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2018年2月

2018年2月27日 (火)

「企業数を減らせ」という暴論

『大胆提言!日本企業は今の半分に減るべきだ~アトキンソン氏「日本人は人口減を舐めてる」』(2/26 東洋経済ONLINE デービッド・アトキンソン/小西美術工藝社社長 )
http://toyokeizai.net/articles/-/209674
「皆さんもご存じのとおり、日本ではすでに人口が減り始めています。人口が減る以上、GDPを維持するためには生産性を高めるしかありません。「GDP=人口×1人あたりの生産性」だからです。
それにはさまざまな改革が求められます。今回はその1つ、日本の企業数を大胆に減らすという改革について、考えたいと思います。(略)」

アトキンソン氏は、以前にも日本の観光産業育成にはゴールデンウィークを廃止すべしという珍説をぶつなど、いつも的外れな提言をすることで知られている。

上記記事でも、彼の幼稚な勘違いがあちこちに散見されるが、そのうちいくつかをピックアップし、批判を加えておきたい。

〈アトキンソン氏の主張〉
①人口と経済には関係がないと、とぼけたことを言う人もいるが、現在の先進国の経済規模ランキングは完全に人口ランキングを反映している

②企業の数を削減することが非常に重要。日本企業の数は今の半分まで減るべき

③たくさんの企業で後継者が不足しているのは、日本経済にとって大変ラッキーなこと。企業の規模が小さければ小さいほど生産性が低く、小規模企業の存在が全体の生産性を引き下げている

④消費者が減っているのだから、企業数と供給量をこれに合わせて減らさないと供給過剰や過当競争となりデフレに拍車をかけるだけ

つまり、彼が言いたいのは、“日本は人口減少を宿命づけられている以上、少人数の非効率な企業体を維持することは不可能だ。非効率なゾンビ企業はさっさと潰れてしまえ”ということなのだ。

頭が悪くやる気もないニヒリストの言葉は、まことに軽薄で有害だし、主張を裏付けるデータも、まったくデタラメだ。

まず、①の“先進国の経済規模ランキングは完全に人口ランキングを反映している”との主張だが、下記URLからリンクする資料のとおり、人口規模と経済規模との間に明確な相関性はない。
例えば、人口2,400万人ほどのオーストラリアのGDPが、同4,600万人のスペインを上回っているという一事だけで彼の嘘がばれてしまう。
《参照先》https://matome.naver.jp/odai/2143170701704064101

経済規模は人口に比例するなんて言うのは、まさに“胃袋の数が経済規模を決める”という前近代的な「胃袋経済論」でしかない。

経済成長にとって重要なのは、胃袋の数だけではない。
むしろ、胃袋に収めるモノの値段の方が遥かに大きな影響を与えるというのが常識だろう。

10人の若者が350円の牛丼と160円のウーロン茶で我慢するより、たとえ8人でも、1,000円の定食と250円のビールを飲めるようになれば、遥かに高い付加価値が生まれ、人口に関係なく経済成長できる。

いまどき、経済を語るのに「量」でしか考えられないなんて、彼は小学生以下のド素人なのか?

さらに、②③のゾンビ企業退場論には呆れてモノをいう気にもならない。

「2017年版中小企業白書」によると、日本企業が抱える従業員数は4,794万人で、うち中小企業+小規模企業で3,361万人(約70%)、小規模企業だけで1,127万人(約23%)もの従業員を抱えている。

彼の暴論どおり企業数を半分に削ってしまうと、企業消滅が企業間取引に何の影響も与えないというまったく有り得ない想定の下でも、1,700万人近い失業者(働く者のおよそ35%)が寒空に放り出されることになる。

だいたい、中小企業に限らず大企業であっても、売上の多くを企業間取引(BtoBマーケット)に依存しているのが実状だから、日本企業の半数が消滅した日には、たとえそれらの多くが小規模企業であったとしても、連鎖的な減収による業績不振や売掛債権の大規模な不良化による財務パニックが発生し、バブル崩壊やリーマンショックなど比べものにならぬほど深刻な恐慌を避けられないだろう。

アトキンソン氏のように、「人口減少→需要減少→消費減少」を不可逆的な宿命だと決めつけるバカ者は、④のように、減り続ける消費規模に合わせて供給力や生産機能を削減しろと頭のおかしな主張をしたがるから困る。

消費が減るからといって既存の企業をぶち壊し続けておいて、国民はいったいどこで食い扶持を稼げばよいのか?

所得を稼ぐべき職場の消失により、当然、多くの国民が路頭に迷うことになる。
彼の主張通り半分の企業を潰せば1,700万人もの労働者が職を失い、家族合わせて3,000万人近い国民が無収入状態に陥り、実体経済は大パニックを惹き起こし、消費は加速度的に縮小を続けるだろう。

そうなってしまうと、被害は生産効率の低い中小零細企業だけに止まらず、比較的生産性が高いとされる大企業も深刻なデフレ不況の波に飲み込まれ壊滅的な打撃を避けることができず、企業数は半分どころか1/3や1/4にまで減りかねない。

消費規模が減り続けるのは人口減少のせいではなく、緊縮政策と野放図な規制緩和による競合激化こそ主因と言えるから、小学生にすら笑われそうなアトキンソン流“企業削減論”などゴミ箱に捨てて、積極的な財政金融政策により家計や企業に需要力や消費力をつけてさえやれば、企業を減らす必要などないし、小規模企業の生産性や付加価値を引き上げてやることなんて容易いことだ。

2018年2月25日 (日)

消費力は相変わらず脆弱

『税金や年金、保険料が差し引かれた後の「可処分所得」でも、この5年は右肩上がりで、10年前の水準を回復しました。同僚の濱地議員の質疑より。』(いさ進一/衆議院議員Twitterより)





https://twitter.com/isashinichi/status/963343447431065601

アベノミクスの奇跡を疑わぬ“信者”ってのは本当に奇特なものだ。
なにせ、成長が当たり前の資本主義の世の中で、「可処分所得が10年前の水準に達したぞ!!」とドヤ顔で自慢するのだから…(/ω\)

年率3%くらいのペースで普通に成長できていれば、10年間で1.3~1.4倍、20年間で1.8~1.9倍くらいに増えてしかるべきだから、上の図の可処分所得も、いまごろ45.8万円→60万円くらいになっていたはずだ。

景気の腰折れが鮮明になった1998年以降、歴代政権が、『緊縮財政・消費増税・社保料負担増・医療費負担増』という数々の愚策に手を染めず、実直に財政金融政策を打ち続けていれば、可処分所得のグラフの軌跡がこれほどダッチロールすることもなかっただろう。

いさ議員は、可処分所得が10年前の水準を取り戻したと息巻くが、上がったと言っても、5年もの歳月を費やしたのに、上げ幅はせいぜい1万円程度でしかない。
これでは上昇のペースがあまりにも緩やか過ぎ、ほぼ横ばいとしか言えぬ。

10年かけて減らされ続けた水準が少々戻っただけのことで、「アベノミクスはいざなぎ越えだ」、「株価も上がった」、「雇用も所得もバブル超えだ」と大騒ぎするのは早すぎる。

経済の不調、端的に言うと国民の消費力の減退ぶりは一向に回復していないのだが、いさ市のように、今が好景気に見える“感度の鈍いうすのろ”は、消費の現場の危機感をまったく理解できていない。

例えば、国内百貨店の売上を見てみよう。

日本百貨店協会のデータによると、2017年の全国百貨店売上は、前年比+0.1%と3年ぶりにプラス化したものの、商品別で増えたのは、インバウンドの瀑買いに助けられた化粧品と宝飾・貴金属だけで、その他は衣料品や家具、家電、食料品などいずれもマイナスに落ち込んだ。

中でも、百貨店の顔とも言える「デパ地下」の生鮮食料品(▲3.4%)、惣菜(▲0.8%)が軒並み売上を落としているのが象徴的で、中食ブームと持ち上げられ、エンゲル係数UPの言い訳に使われていたのに、蓋を開けてみれば案外苦戦していたようだ。

首都圏や大都市圏の住民の所得が上がっているとしたら、働く女性層も増えているのだから、デパ地下の売上も当然増えるはずだが、逆の結果になったのは何故なのか?

