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2018年3月

2018年3月30日 (金)

負担付きのBIはニセモノ

『"全国民に月7万円"は日本を救う最善手だ~「AI失業」の危機に備えるために』(3/23 PRESIDENT Online 井上智洋/駒大経済学部准教授)
http://president.jp/articles/-/24700

コラムの中で、井上准教授はベーシックインカム(BI)導入に賛成していることを明言したうえで、その目的について、「将来的には人間と同じような知的振る舞いをする汎用人工知能が完成し、あらゆる労働が人工知能とロボットに代替される可能性があります。 (略) そのような未来が訪れたとき、ほとんどの労働者は仕事がなくなります。AIによる技術的失業、いわゆる「AI失業」です。(略) 労働者は賃金を得られないため困窮します。それを放っておくわけにはいかないので、新しい社会保障制度としてベーシックインカムを導入するしかなくなるのです」と述べている。

つまり、彼は、人間の労働が人口知能やロボットなどに取って代わられることで起きるAI失業という将来的なリスクに備えるために、BIを導入すべきと訴えているのだ。

井上氏のBI構想は、国民1人月7万円の給付で年間100兆円ほどの財源が必要になるとしたうえで、基礎年金の政府負担、児童手当、雇用保険、生活保護、所得控除などの撤廃や25%の所得税増税、相続税増税、資源税導入という国民や企業負担増加により財源を賄うものだ。

さらに、月7万円のBIを、税金を財源とした社会保障制度としてのベーシックインカム(固定BI)と、貨幣発行益を財源とした景気によって給付額が変動するベーシックインカム(変動BI)の2階建てにしようと提案している。

井上氏の貨幣発行益を財源とする消費刺激策としての「変動BI」の考え方は、筆者の主張と軌を一にするものであり積極的に賛同したい。

彼は、「いまのようなゼロ金利(マイナス金利)経済においては貨幣を発行し続けてもインフレは起きにくいと言えます。政策金利をゼロやマイナスにしても企業が銀行からお金を借りなくて、市中にお金が出ていかないからです」と述べ、緊縮主義者が好む「貨幣発行=ハイパーインフレ論」がまったくのデマであることを喝破している。

また、「長期的には貨幣成長率を技術進歩率(生産性の上昇率)と同程度にすれば、インフレ率はおよそゼロになります。技術進歩の分だけわたしたちは、インフレを起こさず、お金を増やし、配ることができるのです。つまり、貨幣発行益の持続的な源泉は技術進歩であるということができます。(略) 消費する人がいなければ、経済は成長できません。そこで供給の拡大分に応じた需要をつくるために変動BIでお金を配るのです。」とし、貨幣発行益が技術進歩を促すきっかけとなり、技術力向上による生産力や供給力の拡大が、高インフレを防ぎ、貨幣発行(貨幣価値)を担保するという消費と生産の好循環を作ることの大切さをきちんと理解している。

さらに、「「もう経済は成熟していて、消費は飽和している。お金を配ったところで、商品の購入は増えない」と言う人もいます。しかし、本当にそうでしょうか。その理屈は一部の富裕層にしか当てはまらないでしょう。中間層以下の消費はいまなお飽和していません。わたしの教え子の学生たちは、数万円をポンと渡されたら、洋服を買ったり、友人とごはんを食べに行ったりする回数を増やすでしょう。数万円なんて、という人でも数十万円だったらどうでしょう。すべて貯金にまわすという人はむしろ少ないのではないでしょうか。お金をじゅうぶんに持っていないために買いたいものが買えない消費者が存在する限り、市中に出回るお金を増やす政策は効果を失いません」と主張しており、“日本のような成熟社会で消費は増えない”、“給付金は貯蓄に回るからムダ”という愚論を否定している。

と、ここまでは良い。

だが、もう一方の増税や社会保障負担増を財源とする「固定BI」は、まったくの下策で、BIを既存の社会保障制度の切り下げとトレードオフの関係に置くことは、BIに対する国民の警戒心や反発を招くだけの誤った考え方でしかない。

彼自身がコラム中で、「ベーシックインカムは個人に対して給付されるため、子どもの多い世帯ほど給付額が多くなります。所得が多く、子どもが少ない(もしくはいない)世帯は純負担が発生します」と述べているとおり、子供の有無や所得の多寡でBIの恩恵や増税による負担感にバラツキが生じると、当然、世帯間や世代間・階層間の感情的な対立が煽られるから、BIに対する反発を買うだけで制度導入の大きな障害になるだろう。

井上氏の提案のうち、固定BIは全削除し、後段の変動BIのみ実行するだけでよい。

彼は、BI導入の目的をAI失業への備えとしているようだが、それは違う。

BI導入の肝は、
①誰の腹も傷めぬこと(既存の社会保障制度は温存したまま)
②家計の実質所得水準引き上げによる消費力強化(=需要拡大)を目的とすること
③現状の家計所得水準の低さは歴代政権の経済失政による人災であり、早急なる改善を要するという認識を国民が共有すること
の三点にあることを再認識すべきだ。

2018年3月27日 (火)

規制緩和好きほど経済を知らない

世に知識人を称する者は多いが、知識や見識を自慢気に騙る人間に限って「経済の理」には無知か無関心なものだ。

『財政施策よりも金融政策よりも、遥かに効果的な経済政策とは!』(アゴラ 弁護士 荘司 雅彦)
http://agora-web.jp/archives/2030599.html
「(略) 日銀がいくら金融緩和をしても、市中銀行が融資をせず、また企業側も積極的に融資を求めないので、市中に出回るマネーは増えません。トリクルダウンが生じないのは当たり前です。財政政策や金融政策といった伝統的な景気刺激策が功を奏しない今、最も効果的な政策は「規制緩和」だと私は考えています。(略)
海外では、ライドシェアや民泊、自動運転、その他さまざまな分野で新しい技術や産業が実用化されつつあります。
国内の多くの無用な規制は、新しい産業や企業の成長を阻害しています。解雇規制もその一つです。厳格な解雇規制があるからこそ、雇う側は慎重になるのです。「試しに雇ってみるか」という環境になれば、人材流動化が進んで成長産業に有為な人材が集まるでしょう。受け皿がたくさんあるので、失敗しても大きな不安はありません。(略)」

