

実際に筆者の支援先にも、役所の無駄遣いをやたらと辛口に批判したがる経営者がいる。
だが、以前に会った時に、彼は、TPP対策の畜産クラスター事業なる補助金が酪農家に大量投下されるとのニュースを聞いた途端、重機を買い込み、オペレーターを雇い入れ、地域の酪農家を大車輪で回り畜舎の改修工事や資料のストックヤード工事を必死に売り込み始めた。
このように、現実はとてもシンプルにエセ論者の大ウソを暴いてくれる。

最後に③の「公共投資の生産性に対する中立命題」という程度の低いアホ論議には、まともに付き合うのも疲れる。

先ず、「GDP(生産量)を増やすには、ヒトや設備の投入量を増やすか、生産性を上げるしかない」と妄想するのは、このエセ論者の“生産”に対する概念が、牛馬で畑を耕していた牧歌的時代から一歩も進歩していない証拠だ。
さらに言うと、“生産性”を時間当たりの生産量・産出量としか理解できない、大量生産・大量消費時代に憧れる憐れな田舎者とも呼べるだろう。

現代における生産性は、生産に投じた諸要素から得られる収益性の高さで評価すべき、つまり、“時間当たり○個作れた”ではなく、“○円の増収・増益につながった”かどうかに着目すべきだ。

彼のように、生産の物量ばかりを気にする論者が相変わらず多いが、そもそも、需要も不確かなのに人や機械を大量投入して、いったい何を作り、誰に売ろうというのか?

生産性を語るなら、製造能力ではなく、需要に裏打ちされた市場でどのくらいの収益を生み出せるかという視点で論じるべきだ。

エセ論者は、公共投資(=インフラ投資)を嫌うあまり、そんなものは生産性に寄与しないと言いたげだが、十分な量の公共投資を民間市場に投じれば、そこに必ず実需が発生する。

しかも、工事単価基準を引き上げて割りの良い仕事を増やしてやれば、それを受注した企業の収益や生産性は間違いなくUPし、さらに長期的投資を保証してやれば、雇用増加や人材投資、設備投資を促す効果も生み出せる。

教室(いまは自宅か?)に引き籠り、妄想のぬるま湯に浸りきっているエセ論者は、どうやら現実を直視するのを怖がっているようだから、リハビリを兼ねて、実業社会の経営者に会い、「公共投資は御社の生産性向上とまったく無関係ですか?」と尋ねてみることをお勧めする。

何なら、建築土木業者、重機販売業者、電気設備業者、アスファルト製造業者、トラック製造業者、工作機械製造業者、運送業者等々、適当な経営者をご紹介してもよいが…

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