また、出店を加速するコンビニチェーンのデータを見ても、2017年12月時点の既存店売上は8,205億円(前年同月比▲0.3%)で7ヶ月連続のマイナス、来店客数は12億7,841万人(同▲1.6%)で22ヶ月連続のマイナスと、さんざんな結果だ。

しかも、主力の日配食品(▲0.3%)、加工食品(▲0.6%)、非食品(▲0.3%)の3部門がいずれも前年割れを起こしている。

こちらも、マクロ的には単身世帯が増え、商機としてプラスな環境のはずだが、なぜか業績が頭打ちになっている。

こうした百貨店やコンビニの苦戦を例に挙げると、安倍信者から「EC市場の伸びに喰われただけだ」というアホな反論がくるだろう。

だが、職場や自宅の近所で気軽に買えるモノ、しかも、数百円~数千円の単価でしかない商品をいちいちアマゾンでポチる暇人はごく一部だろうから、Eコマース云々はくだらぬ言い訳でしかない。

消費減退の理由は簡単なことで、家計の平均所得や勤労者層の小遣いがまったく伸びていないだけのことだ。

消費の源になる収入や小遣いが増えない以上、消費の量や質が伸びるはずがないことくらい小学生でも解る。

特に、お小遣いの水準はバブル期の半分にも満たないのだから、呆れるしかない。
これで消費が伸びると思う方がどうかしている。

盲目の安倍信者たちに言いたいのは、「アベノミクスを持ち上げたいのなら、まず、家計所得をまともな水準まで引き上げてみろ‼」ということだ。

実態のない自慢話をして失笑を買う前に、きちんと結果さえ出せば、おのずと国民から支持され、根拠のない成長談を捏造する必要もなくなるだろう。

それは何も難しいことではないし、大したコストも労力も掛からない。
ただ単に、国民の財布を分厚くしてあげればよいだけなのだから…

http://www.garbagenews.net/archives/1954675.html

http://www.garbagenews.net/archives/1987031.html

(※いずれもガベージニュースより)

2018年2月21日 (水)

国民の勤労を食い逃げしようとする低脳児

『内閣府調査で50%超が「収入に満足」と回答 ネットでは失笑も』(H29.8.30 livedoornews)
http://news.livedoor.com/article/detail/13541844/
「現在の「所得・収入」で「満足」している人が51.3%にのぼることが、内閣府が2017年8月28日に発表した「国民生活に関する世論調査」でわかった。
内訳は、「満足している」と回答した人が7.9%。「まあ満足している」と答えた人は43.4%だった。(略)
こうした調査結果に、インターネットの掲示板などでは、「どこ情報よー www」「内閣府調査かよ。大本営ね。増税のためにとうとう数字いじり始めやがったかw」「おいおい、演出も度が過ぎると逆効果すよ」「これが理解不能国家日本」「忖度しました」などと、失笑や懐疑的な声が少なくないほか、「上昇志向なし。働いたもん負け」「まあ上望んでも無理だし、今の年収あればいいわってとこでしょ」「定年までダラダラ過ごしてのんのんとしてたい」といった声が寄せられている。(略)」

下の図は、厚労省のデータ(※サラリーマンではなく、「世帯」ごとの平均所得)だが、H27の平均世帯所得(全世帯)は545万円で、昭和63年(27年前‼)とほぼ同額という体たらくだ。

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〈平成28年国民生活基礎調査(厚労省)より〉

冒頭にご紹介した内閣府の調査では半数超が現在の収入に満足しているそうだが、何処の世界に、30年近く前から収入が増えない先進国があるのか?

記事中にもあるとおり、ネット上で調査の真偽を疑う声が多数上がったそうだが、それも当然だろう。

誰が調査に答えたのか知らぬが、この程度の所得水準で満足する者が過半数を占めるなど到底あり得ない。
国民は、“もう日本は成長できない”→“給料が上がるのも望めない”と自棄になることなく、収入UPを求める声を堂々と上げてほしい。

もし、こんなに少ない収入で満足できるのなら、選挙のたびに「景気を良くしてほしい」とか「社会保障を充実させてほしい」とせがむのは止めるべきだ。

平均世帯所得は、S60/493万円からピークのH6/664万円まで1.34倍、年率換算で+3.8%のペースで増えていた。
仮に、H6以降、まともな財政金融政策が実行され、せめて年率2%くらいのペースで所得が拡大していたとしたら、いまごろ平均世帯所得は1,051万円と1,000万円を優に超えていた計算になり、現実の平均所得(545万円)の倍近い所得を得られていたはずなのだ。

これだけあれば、ランチを無理やりワンコイン以内に収める必要もないし、牛丼チェーンが安値競争に凌ぎを削るような虚しい努力から解放される。
つまり、生産サイドは、誰の得にもならないコスト削減競争ではなく、皆の満足感向上につながる高付加価値競争に経営資源を投じることができる。
そうなれば、収益率も上がり社員への分配余力も生じるから、更なる所得アップへの期待も高まるだろう。

日本人の所得の長期停滞を、労働時間減少や生産性低下のせいにしたがるバカ論者も多いが、現実に労働現場にいた者からすれば、そんな詭弁が真っ赤な嘘であることくらい誰にでも解る。

職場にPCが普及し、業務のIT化が浸透しても、労働時間は一向に短くならず、早出・深夜残業や休日出勤を繰り返さざるを得ない労働者はごまんといる。
そんなことは、早朝や休日の電車に乗り、深夜のビジネス街を徘徊すればすぐに解る。

日本人の所得がまったく増えていないどころか、ピーク時より2割近くも減っているのは、日本人が怠けているわけでもなく、仕事の効率化が進んでいないせいでもない。
歴代政権が緊縮思考に固執して財政支出を絞り込み、民間需要縮小の引き鉄を引いた、あまりにも単純すぎる経済失政によるものなのは、誰の目にも明らかだ。

特に、緊縮政策や構造改革万能主義に染まった橋本内閣や小泉バカ内閣以降の政権担当者は、歴史的に長期かつ深刻な需要不足を惹き起こしておきながら、「財源はどこにある~」、「子孫に借金をツケ回しするのか~」と開き直って、実体経済への資金供給(=所得に直結する財政政策)をケチり続け、それが我が国を長期的な需要不足経済に縛り付け、売上低下や所得減少を誘引したのだ。

かれこれ30年以上所得が増えない、それどころか減っているのに、当の国民が強い怒りを示さず、内閣府の調査に「今くらいの収入で十分ですよ( ´艸`)」と揉み手して媚びているようでは本当に情けない。

本来なら、「財政支出を増やして景気を刺激しろ、社会保障負担を減らせ」、「貨幣なんて誰の負債でもないから、どんどん発行して仕事を増やせ」と強く要求すべきだが、一般的な国民は“国債発行は国の借金を増やし、自分たちの税負担を重くするだけ”という如何わしい宗教を信じ込んでおり、洗脳が解ける気配すらない。

国の借金という幻に怯え、財源論の壁に立ち竦む国民の邪念をブレークスルーできるのは、機能的財政論による思い切った財源創出と、国民生活向上に寄与する諸政策の実行しかない。

機能的財政論に対して、食い逃げだの無銭飲食だのとまったく見当違いの批判を浴びせる低能児もいるが、残業や休日出勤だらけの国民を低賃金で扱き使う賤しい低能児こそ、国民の勤労にタダ乗りする無銭飲食者であり、食い逃げ野郎だろう。

マネーストックやマネタリーベースが増加しているとはいえ、その大半は返済義務を伴うお金(借りたお金)であり、純然たる所得と呼べるお金の総量は増えていない。

これを爆発的に増やさぬ限り、労働分配の原資は増えず、日本人の所得が本来得て然るべき水準まで戻ることもない。
それを成し得る手段として選択すべきは、機能的財政論による聖域なき持続的な財政支出と適切な金融政策であり、財政支出の果実を隅々まで行き渡らせるための分配政策と同時に実行すればよい。

機能的財政論に的外れな批判しかできないアホは、日本人の所得をきちんと増やせる具体案を示すべきだが、私怨を滾らせて財政政策を否定しているうちは、正解に辿り着くことは永遠にないだろう。

2018年2月19日 (月)

金融政策支持者は、つまらぬプライドを捨てるべき

今春に総裁任期切れを迎える日銀総裁人事は、物価目標未達を七度も繰り返して大恥をかいた「未達キング」こと黒田総裁の手腕がなぜか評価され、黒田氏続投が決まった。

だが、マーケットでは、大した効果も出せず新鮮味に欠ける金融緩和政策に固執する黒田日銀の姿勢に批判的な声も多く、出口戦略(量的緩和縮小や政策金利引き上げ)を催促する意見が後を絶たない。

『円高恐れず好景気で引き締めを』(2/13 週刊エコノミスト 重見吉徳:JPモルガン・アセット・マネジメント グローバル・マーケット・ストラテジスト)
https://www.weekly-economist.com/20180213bojexit/