このコラムを書いた荘司氏は弁護士だそうだが、その経済無知ぶりには呆れ返る。

彼は、財政政策も金融政策も無駄、建築物の容積率緩和さえしておけばバブル発生や崩壊はなかったと主張し、規制緩和こそ最高の経済政策だと断言する。

だが、コラムには、金融緩和に期待された効果が融資資金への需要不足により根詰まりを起こしている点を指摘してはいるものの、財政政策が効かないことを立証できる具体的な記述は一切見当たらない。

本来なら、金融緩和効果を相殺する病原である需資の減退を是正すべく、企業投資を誘発させるために積極的な財政支出を支持すべきなのに、そうした王道的解決経路から逃げ出し、大した効果もない規制緩和を声高に叫ぶありさまだ。

荘司氏は、海外発のライドシェア・民泊・自動運転を引き合いに出して規制緩和を美化しようとするが、実に幼稚な発想としか思えない。

我が国では、既にカーシェアリングやタクシー事業、シェアサイクルなどの類似事業が、あまりの需要不足により瀕死の状態にあり、民泊や自動運転なんて法整備や住民感情の問題など課題が多すぎ、短期的には全国規模の事業化はとても見込めない。

彼のような感情優先型の規制緩和論者は、常に供給サイド(事業者側)の視点や都合ばかりでモノを騙りたがる。

しかし、国内でも一部事業化しているライドシェアや民泊がいまひとつパッとしない原因は規制云々のせいではなく、単にサービス自体の魅力度が低過ぎたのと、期待した需要家(潜在的消費者)の財布の中身が窮乏していただけに過ぎない。

国民の懐具合が豊かなら、もっとタクシーを使うだろが、現実に収入が大して上がっていないから、中途半端な相乗りにカネを払う気も起きず、無理して歩かせざるをえないのだ。

荘司氏の論で最も唾棄すべきなのは、あまりにも無遠慮に解雇規制緩和を主張している点だろう。

“厳格な解雇規制があると雇う側は慎重になる。もっと気軽に解雇できれば雇用しやすくなり、人材流動化も進み成長産業に有為な人材が集まりやすくなる”といった類の醜悪なフレーズは聞き飽きた。

しかし、人材流動化の極致とも言える外食業界では、特に厳格な解雇規制を設けていないが、経営サイドが解雇する前にパートやバイトが勝手に流動化し、有為な人材が集まるどころか、いつも人手不足でヒィーヒィーぼやいているではないか?

また、彼は「(解雇され会社を放り出されても)受け皿がたくさんあるので、失敗しても大きな不安はありません」なんてほざいているが、そこにある“受け皿”なるものは、フルタイムで時給900円(交通費込み)貧乏バイトくらいが関の山だ。

当然、ボーナス制度も無くなるだろうから、年収の大幅減少→個人ローン制度の崩壊→不動産・自動車など高額商品の販売量激減→大手企業の凋落→失業者大量発生→低賃金労働の蔓延→後進国化という負のスパイラルに陥ってしまう。。

人材流動化の実態は、社会経験の未熟な荘司氏が夢想するほど甘いものじゃない。
・技術・営業・企画・開発・購買・管理・物流・総務・法務等々、経営や事業に係るあらゆるノウハウの継承の途絶
・自己利益優先の足の引っ張り合いや手柄の横取り合戦の横行
・脆弱な雇用条件と引き換えに、社員の無責任体質や責任回避思考の蔓延
・営業データや秘匿技術の持ち逃げ
など、会社を食い物にする連中を増やすだけに終わるだろう。

規制緩和程度で景気が回復するなら、とうの昔に日本は力強く成長し、国民所得も増えているはずだが、現実は見てのとおりだ。

荘司氏のような人種は、「経済とは、国民生活向上のために、モノやサービスの生産と貨幣による消費との交換行為を永続的に拡大させ続けること」という基本を知らぬから、貨幣の活用・循環・分配を嫌い、カネを使わずに経済を騙ろうとするから、何千年経っても答えを出せないのだ。

彼の所属する弁護士業界が、法曹養成制度改革という名の規制緩和の影響で弁護士過剰問題に直面し、年収300万円にも満たぬ貧乏弁護士を激増させたことを忘れたのか?

規制緩和を絶対視していきり立つ連中は、内閣府の「国民生活に関する世論調査」結果をよく見ることだ。
【参照先】http://www.garbagenews.net/archives/2380918.html

昨年7月の調査結果から、政府に対する要望項目をチェックすると、「規制緩和・新規産業の育成」という回答はたったの9.2%(複数回答可)に止まり、全33項目のうち30位というまことに寂しい結果だった。

マスコミや識者の手前では規制緩和に頷く国民も多いかもしれないが、その本音を探ってみると、規制緩和への期待や要望なんてゴミ程度の扱いでしかないことが判る。

ちなみに、同調査の上位は、
①医療・年金等の社会保障の整備65.1%
②景気対策51.1%
②高齢社会対策51.1%
④雇用・労働問題への対応37.3%
という結果で、規制緩和万能主義者の思惑とは裏腹に、いずれも財政金融政策の手助けが必要なものばかりではないか??