「日銀は、世界経済が同時好景気に沸く現在のうちから、長期金利の誘導目標をゆっくりだが着実に引き上げ、同時に「これは出口に向けた一歩である」と明示することが望ましいだろう。
 重要なのは、金融市場に対して「一歩、後ろに戻ることができている」という対話をすることであり、逆に言えば「必要ならば、再び一歩前に踏み出すことができる」という政策の余地を示すことである。
 これは当然のように足元で円高圧力を生むだろう。しかし、円高とひとことで言っても、次の二つのうちの、どちらの円高が望ましいだろうか。筆者は、現時点で後者を選択しなければ、やがて前者が起きると考えている。
(1)米国が将来、景気後退に陥り、米連邦準備制度理事会(FRB)は積極的な金融緩和で対応するが、日銀は現時点において出口を見送るために、金融緩和の余地が(将来時点で)相対的に小さくなる結果、円が買い戻される。
(2)海外景気の勢いが強く、海外の長短金利に上昇圧力が生じている現時点で、日銀も出口に立ち、円が買い戻される。(略)」

重信氏の意見は、金融政策の出口戦略を促す意見として極めて一般的で、平たく言えば

①現状の景気は非常に良好で、金利引き上げや円高に耐え得る

②いまのうちに金利を引き上げておき、将来の景気悪化に備えて緩和余地を残しておくべき
③先んじて出口戦略を取ったEUやアメリカの動きに立ち遅れるな

と言いたいわけだ。

一方、彼の主張に対する筆者の意見はこうだ。

❶企業や家計に関する様々な指標をみても、とても“好景気”とは言えない。特に、中小零細企業の利益率の低さや家計所得の伸びの鈍さを考慮すると、高レベルの借入金利やローン金利引上げには到底耐えられない。

❷たとえ金融緩和余地を残せたとしても、これまで同様、金融緩和による景気テコ入れ効果は皆無に近い。つまり、金融緩和措置の有無なんて、ほとんど無意味。

❸欧州やアメリカが出口戦略に着手できたのは、少なくとも日本とは比べものにならぬレベルの財政支出やインフラ投資により景気を刺激してきたからで、歳出拡大に関して、何の努力もしていない日本が真似すべきではない。性急な出口戦略は、重病人に筋トレを課すようなもので、症状を悪化させるだけ。

ただし、現在の行き過ぎた円安は、いたずらに輸入コストを嵩ませ、中小零細企業の仕入れコストや家計の実収入を圧迫する弊害となっており、この点は是正する必要がある。

よって、量的緩和自体を縮小することはないが、誰の得にもならぬマイナス金利政策は今すぐに破棄し、現状108~110円程度の為替レートを98~100円くらいまで円高に、また、0.08%程度にまで低下している長期国債の利回りの0.5%辺りまでの上昇を許容してもよいだろう。(※本稿を記している2/6時点の数値)

重信氏のように、出口戦略を急ぎたがる輩に限って、「景気後退に備えた緩和余地を残しておくべき」と言いたがるが、そもそも、金融緩和効果に対する疑義を議論の起点にしておきながら、役に立たないはずの“緩和の余地”を残そうとする矛盾に何の疑問も感じないのだろうか?

彼らの目的は、為替や金利の乱高下を起こし、それに乗じて相場で儲けることでしかなく、金利高を誘い、国債の利払いコスト増加に警鐘を鳴らして財政危機を煽りたいだけなのだ。

筆者も、目標未達を繰り返し、醜態を晒すだけの金融政策に、ひと文句つけたくなる気持ちを解らなくはない。
だが、金融政策を蹴っ飛ばして市中金利を引き上げ、企業や家計に重い金融コスト負担を課すのが、果たして得策と言えるのか?

また、量的金融緩和を批判する者は、日銀保有国債の巨額さやゼロ金利の常態化を歪な姿だと敬遠しがちだが、ここで性急な出口戦略を断行し、金融緩和政策のハンドルを逆回転させ、無理に金利を引き上げても、実需に乏しい実体経済下では投資や消費に冷や水をぶちまけるだけに終わるだろう。

いま論ずべきは出口戦略ではなく、金融緩和政策が真価を発揮するために何をすべきかであり、真に論じるべきは、大規模かつ持続的な財政政策とのポリシーミックスによる金融緩和政策の“進化論”だろう。

政府による巨額の財政支出により、事業発注や発注単価の大幅な引き上げ、大規模な減税、医療・福祉支出、防衛・インフラ投資、研究・教育投資などを積極的に行えば、実体経済に「売上や収入として自由に使えるおカネ」が溢れ出し、それを享受する企業や家計の懐が潤い始める。

政府が、こうした状態を長期的に継続することをコミットすれば、企業や家計に長期的な増収期待や成長期待(インフレ期待)が生じ、それが投資や消費を刺激し、実需が過熱して金利上昇や円高圧力が生じるだろう。

これこそ、金融政策の真価を発揮できるフィールドであり、その時こそ、インフレ・ターゲット政策が政策の主役となり得るはずだ。

緊縮・改革論者は金融政策の足を引っ張るべきではないし、金融政策万能論者は彼らに足を掬われぬよう、今すぐ顔を洗って目を覚まし、財政政策にヘルプを求めるべきなのだ。

2018年2月17日 (土)

経済学の名を穢す教科書主義者

「「比較優位」というリカードの“詐欺的理論”が今なお生き延びている不可思議 前編」  経済学者のトンデモ理論(2007.7.7「晴耕雨読」より)
http://sun.ap.teacup.com/souun/848.html

「まず、「自由貿易主義」は、それが有利だと考える国家が主張する「保護貿易主義」だと考えている。
自由貿易がお互いの国民経済にとってメリットがあるという理論的根拠としては、「比較優位」という考え方が示されている。
「比較優位」は経済学で幅広く受け入れられている(流布されている)理論であるが、現実と歴史をとてつもなく捨象したモデルにおいでのみかろうじて成立するものでしかない。(略)
グローバル化が進んだ戦後世界でも、日本を除く先進諸国は「比較優位」を度外視して食糧自給率100%をめざし、自由主義の権化と見られている米国でさえ、繊維・鉄鋼・家電・自動車・半導体と次々に対日貿易規制を強要してきたことなどを思い浮かべれば、「比較優位」が、建前や理論は別として、現実としては受け入れていないことがわかる。(略)」

経済ブロガーの晴耕雨読氏が、比較優位論という詐欺理論の息の根が止まらぬことを嘆いていたのは、もう10年以上も前のことだが、比較優位論という“机上の幼稚論”を騙るエセ論者はいまだに絶えない。(さぞかし、氏もイラついているだろう)

近頃、とあるサイトで比較優位論に心酔する酔っ払いが、こんな寝言を吐いているのを見かけた。

● “皆が得意なものを作って交換する、そうすれば世の中の生産量=消費量が増え、誰もがハッピーになれる”、それが比較優位だ

●比較優位は「個々人の得意なもの→生産性が高い→機会費用が低い」だから、最もGDPが大きくなるのは、全員が「最も生産性の高い財・サービスを生産」することだ

●経済活動とは、誰もが比較優位を実践している状態であり、例外はまったくない

●教科書レベルの知識も無しに経済学を批判するのは噴飯もの。教科書を理解しているかどうか見分ける第一関門は「比較優位説を理解している」かどうかだ

やれやれ…、現実よりも教科書を信じぬこうとする狂信者には施すべき処置が見当たらぬ。
一度ハマった宗教から足抜けするのは本当に難しいものだと嘆息するしかない。

比較優位論を無邪気に信奉する者は、えてして需要不足(供給過剰)のリスクに鈍感だ。
要は、生産にばかり気を取られ、需要の役割を完全に無視している。

リカードが例に挙げたイギリスとポルトガルのぶどう酒と毛織物の生産にしても、「各々が比較優位な生産に特化すれば両国のぶどう酒と毛織物の合計生産量が増える=両国がハッピーになれる」と単純化したものだ。

生産力が脆弱でモノが乏しく、常に飢餓や物資不足のリスクに直面していた時代ならともかく、世界中にモノが溢れ、先進国のみならず途上国ですら買い手不足に悩む現代では、「生産増加=ハッピー」とはならない。

需要(消費)の裏付けがない生産、つまり、生産物の対価支払いが約束されていない生産行為など、コストをドブに捨てるだけに終わる。
生産したワインや毛織物が確実に売れるという前提条件がないうちは、比較優位で生産力を増やす意味などない。

また、比較優位説が例示するように、国単位で特定の産業や職業に労働力を特化させるなんて、あまりにも現実を無視した夢物語だろう。

そもそも、「職業選択の自由」という人権の根源的な部分を蔑ろにする行為だし、さんざんワイン製造のスキルを積んできた職人が、羊の世話や紡績機の操作をできるはずがなく、単に労働生産性を著しく低下させるだけに終わるのは確実で、イギリス人は毛織物生産に特化した方が生産量も増える云々なんてのは、社会の仕組みを知らぬ小学生の妄想でしかない。

さらに、いい加減なのは、「誰もが経済活動で比較優位(その人の得意なもの=生産性の高いもの)を実践しており、例外は一つもない」という主張だ。

我が国には6,000万人もの労働者がいるが、自分が“得意かつ生産性の高い”職業に就いていると自信を持って応えられる者なんて、ほんの一握りに過ぎないことくらい誰にでも解る。

NTTコムリサーチの調査では、約6割の人が今の仕事に対して納得しておらず、やりたい仕事に就いている人は40%しかいない、という結果が出ている。
https://www.tensyoq.com/job-suitable-for-me/
また、PGF 生命の調査によると、仕事・職業の満足度で『満足している』(「非常に」と「やや」の合計)は 38.9%という結果だった。
http://www.pgf-life.co.jp/hpcms/news/NB300.do?NID=1370

こうした調査結果を踏まえると、大まかに言って、得意な仕事や満足できる仕事に就けているのは、最大に見積もっても労働者の4割ほどしかおらず、“誰もが経済活動で、その人の得意な仕事を実践している”という大嘘はすぐにバレる。

第一、全員が生産性の高い仕事に就けているのなら、日本のGDPが停滞し続けるはずがないし、国内企業の70%近くが赤字という体たらくをまったく説明できない。

まぁ、比較優位論を偉そうに吹聴するからには、まさか当の本人が働いていないなんてことはないだろうが、もし、生産拡大を熱く語っておきながら、自分は長期間仕事をサボっているとしたら大問題だ。

何の生産活動にも寄与していない“休職のプロ”風情が、他人の生産を騙ること自体、まことにおこがましく、まったく説得力がない。

現実を冷静に見つめようとしないエセ論者に限って、妄想が詰まった教科書を拠り所にしたがり、外部の指摘や批判で持論が崩壊しそうになると、“経済学を理解しているのか”、“教科書を読んだのか”と、学問や書物を盾にして自身の非才や勉強不足の言い訳をし始めるものだ。

こんな卑怯者に寄り掛かられては、当の学問や教科書もいい迷惑だろう。

本来、学問とは、現実と照合しつつ自分の頭で考え構築した見識や理論を、自らの足で支える気概と行動を以って、初めて周囲から認められるものだと思う。

端から既存の学問や教科書に逃げ込み、それらをシェルター代わりに乱用する不届き者は、己の不明を恥じるべきだろう。

2018年2月15日 (木)

フェイクメディアの終焉

トランプ米大統領が“最も腐敗し、偏見に満ちた主要メディア”を選ぶ「フェイクニュース賞」を見事に受賞したのは、米紙ニューヨーク・タイムズに掲載されたポール・クルーグマン氏のコラムだった。

さて、フェイクぶりではアメリカに引けを取らぬ我が国のメディアだが、その総本山たる新聞業界が経営危機に直面している。

『「新聞崩壊」はたった一年でこんなに進んでしまった~このままでは経営維持できないレベルだ』(1/10 磯山友幸/経済ジャーナリスト)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54095

「新聞の凋落が2017年も止まらなかった。日本新聞協会がまとめた2017年10月現在の新聞の発行部数合計(朝夕刊セットは1部と数える)は4212万8189部と、1年前に比べて115万部減少した。
2007年は5202万8671部だったので、10年で約1000万部減ったことになる。最大の発行部数を誇る読売新聞1紙がまるまる消えた計算になる。
新聞発行部数のピークは1997年の5376万5000部で、2000年以降は前年を上回ったことがなく、2008年あたりから減少率が大きくなっている。(略)」

新聞発行部数の減少に歯止めが掛からない。
磯山氏のコラムによると、発行部数のピークは1997年で、2000年以降は一貫して対前年比マイナスが続いているそうだ。

新聞の命運が、橋本行革により日本凋落の起点となった1997年にピークを迎え、小泉バカ政権による構造改悪騒動が始まった2001年辺りから漸減地獄の泥沼に嵌まり込んだのは、彼らにとって強烈な皮肉だと言える。

新聞社を筆頭とするバカマスコミどもが公共事業叩きや歳出カットに明け暮れた20年が、長期デフレ不況を常態化させて日本人の所得を大幅に減らし、巡り巡って、当の新聞社の屋台骨を揺るがしている。

“財出を削れ、社保もカットしろ、グローバル化だ、日本人の給料を中国人並みに減らせ”とさんざん世論を煽り立ててきた挙句に、自分たちの食い扶持を減らしてしまったのだから、いい笑い種だ。

我が国の人口は減少に転じているが、核家族化や一人暮らし層の増加もあり、世帯数は昭和45年辺りから右肩上がりに伸びており、2015年の総世帯数は5,332万世帯と、2000年の4,678万世帯と比べて14%近くも増えている。

本来なら、世帯数の伸びは新聞社にとってビジネス拡大に寄与するはずだが、上記コラムのとおり、2007年→2017年の10年間に19.1%も部数を減らしてしまったのだから、無能の極みと罵られても致し方あるまい。

新聞を取らなくなった理由としては、
・テレビやインターネットなど他の情報(源)で十分だから…74.5%
・(そもそも)新聞を取っていない…41.5%
・新聞は高い・お金がかかる…29.2%
などが挙げられる。(http://www.garbagenews.net/archives/2238523.html)

端的に言えば、所得が減り続ける中で毎月3,000円(朝刊)以上もの出費に抵抗感があり、わざわざおカネを支払う価値も見いだせないと考える家計が増え続けているということだろう。

これは大変良い傾向であり、このまま歯の抜けるように購読者が減り続け、大手紙から順に倒産の憂き目に遭うことを願ってやまない。

多くの国民がネットニュースで十分と答えているのは、新聞社による押しつけがましい論評や偏向報道を嫌い、余計な加工が施されず鮮度の高い一次ソース発の情報を求めているからに他ならない。

世間知らずの論説委員が書いた偉そうな社説や、社会経験の乏しいデスク風情が脚色したニュースになどカネを払う価値がないと思われているのだ。

日本新聞協会加盟の新聞社は全国に98社あるそうだが、各県1社に全国ニュースをカバーする通信社が1社あれば十分で、フェイクニュースを撒き散らすだけの“公害新聞社”は消滅すべきだ。

また、新聞の紙面構成は、各社とも一様に、一面→政治面→国際面→経済面→株式欄→文化欄→スポーツ欄→地域欄→お悔やみ欄→社会欄→テレビ欄といった具合に統一されており、TVの番組構成も、TVショッピング→朝のニュース→ワイドショー→昼のくだらない番組→ドラマの再放送→夕方の情報番組→夜のくだらない番組→ドラマ→夜のニュース→深夜のくだらない番組→テレビショッピングと、同じようなプログラムが横並びでタレ流されている。

バカマスコミどもは、外に向かって「護送船団方式はもう通用しない」、「業界慣習による悪しき横並びを糺せ」と偉そうに批判するくせに、自分たちは横並びの護送船団体制を決して崩そうとはしない。

報道という特権に安住し、カルテル紛いの悪しき談合を繰り返す報道機関を厳しい世間の風に当てるため、一つの提案をしたい。
それは広告掲載媒体に対する掲載責任の厳格化と厳罰化だ。

新聞等の広告を見て購入した商品の性能や内容が虚偽であったため購入者が損害を受けた場合に、広告媒体である新聞社や出版社、広告代理店などが購入者に対して法的な責任を負うか、という問題は非常に曖昧で、パチンコ攻略法を載せた雑誌に尊大賠償命令が下った例はあるものの、大和都市管財抵当証券商法に関する新聞広告、ジー・オー・グループの詐欺商法のテレビCM、エンジェルファンド投資詐欺事件の雑誌広告、平成電電の出資者募集の新聞広告に関する事件などの大型案件では、新聞屋TVなどの責任が否定されている。
(http://stuvwxyz.cocolog-nifty.com/blog/KOUKOKU100823.html)

新聞は、社会の木鐸を自負する以上、記事と並列で掲載される商品・サービスなどの広告の品質保証にも相応の責任を負うべきであり、広告対象物の品質に関する広告媒体側の掲載責任と賠償責任を厳しく定めた法律の制定が必要だ。

日経新聞ですら紙面1ページ(A15段)の全面面広告料金は2,040万円もするが、これほど高額な料金をふんだくっておきながら、形だけの審査で社会的責任を免れようとするのは、あまりにも厚かましい。

しかも、新聞広告をよく見ると、一面や政治面といった目立つ場所に、怪しい新興宗教や精力剤、根拠のない健康食品、インチキ臭いスピリテュアル本の広告などが堂々と掲載されているが、クオリティペーパーを気取る言論媒体に相応しい内容だと自信をもって言えるのか?