まぁ、実際に訊いてみると、「医療・年金等の社会保障の整備=無駄な公共事業を削って予算を確保しろっ‼」といった類のトンチンカンなコメントが返ってくるかもしれないが…

2018年3月23日 (金)

カネを惜しんで、衰退を厭わず

『安倍政権「富の先食い」政策は、もう限界だ~労働市場改革は頓挫、金融・財政頼みの弊害』(東洋経済ONLINE 星 浩 : 政治ジャーナリスト)
http://toyokeizai.net/articles/-/211246
「私がキャスターを務めるTBSの報道番組「NEWS23」で、黒田東彦日本銀行総裁の再任にからむ経済問題を取り上げた。その中で、就職活動中の学生が給料の使い途を聞かれて、「老後の蓄え」と答えていたのは驚きだった。日銀は金融緩和路線を続け、安倍晋三政権は財政規律を軽んじて景気対策を重ねる。にもかかわらず、物価は上がらず、消費も拡大しない。将来不安を抱く人々は踊らされず、「老後」を見据えているのだ。(略)」

緊縮派&構造改革派の論客でもある星氏のコラムは、この後で、
「政府の財政出動で借金が膨らむ中、国民には「いずれは国債も償還しなくてはいけないし、借金も返済しなければならない」という将来不安が募っている。その不安心理が重くのしかかり、人々は貯蓄を続けて、消費は増えない。」
と続き、予想通り緊縮政策の堅持を訴える方向にズレて行く。

だが、いまの若者や働き手世代が消費よりも貯蓄や節約に強い関心を持っている、いや、持たざるを得ないのは紛れもない事実であり、これが消費にとって重い足枷になっている。

こうした現状を踏まえて、日本経済にとって最大の病根である『深刻過ぎる需要不足』を治療せねばならぬと、筆者は長期的かつ積極的な財政金融政策の発動を訴えてきた。

それは、『深刻過ぎる需要不足』を放置し病状を悪化させると、その先には『供給力の破壊』という取り返しのつかない最悪の厄災が待ち受けており、日本がこのレッドゾーンに足を踏み入れるのを真剣に心配しているからにほかならない。

需要と供給の問題は常に表裏一体であり、どちらかの不調は、必ずもう一方の劣化につながるから、双方を疎かにはできない。
買い手がいるから作り手は安心してモノを作れるのだし、作り手が便利なモノやサービスを提供してくれるからこそ買い手の生活はより豊かなものになるのだ。

筆者が需要不足解消に向けて唱える政策の主軸は、
①公共投資の促進による生活基盤や生産基盤の維持更新
②減税や社会保険料・医療費などの国民負担の軽減
③既存の社会保障制度と併存する形の給付金による実質所得底上げと需要力強化
の三点であり、緊縮主義者や構造改革主義者の連中の眼には、“身の毛のよだつたちの悪いバラまき”としか映るまい。

①に対しては、ムダ遣いだ、建設作業員の人手不足をさらに逼迫させる、インフラ投資をやっても庶民にカネは廻らないと文句を言われる。

②には、財政再建を放棄するのか、国の借金の深刻さを理解しているのかと揶揄される。

③にも、ベーシックインカム的な給付金は国民から働く意欲を奪い総生活保護化につながる、既存の社会保障制度が破壊されると批判を受ける。

だが、こうした批判や反論をする論者は、「需要不足という病」への認識や危機感が甘過ぎるし、正解が複数あるはずの政策の選択肢を狭め「Aか、Bか」の二者択一論でしかモノを考えないから、政策のバランスに偏りが生じ、庶民の生活再建への目配りが不足しがちになる。


特に、ベーシックインカムは、新自由主義者(リフレ派含む)が既存の社会保障制度の廃止とセットで騙ってきた経緯があるがゆえに、社会保障制度の簡略化的な意味合いに誤解されがちなのは非常に残念だ。
新自由主義者のいうベーシックインカムなど、社会保障コストを切り詰めたいだけのインチキ論に過ぎず、既存の社会保障とセットで行ってこそ本物と呼べる。

また、ベーシックインカムは行き過ぎた弱者救済制度であり、国民が十分な所得を得る機会を奪うとの批判もあるが、企業の労働分配率が上がらぬ原因は、マーケットの需要不足による受注収益率の低下と、経営者の資質や意識の問題であり、ベーシックインカムとは別次元で語るべき問題だろう。

ベーシックインカムが経営者を甘やかし労働分配率向上の足枷になるとの指摘は、想像の域を出ないし、これまでも児童手当や高校授業料の無償化、定額給付金、定率減税等といった給付制度はあれども、そのたびに労働分配率が大きく下がった事実はない。

今年の春闘で自動車大手は3%の賃上げ目標を立てているが、我が国の多くの家計は年収100~500万円台に集中しており、これが2~3%上がったところで、野菜やガソリン代の根上がりで殆ど吹っ飛ばされてしまう。
元々の所得水準が低過ぎるのだから、少々の賃上げなど焼け石に水で、最低でも月収を5~10万円増やすくらいのインパクトがないと、家計は積極的にカネを使う気にはなれない。


妙な倫理観に拘り、需要不足に即効性のある政策を毛嫌いするうちに、それを栄養分にする供給力が完全に劣化してしまえば、もはや取り返しがつかない。
その時日本は先進国たる地位やプライドを完全に失い、後進国化を免れなくなる。

現実には、
・人手不足や売り手市場のはずなのに、給料や初任給が全然上がらない
・原料高や燃料コスト高なのに、売価を上げられない
・大量のバックオーダーを抱えているのに、需要低下が怖くて見込み生産ができない
・科学技術の振興を謳いながら、大学の研究予算は減らされる一方 etc
といったバカげた問題が彼方此方で噴出している。

およそ世の中の社会問題の病根は「カネが無い」という一事に集約され、幸いにして現時点では、カネさえあれば相当程度まで解決可能なものばかりだ。

だが、適切な処置を施さず病状が悪化すると、供給力や生産力が極限まで劣化し、「モノを作り、サービスを提供できる人材や技術がまったく無い」という治癒不能な状態に陥ってしまう。
割りばしや石鹸すら作れない、機械の動かし方も分からず、成分や配合方法すら誰も知らない、という後進国化一歩手前の状態まで追い詰められてからでは遅い。

国内に生産ノウハウの種火が残っているうちに、燃料となる需要を投じて火勢を増してやらぬと、か弱い焔は緊縮主義という突風に煽られ、瞬く間に掻き消されてしまうだろう。

くだらない選別論に時間を割くのは本当に勿体ない。
アノ政策は国民の労働意欲を削ぐ、コノ政策は新自由主義的だ、と贅沢を言っている余裕など一秒も残っていないことを肝に銘じるべきだ。

企業や家計を緊縮思考に縛りつけるのは「売上・収益・所得不足」であり、それを大逆流させるためには、消費や投資に使える資金を分け隔てなく、しかも、スピーディーにバラまくのが何より効果的なのだ。

インフラ投資を通じて生産・流通基盤を整え、雇用や技術育成の場を創るのも良い。
家計向け給付金で国民の消費意欲を高めるのも良い。
少しでも需要力向上に資するなら、倫理面の善悪など一切無視して躊躇せず実行すべきだ。

高度な供給力や生産力さえ保持できれば行き過ぎたインフレに怯える必要はないから、カネ不足で悩めるうちに製造コストゼロのカネ(貨幣)をもっと扱き使い、供給力の維持向上に努めなければならない。

需要力が供給力の成長を支え、高度化した供給力が過度なインフレを防ぎながら、需要力の源になる所得を増やし続けるという好循環を目指せばよい。

世には、日銀のB/S上で発行日銀券(紙幣や貨幣)が負債勘定に計上されていること、また、貨幣の過度な増発が高インフレをもたらすと想像されていることを捉えて、貨幣を負債だと説明する論が一般的だ。

しかし、日銀が負債に計上する紙幣や貨幣を担保するのは、国債や貸出金などの資産だと理解されている。

では、紙幣などの負債を精算するために、どうするのかといえば、最終的に国債を換金するしかない。
つまり、国債を売却して得た紙幣や貨幣を以って、負債である日銀券(紙幣・貨幣)を精算するというバカげた結論になる。

これでは、単なる紙幣同士の交換に過ぎないから、そもそも、紙幣や貨幣に負債性なんてなく、日銀がB/Sを作成すること自体がどうかしているのだ。

また、貨幣増発に伴う高インフレを捉えて貨幣の負債性を説明するのも無理がある。

身体に栄養をもたらす食糧や水だって過剰に摂取し過ぎれば毒になるかもしれないが、だからといって、普段から食糧や水を指して毒呼ばわりする変わり者などいない。
食糧や水の本質は、あくまで健康維持と成長に欠かせない栄養分であり、それが害をもたらすのは用法や容量を誤った特殊ケースのみだ。

貨幣の存在とて、それと同じことだろう。

負債でも何でもないカネ(貨幣)を惜しみケチる心根が、国民を苦しめ経済失政をもたらす躓きになることを忘れてはならない。

2018年3月20日 (火)

醜態を晒す自民党のクズ議員

『<森友文書改ざん>「安倍政権窮地へ意図的に変な答弁では」』(3/19 毎日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180319-00000057-mai-pol

「19日の参院予算委員会で、自民党の和田政宗氏が財務省の太田充理財局長を攻撃し、太田氏が気色ばんで反論する場面があった。(略)
 和田氏は19日の同委で「まさかとは思いますけど、太田理財局長は民主党政権時代に野田総理(佳彦前首相)の秘書官も務めていて『増税派』だから、アベノミクスをつぶすために、安倍政権をおとしめるために意図的に変な答弁をしているんじゃないですか」と「質問」した。
 和田氏が話す間、太田氏は頭を激しく振り続け、答弁の際には顔が紅潮して怒りを隠せない様子。「私は公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えすることが仕事なので、それを言われるとさすがにいくらなんでも、そんなつもりは全くありません。それはいくらなんでも、それはいくらなんでも…ご容赦ください」と声を震わせた。(略)」

再炎上した森友問題を巡る安倍政権や自民党の連中の狼狽ぶりは、まことに無様で見苦しく、まるで民主党末期を彷彿とさせる。

和田氏の幼稚な質問は、誰が見ても一連の責任を財務省だけに擦り付けようとする気マンマンで、サプライズ質問を浴びせられた太田局長も、「国会の場で、これほど露骨でレベルの低い責任転嫁発言をするのか!?」と呆気にとられた様子だったし、重度の自民党信者もさすがに気色の悪い思いを抱いたのではないか。

筆者は、森友問題が安倍政権・自民党・財務省トリオによる共作である以上、「主犯は○○だ!」とどこか一つにターゲットを絞って攻撃するつもりはない。
安倍首相を退陣させれば済む話ではないし、財務省の責任をおっ被せて済む話でもない。

多数の議席に驕り政治を壟断する薄汚い自民党議員、与党と結託して緊縮増税路線を強行しようとする財務省のいずれも厳しく処断すべきだし、安倍政権&自民党VS財務省という対立構図の中で、緊縮派と構造改革派の総本山たる両者が、互いに噛み合い、傷つけ合うのは大歓迎だ。

火の粉を被りたくない政権と自民党が財務省に責任を擦り付け、それを契機に両者の内輪揉めがエスカレートするのは非常に愉快だが、あまりにも露骨な和田氏の責任転嫁発言に、百年の恋も冷めた安倍信者や自民党信者も多いだろう。


それにしても、和田氏による「太田局長は増税派だから、アベノミクスをつぶすために、安倍政権をおとしめるために意図的に変な答弁をしているんじゃないか」との財務省陰謀説には失笑を禁じ得なかった。

和田氏には、「お前やお前が所属する党、安倍首相をはじめとする現政権の面々こそ、紛れもない『超増税派』だろ? 増税派の財務省が、超増税派の政権を潰す必要なんてどこにあるの?」と突っ込んでおきたい。

そもそも、政権が人事権を一手に握る官僚に潰されることを恐れるなんて、自らの無能ぶりを吐露するようなものだが、そんなことを堂々と公言して恥ずかしくないのか?

だいたい、民主党政権を圧倒した当時の安倍首相は、消費増税の三党合意など容易に破棄できる立場にあったのに、敢えて民主党政権の増税路線に乗っかり増税を強行しただけでなく、あまつさえ10%への再増税の道筋さえ付けてしまったではないか?
これのどこが反増税派なのか、具体的に説明してもらいたい。

和田氏は、自身のオフィシャルブログで、地盤である宮城県の震災復興への取り組みを盛んにアピールしているが、安倍首相や自党の不始末のケツ拭きを財務省に押し付けるような卑怯な真似をしておいて、被災地の選挙民に顔向けできるのか?