時代遅れのフェイクニュース乱造誌の命脈は、単純計算であと40年ほどと推計されるが、一年でも早くこの世から消えても構わないと思っている。

2018年2月12日 (月)

貨幣(お金)の本質

拙ブログでは、開設以来、国民生活をより豊かにし、国富である生産力の維持向上を図るために、機能的財政論に基づく積極的な財政金融政策を、大規模かつ持続的に実行するよう訴えてきた。

機能的財政論という学術用語を使い、偉そうなことを述べているが、簡潔に言えば、政府は、政府紙幣でも日銀の国債直受けでもいいから、いますぐ財源論に終止符を打ち、政策論の実行に全力を投じるべき、つまり、「国民生活向上と国富増進のために、カネを刷ってでも、やるべきことをやり続けろ」ということだ。

いまは虫けら以下の存在に過ぎない機能的財政論だが、将来、何らかの僥倖を得てクローズアップされる機会があるとしたら、当然、国民はお金(貨幣)の意味や仕組みに関心を持ち、それまで何気なく使ってきたお金の役割を見直すことになるだろう。

そうした事態に備えて、今回は、貨幣に対する筆者の考えを改めて論じてみたい。


さて、お金(貨幣)とは何か? という疑問や問いには、既に様々な答えが用意されている。

もっとも有名なのは、ドストエフスキーの『金(貨幣)は鋳造された自由である』という辯だろう。

この短文には、二つの意味が込められている。

一つは、「貨幣は、自然発生したものではなく、人為的に造り出されたものである(=貨幣それ自体に価値はない)」ということ。

もう一つは、「貨幣には、それを持つ者の地位を引き上げ、不平等を解決する絶大な力を持っている(=平等の象徴的存在)」ということだ。

ドストエフスキーも述べているように、本来、貨幣は人為的かつ無限に製造できるはずだが、現実には、一般国民が保有する貨幣はごく僅かで、貧困や不自由な生活、不平等が解決されないというジレンマを抱えたままだから、ほとんどの国民は、彼の名言を素直には受け入れられないかもしれない。

ここで、さまざまな論者による「貨幣とは、何か?」という問へのアプローチをいくつか列挙してみる。

・発行者である国家の資産と期待収益を担保とした証券である

・取引や決済に即時に使用しうる資産のストックである。

・日銀の負債や借用書(日銀振出しの借金の証文)である。

・モノの貸し借りの記録が発展した借用書であり、常に誰かにとっての負債である。

・貨幣価値の拠り所や根源は、納税に使えるかどうかということに尽きる。

・貨幣価値の源泉は、貨幣が流通する国の生産力であり、その機能の本質は、物々交換を加速させることにある。

等々、いずれも一理あるものばかりだ。

総じて言えるのは、「貨幣は物々交換から自然発生的に生まれてきたもので、貨幣の発生は国家や法制度とは関係ない」と時代遅れの念仏を説く“貨幣商品説”を支持する者は皆無に等しいという事実だろう。

だが、筆者は、貨幣に負債性を課す考えには、ある意味頷ける部分もあるが、やはり全体的には違和感を拭い切れないのが正直なところだ。

確かに、日銀券(という貨幣の一種)が世に出回るためには、先ず日銀が市場から既発債を購入して、金融機関の日銀当座預金に代金を振り込まねばならない。

その際に、発行された日銀券は、国債という資産に裏付けられた“負債”だと解釈できるし、実際に日銀券はB/S上で負債勘定に計上されている。

また、別の側面から考えると、消費者や購買者から貨幣を手渡された生産者は、貨幣価値に応じた商品やサービスをほぼ強制的に提供せざるを得ないから、生産者側は、貨幣を差し出す消費者に、商品などの反対給付を強制されるという意味で“負債を負っている”と解することもできる。

日銀が決算書で日銀券(貨幣)を負債に計上しているのは事実だが、例えば、政府は硬貨(貨幣/政府貨幣)を負債計上されず、「造幣益」としてストレートに利益化している。

日銀は統合政府の一部として政府の通貨政策に組み込まれいるのだから、本来なら日銀券も、国債購入という手段を経ずに、硬貨と同じく、歳出の財源(政府紙幣)として直接発行し「発行益」として利益計上すればよく、わざわざへりくだって債務化しなくてもよい。

日銀券は負債扱いや債務扱いされてはいるが、現実に債務を履行する手段はと言えば、持ち込まれた貨幣を新しい貨幣に「交換」するしかなく、対価としてゴールドやプラチナを渡すといった形で債務を返済する術はない。
(※しかも、日銀の窓口では、破損した紙幣・硬貨の交換以外の両替には応じていない…)

つまり、日銀ができるのは、せいぜい両替・交換くらい(現実にはそれさえやっていない)で、一般的な意味での負債や債務とは程遠い。

念のためネットで「負債」の意味を検索すると、「他から金銭や物資を借りること。その借りたもの。また、債務」と解説されている。

よって、貨幣に負債性を課そうとするなら、
・貨幣が持つ債務や負債を最終的に負担するのは誰なのか?(国民なのか?)
・負債は、どういう形で(何をもって)返済すればよいのか?
・負債の返済期限は何時なのか、返済の対価は何か?
という点についても、解りやすく具体例に説明した方が国民の理解もより深まるだろう。

実際、学術的には「貨幣=負債」というのが正解なのは間違いないだろうから、あとは、経済政策の手段として貨幣を活用する際に、貨幣発行に負のイメージが付かぬよう、解りやすい説明や配慮が必要だろう。

こうした現実を踏まえても、なお、筆者は貨幣の負債性を認めてはいない。

そもそも、日銀券(貨幣)の発行に当たり、日銀は他から金銭などを借り受けているわけではないし、事実、誰かに何かを返済する義務も負っていないから、貨幣の負債性をやたらとクローズアップするのは、元々存在しない負債をことさら強調し、貨幣増発に対する国民のマイナス感情を徒に煽ることになりかねない。

また、日銀券の価値を担保するのは日銀が保有する国債だという論もあるが、担保である国債が最終的に何に換金されるかといえば、結局は「貨幣」に行き着く。

これは、ゴールドやプラチナ、株式、社債など他の資産でも同じことで、何を担保にしようと、資産価値を具現化する(=資産売却による価値の確定)ためには必ず換金せざるを得ず、最後は貨幣に辿り着く。

つまり、この世に存在するいかなる資産であれ、資産価値を確定できるのは貨幣しかなく、結局のところ、貨幣の価値を最終的に証明できるのも、やはり「貨幣」自身しかないのだ。
よって、貨幣の負債性を論じるのは、あまり意味がないように思える。


もう一点、貨幣価値を納税とリンクさせる論考も非常に解りやすい反面、これを社会法則として完全に敷衍できるかというと、やや疑問が残る。

例えば、江戸時代の徴税形態は、一部で金銭での納税が認められたものの、その主軸はあくまで“米”であったし、さらに歴史を遡れば、労役や物納による徴税が一般的だったにもかかわらず、徴税の主役ではなかった貨幣は、既に広く流通していた史実もあり、徴税権と直接リンクしない貨幣に価値はないと言い切るのは無理がある。

無論、幕府や大名などの領主は、集めた米を即現金化したので、米と貨幣がほぼ直接的につながっていた「米本位制」だと言えなくもないが、当時、徴税権と直にリンクしていたのは、一義的には米であって貨幣ではない。

また、貨幣は、江戸時代を通じて数度の改鋳による素材の劣化(金銀含有率の低下)があったにもかかわらず、信認度はほぼ安定していたし、仮に、道端に小判と一石の米を投げ置き、庶民にどちらを拾うか選ばせたとしたら、ほとんどの庶民は、納税に使える米ではなく、使用範囲が格段に高い小判の方を選択するだろう。

さらに、過去のアルゼンチンやブラジルみたいに、自国通貨よりも外貨である米ドルの方が国民に信用され広く流通する例が散見されるが、これも、納税に使えない貨幣(米ドル)の価値が強い信認を得た事例だと言える。

このように、納税機能と直結しない貨幣であっても国民の信認を得て広く流通するケースが確認されている以上、貨幣は納税に使えなくとも、消費や決済手段として十分に通用する可能性が極めて高い。