だが、醜態を晒した自民党議員は和田政宗だけではない。

参院予算委員会の公聴会で、公述人として過労死防止を訴えた過労死遺族に「お話を聞いていると、週休7日が人間にとって幸せなのかと聞こえる」と発言し、遺族の猛抗議を受けて謝罪に追い込まれた渡辺美樹。(ワタミ出身のクズ)

前川喜平・前文部科学事務次官が名古屋市立中学で講演したのに腹を立てて文科省に圧力をかけた池田佳隆と赤池誠章。

ここ一週間余りで、肝っ玉の小さい小役人みたいなサラリーマン議員が、次々と不祥事を惹き起こし、自民党議員のレベルの低さを露呈している。

いくら野党の連中が学級崩壊レベルの無能揃いとはいえ、頭のおかしいパワハラ議員や、金正恩の親衛隊紛いの思想監視員を当選させた選挙区民の責任も重い。


今回の森友問題の深層には、籠池サイドから安倍首相をはじめとする与党議員へ汚いカネが流れた疑いが拭い切れず、マスコミの連中は『政治家の圧力』、『政権に対する忖度』だけで満足せず、贈収賄の糸口を摑むまで頑張ってもらいたい。
忖度問題が政治とカネの問題に発展してこそ、安倍政権・自民党・財務省という「緊縮バカの枢軸」を破滅に追い込むチャンスにつながるのだから。

2018年3月18日 (日)

経済学の名を貶めるクズ

経済論壇には常識では計り知れない珍獣が多いが、中でも「GDPを増やす方法なんてこの世にはない」と言い切るバカには失笑するほかない。

GDPを増やす(=経済成長)方法が存在しないなら、そもそも経済学なんてこの世に不要なゴミ学問ということになるが、こういう妄言を吐くバカに限って「経済学を知らない奴とは話ができない」、「教科書を読め」と経済学を万能の神と崇めて絶対視したがるから不思議なものだ。

GDPを表す際に、『Y≡C+I+G+(EX-IM)』なる式が合同式や恒等式の形で使われる。
個々の記号を説明すると、GDP=「産出」(Yeild)、「民間消費」(Consomption)、「企業投資」(Investment)、「政府支出」(Government)、「輸出」(Export)「輸入」(Import)という意味だ。(※単純にA・B・Cといった記号にすればよいのに…)

かの教科書バカは財政支出を極度に嫌っており、財政支出を増やしてもGDPは絶対に増えないと力説する。

例えば、政府支出を5増やしたとして
Y≡C+I+G(+5)+(EX-IM)
にすれば、
Y(+5)≡C+I+G(+5)+(EX-IM)
になるのか、と疑問を呈し、
Y-G≡C+I+(EX-IM)
とG(政府支出)を左辺に移項したとして、Gを増やしてもYは増えない(減る)と得意顔だ。

そして、Gが増えたのにYが減った年度は、
・1997→1998→1999
・2000→2001→2002
・2008→2009
・2010→2011
の4回(延べ6回)もあるとしたうえで、
・「需要を増やせば供給が伸びる」ことなどありえない。
・政府支出を増やしてGDPが増えるなら、とっくの昔に各国が財政政策を採用し、発展途上国・最貧国など、あっという間にこの世から無くなっているはずだ。
とネジの外れた珍説を開陳している。

詭弁師は政府支出増がGDP増に寄与しないと言い張るが、それが真なら、合同式の右辺にある民間消費増も、企業投資増も、純輸出増もGDPを増やせぬことになる。
そればかりか、この合同式自体が意味を持たぬことになるだろう。

正常な判断能力と一般的な社会常識をお持ちの方なら誰にでも理解できることだと思うが、政府支出を増やせば、その分だけ事業(収益)機会や所得が民間経済に発生するから、民間消費や投資が刺激され、例の合同式の右辺(CやI)が増えるのが当然だ。

現実にはまったくあり得ないが、政府支出と同時に、家計や企業が示し合わせて民間消費や企業投資を一気に減らすような愚行を犯さぬ限り、「政府支出=GDP減」にするのは至難の業だ。

だいたい、合同式のGを左辺に移行し、GをG(+5)に増やした場合、すでにYはYのままではなく、Gが5増えたことによる乗数効果で「Y→Y‘」へ増えるはずなのだが、かの痴れ者はこれを隠して、さもYの値が不変であるかのように装い、「Y-G」→「Y-G(+5)」の分だけYが減るはずだと詭弁を垂れ流す。

だが、Gを左辺に移項したとしても、それは、GDP(Y)から政府支出(G)を除いた値、つまり、政府支出増により増えたGDPに対して、政府支出以外の民間消費や企業投資、純輸出の内訳がいくらだったのかを示すだけに過ぎない。

また、バカ者は、1997年度以降、政府支出を増やしたのにGDPが増えなかったことが数回あるから、需要を増やしても供給は増えないと主張する。

だが、戦後以降、政府支出増加がGDP増加と歩調を合わせた回数は、バカが例示した回数の軽く3倍以上はあり、異常値を基にした詭弁はまったく通用しない。
そもそも、バカが例示した年度は、未曽有の金融危機や小泉バカ改悪、リーマンショック、東日本大震災といった需要の大縮小をもたらす厄災が起きた年度ばかりではないか?

さらに、詭弁師は、「なぜ、各国政府はこの財政政策を採用しないのでしょう?」、「こんなこと(財政政策)ができるなら、発展途上国・最貧国など、あっという間にこの世からなくなります」とバカなことを言っている
だが、日本以外のまともな先進国は、いずこも積極的な財政政策を採り普通にGDPを伸ばし経済成長しているし、途上国が無くならないのは、国内で資金融通できないのと、自国の供給力が乏しゆえにバラまいた政府支出が殆ど国外流出してしまうからに過ぎない。

失笑レベルの詭弁師は、日ごろから教科書好きを自慢しているようだが、「GDPを増やす方法などこの世には存在しない」という頭のおかしなセリフを吐くのなら、経済学者を称するのは今すぐ止めるべきだ。

仮に、経済学者がGDPを伸ばす方法すら知らぬとしたら、経済学は「学問」の名に値しないし、まともな経済学者は、そんな痴れ者が経済学を騙ることすら汚らわしいと思うのではないか?

2018年3月15日 (木)

リフレ派は財政政策への支持をきちんと明示しろ

先月、朝日新聞Web版(The AsahiShinbun GLOBE)に『FRBと日本銀行~中央銀行の力』という特集記事が組まれ、4月以降の再任が内定した黒田総裁が実行してきた異次元金融緩和政策(黒田バズーカ)の是非に関する7名の論者の評論が掲載された。
〈参照先〉http://globe.asahi.com/feature/2018013000014.html

7名の内訳は、金融政策に賛成の立場から若田部昌澄(次期日銀副総裁)、竹中平蔵、安達誠司の3名、反対の立場から翁邦雄、木内登英、河野龍太郎、池尾和人の4名という顔ぶれで、リフレ派の代表的論客たる若田部・安達+ポジショニング派の竹中が賛成派、反リフレ派としてお馴染みの翁・木内・河野・池尾が反対派という色分けだ。

各々の主張詳細は記事をご参照いただくとして、両派の主張で最も先鋭な対立が見られるのは、
①金融緩和政策の経済的効果について
②インフレ目標未達の原因について
③金融緩和政策が及ぼす財政規律への影響について
の三点であり、これに関してそれぞれの主張概略と項目ごとの筆者の意見を下記にまとめてみる。

【金融緩和政策の効果】
≪賛成派≫
・少なくとも、物価が持続的に下落するというデフレ状態を食い止めた(若田部)
・失業率は下がり雇用環境は非常に良い(若田部・安達)
・物価目標の2%には達していないが、14年4月に1%台に達するなど一定の成果あり(竹中)

≪反対派≫
・日銀が重視するコアコア指数の上昇率は0.3%でしかなく未達幅が大きすぎる(翁)
・株高や円安には多少貢献したが、インフレ予想を高めることには失敗した(河野)
・今後の金利上昇により日銀の財務悪化が懸念される(翁・木内)
・金融政策は政策金利をゼロまで引き下げたところが限界。量的緩和による追加効果は乏しい(池尾)

〔筆者のコメント〕
黒田バズーカ以前にも、政策金利や市中金利は既に十二分に低金利であったため、異次元金融緩和の成果は、
①日銀による国債保有割合を従来になく高め、「政府の借金」の実質無効化に成功したこと
②日銀券ルールという意味も根拠もない下らぬルールを撤廃したこと
の二点に尽きる。

リフレ派が強調する雇用改善は、人口動態の変化に伴う自然発生的要因によるものであり、金融緩和が経営層のインフレ期待を刺激して雇用改善につながったとする論拠は非常に疑わしい。

また、雇用の内容も非正規やパートの増加が大半で、時給や雇用者報酬、労働分配率など何れの指標も上昇率が低過ぎ、改善とは名ばかりの“エア改善”でしかない。

雇用に関しては、ワースト・オブ・ワーストへの転落を免れただけで、目に見える改善と呼ぶのは、あまりにも大袈裟すぎる。

一方、日銀の財務悪化を心配したがる反対派の意見は、まったくバカげている。
そもそも、内国債の価格変動くらいで、通貨発行元(=金銭的価値の根源)の中央銀行や政府の財務を心配する方がおかしい。


【インフレ目標未達の原因】
≪賛成派≫
・14年10月の消費税増税と原油価格の下落のせいだ(若田部・安達・竹中)

≪反対派≫
・リフレ派は、かつて、増税や原油価格などの外的要因に関係なく金融政策が十分なら物価目標は達成できると主張していたはず。いまさら、増税を言い訳にするのはおかしい(翁・池尾)

〔筆者のコメント〕
リフレ派による“インフレ目標未達消費増税主因論”はまことに見苦しい限り。
黒田総裁自身が増税積極派である以上、自ら招いた厄災をくどくど言い訳にするのはいかがなものか。

さらに、原油安を盾に言い逃れしようとする態度には、物価目標達成を最優先するあまり、国民生活を直撃するコストプッシュ型インフレさえ容認するという冷酷さが見え隠れする。

若田部氏は評論の中で、「デフレからの脱却を進めるべきだという目標がまずある。その目標に対する手段として、インフレ目標を伴う金融緩和は必要条件だ」と述べているが、彼らの描く“デフレ脱却”という絵姿が、果たして、“国民生活向上”とイコールの関係になっているのか?


【財政規律への影響】
≪賛成派≫
・有事の円買いが常態化するなど日本国債の需要は極めて根強く、財政危機とは程遠い(若田部)
・政策の原点はデフレ脱却。そのために日銀は金融緩和を続け、政府は積極財政に転じるべき(若田部)
・債券市場の国債が枯渇しそうなら、政府がそれを埋めるだけの財政拡張をすればよい。具体的には、建設国債など新発債を増発し、それを日銀が直受けすればよい(安達)

≪反対派≫
・財政支出はすでに十分。これ以上増やせば財政規律のタガが緩み財政再建が遅れる(竹中・河野)
・団塊世代が後期高齢者になる2025年以降、社会保障費負担が重くなり、財政赤字のさらなる拡大により国内の貯蓄で財政赤字を賄い切れなくなる(池尾)

〔筆者のコメント〕
反リフレ派による「金融緩和政策は財政規律を弛緩させる」との批判は、元々存在しない財政問題を論拠にしている時点でまったく的外れ。

池尾氏が懸念する社会保障財源の枯渇問題にしても、財政規律の弛緩度合いが小さすぎる(=積極的な財出不足による実体経済の停滞)ことが経済活動を鈍化させ、社会保障財源となる付加価値の低迷を招いたというのが真相であり、因果関係が逆だ。

経済成長・所得向上・デフレ脱却を実現させるには、聖域なき持続的な財出により、実体経済へ所得になる資金を投じ続けねばならず、財政再建などもってのほか。

安達氏が主張するとおり、日銀の国債直受けを解禁してでも大規模な国債増発に踏み切り、消費や投資を活性化させて、本物の成長期待を刺激すべき。(ついでに財政法も改正)

コストプッシュインフレによる強制的な支出増加が先行すると、国民や企業は、「インフレ期待」ではなく「コスト増加懸念」を抱くだけ。
先ず、売上増加・所得増加の果実が万遍なく行き渡るよう歳出をバラ撒き、家計や企業の懐を十二分に温めてやることが重要。