以上、“貨幣とは何か”を巡る議論について長々と論じてきたが、最後に筆者なりの意見を述べたい。

筆者は、「貨幣とは、何か?」という問いに対して、

貨幣が持つ、
・交換媒体(相互売買のための流通手段)
・価値測定尺度(価格決定のための共通基盤)
・価値貯蔵手段(貯蔵して後で使える)
という三原則を踏まえたうえで、

次のように定義する。

❶労働・生産・消費・法規や規範の順守という社会基盤や社会インフラに裏打ちされていれば、ほぼゼロコストで創造可能

❷人々に労働の動機と十分な所得を与え、生産者に生産や投資、人材育成、技術革新の動機を与える媒体

❸経済活動をフル回転させ、その循環速度を加速し、循環の輪を拡大させ得る唯一の存在

❹貨幣価値を担保するのは、生産力や消費力、遵法精神や社会規範の強さ、教育水準、科学技術力、経済活動を支えるインフラや流通網など、国家の堅牢性そのもの

❺貨幣を使った経済活動がもたらす利益の受益者は、常に国民である

よって、貨幣は神棚に上げて敬い拝むものではなく、実体経済に引き摺り出し、国民総出で、日々酷使すべきものなのだ。
なぜなら、貨幣を使えば使うほど経済力は強化され、供給力が高度化し、人々はより利便性や満足度が高い生活を手に入れられるのだから。

2018年2月10日 (土)

緊縮バカは政府の財布ばかり気にしてる

緊縮政策なんてのは民間から仕事や収入を奪うだけで、まさに「百害あって一利なし」の最たるものだが、「日本の借金は世界最悪、日本経済は破綻寸前」というのが巷の常識で、緊縮政策を賛美し、その先に待つ“不況地獄”への突撃を果敢に鼓舞する大バカ者が後を絶たない。

『日本の行く末を考える!国の借金1000兆円はどうなる?将来の年金は支払われるのか?』(kinko/フィナンシャルプランナー)
https://haitoukinko.com/syakkin1000tyouen/
「日本の借金が増え続けていることがとても怖いです。このままでは日本が破綻し、年金が支払われなくなるのでは?と不安を感じています。日本の将来はどうなるのか?対策はどうすればいいのか?を考えてみました。
貯蓄額は過去最高の1800兆円もあるものの借金も1000兆円越しです。毎年、国の予算案を見ていると税収入が57兆円に対して歳費が96兆円もあるのです。−39兆円も国債(借金)を発行しているのです。
一般家庭で言えば、570万の年収に対して960万も使っており、借金総額が1億円という勘定になります。普通なら数年で破綻します。よっぽど収入を上げるか、自己破産して借金を棒引きするかのどちらかしかありません。個人の自己破産は国の徳政令なのではないでしょうか?(略)」

まさに、緊縮礼賛主義者のテンプレート的な文章だが、こんな安っぽい緊縮詐欺にコロリと騙されるのは、女子供だけに限らない。
傍から見れば、雲上人みたいな高い社会的地位にあり、高い学識・収入を得ている人物ですら、怪しい緊縮詐欺師の片棒を担ごうとするものがゴロゴロいる。

彼らは、20年以上も緊縮教を拝み倒したのに、ご利益の欠片すら恵んでもらえないことに苛立ち、「祈願が叶わないのは、自分たちの信心が足りないせいだ。いや、バラマキを求める邪教のせいだ」と、まったく見当違いな行動に出る。

Kinko氏のブログを読み下すと、
●国は借金を踏み倒そうとして、「徳政令」か「ハイパーインフレ」を仕掛けるのではないか?
●財政再建は待ったなし。それには4つの方法がある。
①消費税を北欧並みの25%に上げる
②高額所得者が海外に逃げ出さぬよう所得税率は下げるか現状維持でよい
③企業が海外に逃げ出さぬよう法人税を下げる
④ドイツを見習い、国債発行を法で禁じて徹底した緊縮財政を断行する
なんて、呆れた妄言が並んでいる。
こんなものは、効果ゼロかマイナスにしかならぬことくらい、いい加減に解らぬものか…

Kinko氏タイプの思い込みが激しい緊縮信者は、どんなデータを目の前に突き付けても目を覚ますことはない。

日本国債は、その殆どを自国民が保有する自国通貨建て債券であり、通貨発行権や、量的緩和政策による日銀買取という手法で、いくらでも新発債や既発債を消化できる以上、わざわざ徳政令のような禍々しい下策を取る必要なんて何処にもない。

また、我が国の経済構造は、国債発行残高が1,000兆円を超えるのに、物価がピクリとも上がらず、日銀幹部やリフレ派の連中がやきもきするほど深刻なデフレ体質(=重度の需要不足)に悩んでいるのに、真逆のハイパーインフレを心配するなんて、現実を知らぬ異次元のバカとしか言いようがない。

彼女は、消費税を25%に上げろ(# ゚Д゚)と息巻くが、我が国でも消費税を導入して30年近くなるのに、サラリーマンの平均収入はピーク時より12%も落ち、財政再建どころか1993年以降、24年連続で財政赤字を続けている。

消費税を擁護する人種は、たとえ税を徴収しても、歳出を通じて再配分されるから景気への影響は中立だと言い張る。

だが、毎日買い物するたびに税負担を実感せざるを得ないのに、そのリターンが来る(かもしれない)のは、早くとも数カ月先で、しかも、給与明細には「総支給額のうち、消費税を財源とする事業分は○○円」なんて書かれていない以上、国民が消費税に負担しか感じないのはやむをえまい。

また、景気にプラスではなく、「中立」でしかないのなら、国民の反発を踏みにじってまでやる必要はないし、消費税導入以降の我が国の名目GDPの大停滞ぶりを見ると、中立どころか、どう見てもマイナスでしかないことくらい小学生でも解る。

消費税率が3%→5%→8%へと上がるたびに、消費者は罰金を科されたような感覚を覚え、実質所得を毀損した気分になる。

消費税導入以降、名目GDPの個人消費支出が、税率引き上げによる強制徴収があったにもかかわらず、名目数値が殆ど伸びていないのは、明らかに消費税という消費へのペナルティのせいだ。

kinko氏は、これを25%に上げろというのだから、本当に頭がおかしいとしか思えない。
10万円のPCが12.5万円に、200万円の自動車が250万円もするバカげた消費市場に国民が我慢できるとでもいうのか?

消費税が25%も掛かれば、高額商品を発端に消費市場は総崩れとなり、経済は間違いなくクラッシュするが、緊縮信者の連中は、そうまでして財政再建に固執する理由を、きちんと説明できるのか?

彼女みたいな緊縮信者のズルいところは、一般国民には消費税負担を強いておきながら、高額所得者や企業のような強者には甘い顔をし、手ぬるい対応を取ろうとする点だ。

所得税の累進課税を強めると金持ちが海外に逃げ出す??
法人税を下げないと大企業が国外逃亡する??

金持ちだろうが、大企業だろうが、税金を払いたがらないような穀潰しの売国奴は、海外にたたき出すべきじゃないか?

国民に税率25%もの罰金を科そうとするのと同じ口で、金持ちや大企業には“お客様のようなVIPには、税金をお支払いいただかなくて結構ですよ”と揉み手で諂う己の醜悪な姿を恥ずかしいと思わないのか?

まさに、小人閑居して不善をなすの如しで、教養のない人間が暇を持て余すと世の為にならぬことばかりやらかすものだ。

緊縮信者や緊縮バカの脳内には、常に政府の財布しか映らない。
彼らが多額の国債に怯え、財政再建に目の色を変えるのは、政府の金庫がカラになると国家が破滅すると思い込んでいるからだ。

マクロ経済の循環において、政府の財布なんて、税や歳出が通過するだけの一時的な待合室みたいなものだから、それをことさら豪華に飾りつける必要はない。

民間経済主体、つまり、生産活動に直接従事し、国富を支える国民や企業の懐さえ豊かになれば良いのであって、通貨発行権という“ルールを超越した大権”を有する政府の懐具合を気にし、バランスシートを健全化するなんて何の価値もない。

国民や企業という主要プレーヤーが、気持ち良く生産に没頭でき、より高度かつ革新的な国富を生み出し続けられるよう、聖域なき持続的な財政金融政策を打ち、生産力を支えるエネルギーや栄養分となる需要力(売上や所得)を供給し続けるのが政府の役割なのだ。

2018年2月 8日 (木)

財政政策を嫌うのは経済音痴の証拠

マスメディアやネット上で政治・経済・社会問題を偉そうに語る論者は絶えないが、知識人ぶる連中に限って経済問題には極めて無知・無関心で、小学生レベルの認識しか持ち得ていないのは非常に嘆かわしい。

特に、大学教授や新聞の論説委員、マスコミOB、文芸関係者辺りの「霞を喰って生きてきた暇人」は、経済問題を意図的に避けたがり、“日本の財政赤字は世界最悪、財政支出は悪”とさえ言っておけば格好がつくと思い込んでいる。

今回は、そんな暇人の書いた二本のコラム(自ブログの転載記事)をご紹介したい。

『財政危機に米国は苦悶、日本は鈍感』(1/23 アゴラ)
http://agora-web.jp/archives/2030667.html
『国民の楽観主義を生む経済目標の偽装』(1/28 アゴラ)
http://agora-web.jp/archives/2030755-2.html

いずれのコラムも元読売新聞記者の中村仁氏によるものだが、さすがは “平均”年収1500万円と言われる新聞最大手出身で現役時代にカネで苦労したことがないせいか、実体経済の基本をまったく理解せず御高説を開陳している。

中村氏の云いたいことをまとめるとこんな具合だ。

・OECD主要国における予算・財政の透明性が1位のアメリカですら予算成立に苦労しているのに、国の借金が1,000兆円を超える日本がPB黒字化目標を先送りするなんて信じがたい。

・財政再建に必要な経済成長率3%はおろか、2%さえ達成は危うい。無理して財政拡大をすべきでない。

・黒田日銀による異次元金融緩和政策は実質的な財政ファイナンスで財政規律を弛緩させる。

・政府は日銀に国債を買わせることを止め、社会保障改革と消費税10%への引き上げに今すぐ取り組め。

・憲法改正に財政健全化の条文を盛り込み、政権が恣意的に運用できぬよう歯止めをかけるべき。

中村氏は、コラムの随所でアベノミクスによる景気回復話は単なる与太話だと批判しており、その部分については賛意を表したい。

だが、安倍政権の経済運営を批判する論者にありがちな、「安倍首相は野放図に財政支出を拡大している」、「日銀を丸め込んで財政ファイナンスに手を染め、財政規律の破壊を狙っている」、「増税やPB目標カードを駆使して、財務官僚の首根っこを押さえている」といった妄想に囚われており、批判の矛先があらぬ方向に逸れている。

中村氏は、緊縮的改革論が大好きな安倍首相に、なぜか“財政拡大派”のレッテルを貼り、財政再建を阻害する危険人物だと言わんばかりだ。

彼は元新聞記者でありながら、安倍首相や与党の連中が、憲法改正案に財政規律条項を盛り込もうとし、経済財政諮問会議の場でも、ことあるごとに聖域なき社会保障改革(=社会保障の劣化)や歳出削減を叫んでいることすら知らぬらしい。

現在、安倍首相や与党の経済運営を巡り、論壇は二つの意見に割れている。

一つは、「金融政策のお陰で、雇用改善!株価上昇!アベノミクスは大成功! でも、土方が足りないから財政政策なんてやる必要ないよね? なんか文句あるか(# ゚Д゚)」という楽観派。

もう一つは、「安倍首相は日銀と結託して財政ファイナンスで財政赤字を垂れ流そうとしている。このままでは日本は財政破綻を免れない。増税だ!社会保障カットだ! 財政政策なんて止めてしまえ! なんか文句あるか(# ゚Д゚)」という悲観派だ。

一見、真っ向から対立の様相を呈しながらも、両派は、「現実の経済状態や安倍政権の経済方針を思いっきり誤認している点」と「財政政策を徹底的に嫌悪している点」の二点を共有しており、まさに、“大同小異”の関係にある。

おまけに、
・財政支出を止めたまま、“財源は見当たらないけど、とにかく分配しろ”と騒ぐ小学生やポエマー
・根回しすらできず、経済観念がチンパンジー未満の野党議員(与党議員は野猿未満)を煽動しろとキレる幼児的万能感まみれのお坊ちゃん
・“輸入を増やせば経済成長する”、“ストックはフローに廻らない”という迷言を騙るシロウト(※似非本の在庫山積み)
等々、有象無象の役立たずどもが跋扈するから、論議の質は劣化と低下の一途を辿っている。

件の中村氏は、“安倍政権は緊縮への取り組みが足りなさ過ぎる”と憤る悲観派に区分されるが、彼が唱える「改正規律の厳守や増税・社保負担増の完遂」の先に、どういう経済環境や国民生活が待っているのか、まったく想像できていない。

消費税を10%→15%と上げ続け、年金支給を遅らせ医療費負担を増やし社会保障を劣化させ、地方交付税交付金や公共投資を削り、その結果、財政を健全化させたとして、いったい国民にどんなメリットがあるというのか、中村氏は理論立ててきちんと説明すべきだ。

政府・日銀のバランスシートや通貨の信認だけを気に掛けて財政支出を絞り込むと、実体経済に放出される資金(売上や所得になるおカネ)が企業や家計の期待を下回り、収益や所得の逓増予想をしづらくなって自然と支出が抑制され、長期的視野に立った投資や消費増進の芽が摘まれてしまう。

一部には、日本の財政支出は膨張し続けていると寝惚けたことを抜かすバカもいるが、国債費を除く当初予算ベースの増え方は、まことに微々たるもので、まったく積極性が感じられない。

年度終盤に慌てて補正予算を組み、さも経済対策をやったかのように装うのも稚拙なやり方で、所詮、補正は補正ゆえに、企業・家計・マーケットの心理に長期的成長期待を根付かせることができず、成果のない“やっつけ仕事”で終わってしまう。

政府は堂々と前年比2~3割増しの積極的な当初予算を組み、地方交付税交付金や公共投資、社会保障費に多額の資金をぶち込み続ける強い意志を示すべきだ。

家計や企業の消費・投資心理は、黒田バズーカという異次元金融緩和には大した反応を示さなかったが、積極的な財政支出には間違いなく反応する。
「返済を要するおカネや他人の懐に入っているおカネ(金融緩和が生み出すマネー)」と「自分が自由に使えるおカネ(財政支出が生み出すお金)」との間には、消費・投資の誘因効果に格段の差があるからだ。

中村氏のように、金銭に対するつまらぬ倫理観に拘泥して経済の基本を学び忘れた輩は、どうせ暇なんだろうから、財布の中にある紙幣や小銭をまじまじと眺め、それがどこから来て、どこに行くのか、貨幣というものが何のために存在しているのか、じっくり考えてみることをお勧めする。

2018年2月 5日 (月)

財源論は終わりにしよう

先の国会で平成29年度の補正予算が成立したばかりだが、総額はたったの2.7兆円と、あまりにも小粒で情けなくなる。

だが、これとて国民から、バラマキだの、無駄遣いだの、国会議員や公務員の給料削減が先だのと、アホな批判に晒されるありさまだ。

筆者は、以前から、機能的財政論に基づく積極的かつ持続的な財政金融政策の発動を主張してきた。

なぜなら、我が国には、政策論を放り出して財源論に固執したがる緊縮主義が蔓延るせいで需要力が消失しかけており、それを養分とする供給力や技術力(=国富)が著しく弱体化していることに強い危惧の念を抱いているからだ。

「財源論はもういい、そんなくだらぬ話は聞き飽きた。もっと国民や企業が豊かになる話をしよう!」というのが筆者の議論の起点であり、その要点を外した愚者と議論する必要性なんて1ミクロンたりとも感じない。

機能的財政論は、歳入の財源として「貨幣増発が主、税金や社会保障料などは従」というのが基本的な考え方であり、これまでのように税を主軸とする財源論に拘泥しない。
むしろ、税に対しては、財源としてではなく、社会的不公正を是正するためのスタビライザーや、高インフレ招来時の消火剤として期待している。

必要な財源は、インフレ率や為替相場を睨みつつ貨幣増発で賄うから、財源論など端から気に掛けず、何をすれば国民の生活レベルがUPするか、どういう政策を打てば企業の経営力が向上するか、という政策の中身を詰める政策論を優先させるべきなのだ。

日本人は世界に類を見ないほど現金(貨幣)好きだと言われ、毎日のように硬貨や紙幣を触っているくせに、機能的財政論とか、貨幣増発なんて話をすると、うさんくさいバカ話に聞こえるのか120%怪訝そうな顔をし、聞く耳を持とうとしない。

財務省は毎年2,000億円以上の硬貨(=政府紙幣)を発行しており、下記のURLを見れば判るが、平成29年度は2,672億円もの貨幣が“製造”される計画だ。
【参照先】http://www.mof.go.jp/currency/coin/lot/2017kaheiseizou-henkou2.html