最後に、筆者なりに全体を総括すると、金融緩和の政策効果の是非とインフレ目標未達に関しては反リフレ派を、財政政策の重要性や財政規律への懸念の有無に関してはリフレ派の意見に軍配を上げたい。

ただし、反リフレ派による金融政策批判の根底には、「財政規律を弛緩させる」、「構造改革や財政再建の邪魔になる」という薄汚い思想があり動機が愚劣すぎる。

一方、若田部・安達両氏は、リフレ派にしては珍しく、以前から財政政策に一定の理解を示しており、若田部氏の日銀副総裁就任を控えたタイミングで財政政策の必要性に言及した事実は評価したい。

肝心なのは、彼らが財政政策への本気度を今後も維持し続けられるか、という点だ。

冒頭にご紹介した記事の中で、インタビュアーから“リフレ派って、財政政策を支持してたっけ?”という意地悪な質問があったが、両氏とも、
「リフレ派が財政再建をないがしろにしたことはない」(若田部氏)
「以前から財政政策が必要ないとは言ったことはない」(安達氏)
と口篭もった様子で、いまひとつ歯切れが悪い。

彼らの回答が、“教科書読めよ”のリフレ系Fラン教授と、その子分たちの「リフレ派は財政政策を(嫌っているけど)否定していない」という苦し紛れの言い逃れレベルだったのは少々がっかりだ。

また、若田部氏は、「財政政策への態度などは、(リフレ派の)核となる定義には含まれていない」とも述べているし、数年前の他誌コラムでも、
・公共事業支出を増やしても、せいぜい一時的な効果しかないし、産業振興策も経済安定化につながらない
・経済成長を維持することは、構造改革を推進して効率化すること
といった趣旨の発言をしており、我が国の財政問題を否定しつつも、金融政策万能主義や構造改革礼賛臭の強い本音が見え隠れする。
(『民主党よ、経済政策の基本に戻れ』http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/gover-eco_090928.html)

まぁ、これでも歳出削減しか言わぬ緊縮派に比べれば百倍マシだから、副総裁に就任した暁には、ぜひ財政政策の応援団に廻って貰いたい。
“財政政策を否定しない”と他人行儀な態度を取るではなく、「財政政策はデフレ脱却に不可欠だ」と明言すべきだ。

その前に、感度が鈍く呑み込みも悪いリフレ界隈の子分たちへの啓蒙が先かもしれないが…

2018年3月12日 (月)

若者世代に無理難題ばかり押し付ける社会

『奨学金で自己破産する人が増加、大学生の声「連帯保証人を書いて『借金』だと実感」』(2/24 AbemaTV)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180224-00010001-abema-soci
「奨学金制度を担う日本学生支援機構によると、奨学金が重荷となり自己破産する人が過去5年間で延べ1万5000人であることがわかった。さらに、2016年度は最多の3451人で、5年前より13%増えたという。(略)」

記事では、「人間としてダメかなと。借りたものは返すのが基本。事情はいろいろあると思うが、借りたからには頑張って返さないと」(18歳・男性/高校生)という意見が紹介され、コメント欄にも、「これはもう借りたら返すは当たり前と思う。」といった正論が並んでいる。

筆者も金融機関に勤務したことのある人間として、「他人から借りた金は返済するのが当然」だという思考が染みついている。
だが、いまの若者に、そういった常識論をぶつけ、多くの若者が自己破産に追い込まれるのを傍観し、自己責任論で簡単に片づけてよいものだろうか?

借りた金を返すのは当たり前だが、そもそも、大学進学が50%を超え、半ば義務教育化しつつある現代において、家計が借金までせざるを得ない事態を放置していることの方が問題だ。

下図のように、バブル崩壊後の景気低迷期と重なるように、大学進学者の奨学金受給者率が右肩上がりに上昇している。




(ガベージニュースより)

大学の学費が国公立や私立とも平成元年比で1.5~1.6倍に上がっているうえに、サラリーマンの平均年収は逆に減っている(平成5年/452万円→平成28年/422万円)のだから、奨学金に頼らざるを得ない世帯が増えるのも当然だろう。

さらに厚労省のデータによると、男性の平均賃金は平成9年/月337.0千円→平成28年/335.2千円とわずかに減少しているし、男性(大卒)の平均生涯賃金も90年代初頭より下がる始末で、30歳代の生涯賃金はピーク時より4,000万円近くも下がっているとの指摘もある。




(労働政策研究・研修機構資料より)

本来なら、時代の推移とともに賃金水準が底上げされて然るべきだが、増えるどころか減ってしまうのだから、家計は堪ったものではない。


また、新卒者の初任給水準も、昨今の売り手市場という掛け声の割りに90年代初頭からほとんど増えておらず、多額の奨学金返済負担を抱えた新入社員の懐具合は非常に厳しい。

奨学金の平均返済金額は総額で324万円、毎月の返済額は1.5~3万円、完済までの期間は約18年といわれており、入社から40歳代になってようやく返済を終えるという途方もない負担を背負ったまま厳しいサラリーマン生活を課されることになる。

社会人生活の緒戦から重しをつけられた奴隷労働が始まるようなもので、恋人同士がともに借金を背負ったままという例も珍しくない。
これでは結婚や子育てなど夢のまた夢で、ますます晩婚化や非婚化、少子化に歯止めが掛からなくなるだろう。




(ガベージニュースより)

厳しい社会生活を始める新社会人たちに向かって、借りたものは返すのが当たり前だとふんぞり返り正論を吐きかけるのは簡単なことだが、他人に常識論を説く前に、先ず、「初任給や給与水準は経済成長とともに年々増えるのが当たり前」という経済常識を成し遂げてみろと言っておきたい。

負担ばかり増えるのに、負担を返済する原資(収入)が増えないというのでは、あまりに不公正で片手落ちだ。

すぐに収入を増やせないのなら、せめて大学教育の無償化に取り組むべきだ。

大学無償化に掛かる費用は、国公立から私立まで含めて年間3兆円ほどと試算されており、大した金額ではない。
これで、教育の高度化が実現し、将来の日本を支える若者世代の経済的負担が減るのなら安いものではないか。

多くの国民に対して「日本はどんな国か、日本の強みや財産は何か」と尋ねたら。間違いなく、“我が国は資源のない国、教育や勤勉こそ日本の宝、人材は国家を支える礎”という答えが返ってくるだろう。

それなら、国家の未来を支える主役となるのは若者層であり、彼らの生活を蔑ろにすべきでないことくらいすぐに理解できるはずだ。

若者世代の経済的負担を減らせるのならば、3兆円くらいのちっぽけな支出をケチることもあるまい。

2018年3月 8日 (木)

バカマスコミはAIと交替しろ!