貨幣を神聖視したがる緊縮信者たちが聞いたら、怒りのあまり卒倒するかもしれないが、通貨発行権を持つ国からすれば、貨幣なんて所詮は安いコストで鋳造できるモノでしかないのだ。

貨幣製造に要する原材料コストと発行額面との差額こそが「通貨発行益」であり、国庫収入、ひいては国民の利益になるのだが、こうした事実を意図的に偽装する輩もいる。

貨幣増発に反対する連中は、通貨発行益の定義を「名目金利×実質貨幣残高(マネタリーベース)」だと勝手に捻じ曲げて、通貨発行益など無益だと吹聴している。
【例】
「政府紙幣発行で財政再建可能」のウソ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110726/221685/
「政府・日銀の通貨発行益 財政再建に活用は困難」
https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/oguro/06.html

こうした嘘つきどもの主張はこうだ。
①日銀が発行した通貨で購入した国債の利子、つまり、日銀が国債金利から得る「名目金利×実質貨幣残高」だけが通貨発行益になる。

②しかし、通貨発行益から諸経費を差し引いた国庫納付金の規模は、せいぜい数百億から数千億円程度に過ぎず、GDP比で0.1%にも満たない。

③この程度では、消費税や所得税といった基幹税とは比べものにならない。

④しかも、この超低金利下では名目金利=国債金利もゼロ近辺に下がるから、通貨発行益もゼロに近くなるから、財源の充てにはできない。

彼らは、「通貨発行益=日銀保有国債の金利収入」だと定義の入り口段階で大ウソをつく。通貨発行益の存在感を小さく見せ、財源として役立たないというレッテルを貼りまくり、税が歳入の主役の座から引き摺り降ろされるのを防ごうと必死なのだ。

だが、通貨発行益の本質は、国債金利のことではなく、あくまで硬貨や紙幣の原料コストと額面金額との差額のことを指し、一万円札みたいな高額紙幣ほど差益が膨らむことになる。

また、嘘つきどもは、「通貨発行益=日銀の財務上の利益」であるかのように騙っているが、これも間違いだ。

通貨発行益を享受するのは、日銀でも日銀官僚たちではなく、ましてや政府でもない。
通貨発行益を最終的に享受するのは、貨幣増発による財政政策を通じて仕事や所得を得る企業や家計、つまり、国民なのだ。

貨幣増発を嫌うバカ者は、通貨発行益の行く先が国民であることに気付けないから、見当違いな定義づけをし、くだらぬ財源論で永遠にループし続ける愚を犯してしまうのだろう。

財源論はもういい。
一銭の得にもならぬ話は止めて、国民が豊かになる話をすべきではないか?

2018年2月 1日 (木)

消費は経済を映す鏡

1月25日にアップしたエントリー『不安を期待に変えるには「おカネ」が必要』(https://ameblo.jp/kobuta1205/)に、ryuzou1200さんから次のようなコメントを頂いた。

「私は地方住まいですから、景況感のひとつとして近隣の住宅にある車を見るんですよ。
そうすると、何年も買い換えてない車が結構多いことに気付きます。買い換えてもダウンサイジングだったりエコカーだったりします。車は好きなのを買うぜ!みたいな勢いはありません。(略)
私が最も懸念しているのはデフレしか知らない世代が社会人になり始めていることです。
教習所の先生に聞くと、免許を取りにくる若者の大半が「車は乗れたらなんでもいい」というんだそうです。
彼らは旺盛な消費を知らずに大人になっていますから、そのマインドを変える景況感というのは相当なパワーと年月が必要だと思います。
デフレマインドを変化させるパワーとはお金しか無いでしょう。とにかく金・金・金です。(略)」

ryuzou1200さんのように、身近な事象や体験にアンテナを張り、ミクロとマクロの視点から経済を俯瞰なさっている姿勢には、大いに敬意を表したいし、筆者も見習いたいと思う。

さて、経済論壇やネットには、「株価がバブル崩壊後最高値!」、「完全失業率は2.7倍、これで完全雇用達成だ!」とアベノミクスの成功を信じて疑わぬ声が溢れている。

一方、市井の声を拾ってみると、「アベノミクスの恩恵なんて、いったい誰の話?」、「給料が上がってないのに、ガソリンも食べ物も高くて生活が苦しい」、「何もかも高くて、積極的に物を買う気になれない」といった愚痴や嘆き節ばかりが耳に入ってくる。

取引先の中小・零細企業経営者に話を聞いても、「仕事はあるが安いものばかり」、「仕入値や修繕費が高いけど、元請に価格転嫁できない」、「人手が足りないけど、売上が冴えないから、時給を大幅には上げられない」といった元気のない答えが目につく。

我が国の企業数の99%以上、従業員数の70%以上を中小零細企業が占めており、仮にアベノミクスが成功したのなら、まず中小零細企業や一般の国民から威勢の良い声が聞こえてきて然るべきだが、実際に聞こえてくるのは不満と文句ばかりだ。

アベノミクスの成否に対する筆者の見解は、
・「構造改革・緊縮財政・規制緩和」を主軸とする経済政策は小泉改悪と大差ない
・金融政策偏重が過ぎ、財政支出に積極性を欠くことが、実体経済からインフレ期待の芽を摘んでいる
・旺盛な外需のお陰で経済は何とか現状維持
・官製春闘の意義は認めるが、長期不況に対してたった3%の賃上げはあまりにも力不足
・人手不足が騒がれる割に雇用条件はたいして改善せず、非正規化と質の劣化が進行
・2019年秋の消費税再増税を控え、消費の潜在的再下降リスクを内包
といったもので、この程度なら安倍首相でなくともやれる、端的に言えば、「大した成果を上げていない」としか評価できない。

ここで、冒頭にご紹介したryuzou1200さんの「ご近所で車の買い替えが進んでいない」というご指摘に着想を得て、関連するデータを拾ってみる。

ここ数年の乗用車買い替え平均年数(二人以上世帯)を調べてみると、2007年/7.0年→2012年/8.1年→2017年/9.0年と右肩上がりで長期化している。
ちなみに、1975年は3.3年、1983年なら4.5年だったそうで、「景気が良かったころは3~4年で新車を買い替えたものだ」というオッサンの昔話もまんざら嘘ではない。

それにしても、乗用車の買い替えサイクルが9年ということは、車検4回分のコストを払ってでも、新車を“買いたくないor買えない”ということで、国民の消費力減退は本当に重症だ。

確かに筆者の近所でも、アウディやレクサスへの買い替えもたまに見かけるが、未だにバブル期やそれ以前の懐かしい旧車が結構目につく。

だが、買い替えサイクルが長期化しているのは自動車だけではない。
✅パソコン:2007年/4.6年→2012年/5.8年→2017年/6.8年
✅テレビ:2007年/9.4年→2012年/8.9年→2017年/9.3年
✅エアコン:2007年/10.4年→2012年/11.9年→2017年/13.6年
といった具合に、いずれも長期化している。

耐久消費財全般の物価指数は、少なくとも1995年以降長期下落トレンドにある、つまり、実質価格が安くなってお得感が増しているのだから、5年にも及ぶアベノミクスが成功しているとしたら、本来、買い替え需要が過熱し、サイクルが短期化しなければおかしいのだが、現実は真逆になっている。

アベノミクス礼賛者は、現実から目を背け、「流行を追わずモノを大切にする消費者が増えた」、「人々の嗜好が多種多様化したせい」と言い訳するが、何の説明にもなっていない。

彼らが不作為のまま経済活動を野晒しにするこの瞬間にも、ryuzou1200さんが危惧するように、「デフレしか知らない世代」、「旺盛な消費を経験してない世代」が、好況を体験する機会を得られぬまま増え続けておる。

こうした世代を“嫌消費世代”と呼ぶ識者もいるが、筆者の認識は違う。
彼らは消費を嫌っているわけじゃなく、不況の波が直撃し、“まともな雇用と所得に嫌われた”だけの世代なのだ。

彼らは好況を体験していないせいか、おカネを尊び、消費には非常に慎重かつシビアだから、“○○手当”のような一時的消費刺激策を打っても、景気の先行きに疑いの眼差しを向け、せっせと貯め込もうとする。

彼らの強い警戒心を氷解させるには、実際に雇用の質を上げ、収入が将来にわたり増え続けるのだと確信させなければならない。
そのうえで、「経済成長は国民生活向上に欠かせぬもの」、「下請け業者や労働者へ適切な収益分配を行うのは当然だ」という常識を浸透させないと、日本の後進国化は止まらない。

世界第三位の経済大国に暮らし、世界一の自動車製造技術を有する我々が、10年近くも車を買い替えられないなんて、あまりにも情けない話ではないか。


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