経済紙や新聞、業界誌など経済関連記事に目を通すたびに、「AI化・ロボット化」、「人手不足」の文字が躍っている。
だいたい、マスコミの記者なんて、実地経験に乏しい素人揃いだから、AI・ロボット・人手不足という語句さえ使っておけば記事の体裁が整うとでも思っているのだろう。

AI化やロボット化による首切りを礼賛するヨタ記事には、近い将来AIやロボットに奪われそうな職業として、「販売員、事務員、セールスマン、秘書、介護職員、接客係、倉庫作業員、銀行員、運転手、公務員、調理人、ビル管理人、清掃作業員、工場の職人」などが挙げられている。

いずれも、付加価値の低い(と思い込まれている)職業や、妬みの対象になりそうな職業ばかりだが、筆者はそうは思わない。

ここ数年の第3次(4次?)AI化ブームと言われるフレーズの初期段階でも、AI関連投資はアメリカの主要企業で2013~2015年の間に6兆円、日本でも3千億円に上るとされる。
AI化のコア技術は、何といっても膨大な量のデータ収集と分析作業だから、今後10~20年に要する世界規模の投資額は、AIやIoTだけでも数十兆円単位にもなるだろう。

それだけ膨大なコストを掛けたAIやロボットに、付加価値の低いごみ収集や百均のレジ打ちをさせるなど、まことにバカバカしい話で、あたかも“万札をティシュペーパー代わりに拭き掃除に使うような愚行”と言える。

天文学的なコストを回収するには、より高付加価値な仕事を代替させる方が遥かに有用で、この程度は“経営のイロハ”レベルの自明の理だ。

AIによる職業代替を検討する際に着目すべきは、職業遂行には「思考を要する分野」と「身体を動かさねばならない分野」の二面性があることを理解したうえで、どの分野をどの程度AI化するのが効果的かつ利益を最大化できるかであろう。

思考の分野に関して最大の課題は膨大な量のデータ収集と分析だが、これは時間を掛け、人海戦術を駆使すればある程度早期にクリアできる。

一方、人間が何気なく行う複雑かつ細かい動作をロボットに完璧なレベルで習得させるのは、考えられないほどのコストを要するし、どれだけ時間を掛けても恐らく無理だ。

つまり、AIやロボットに任せやすいのは、圧倒的に「思考を要する分野」であり、「身体を動かさねばならない分野」は投資コストを永遠に回収できそうにない。

よって、AIやロボットたちに浸食されやすい職業は、「身体を動かさず、口先や頭だけを使えば済む職業」、どちらかと言えば世間的に給与水準の高い職業(高付加価値な職種)だと言え、例えば、『会計士、弁護士、税理士、新聞記者、アナウンサー、タレント、医者、経営者、IT技術者、学者、教師、政治家、作家、クリエイター、芸術家、評論家、Youtuber』などが最大の被害者になるだろう。

AIが得意とするのは、「記憶」、「データ処理のスピードと正確性」、「判断・意思決定」だそうだから、thinkingに価値を見出す職業こそAIに代替させた方が遥かに効率的だ。

高額な給料に見合うだけの結果も残さず、不祥事や問題発言を連発するアナウンサーや、変更記事ばかりの新聞記者なんて、AIに取って代わられるべき職業の最右翼だろう。

次に話題の「人手不足問題」だが、こちらも騒ぎ過ぎだ。

本当に人手が足りなくて困っているのなら、雇用条件や給与水準が劇的に改善してしかるべきだが、現実はまったく追いついていない。
云わば、口先だけの「エア人手不足」に過ぎず、「儲かりまっか? ぼちぼちでんな」という儀礼のあいさつ程度の軽さにしか思えない。

中小企業基盤整備機構の「第150回 中小企業景況調査(2017年10―12月期)」を見ると、「従業員数過不足DI(「過剰」-「不足」、今期の水準)は、(前期▲18.7→)▲20.6(前
期差1.9ポイント減)と6期連続してマイナス幅が拡大し、不足感が高まっている」と、人手不足感を訴える声の高まりを示唆しているが、具体的にどういった対策を取っているのかというと、ただ単に“人が来てくれなくて困っているけど、給料は上げられない”と愚痴っているだけだ。
【参照先】http://www.chusho.meti.go.jp/koukai/chousa/keikyo/150keikyo/150sokuhou.pdf

個別の意見を拾ってみると、人口動態に伴う人手不足を嘆きつつも、利益率の低い仕事ばかりが増え、人手不足是正の原資を捻出できず、給料も上げられないという苦境が覗える。

・ 企業のみならず一般のお客様からの引合いは活発。しかしながら低価格のため、数をこなしても収支は厳しい。原材料上昇、人材不足が課題。AI、IOT関連の引き合いは当面活発。[その他の製造業 滋賀]

・ 利用客の高齢化で客単価が低下し、売上額が増えない。材料等仕入単価が上昇しているが、上昇分を客単価に転嫁できない。新規参入業者があり、客数が減り、売上額に影響でることが懸念される。[飲食業 福島]

・ 原材料仕入価格の上昇に、売上単価が追いつかず、利益確保が厳しい。物件獲得を狙うには、売値の現状維持しかなく、付加価値で打開するしかない閉塞感がある。[窯業・土石製品 宮崎]

さらに、業種ごとに経営上の問題点を尋ねた調査結果を見ると、建設業など一部で人手不足をいの一番に上げる業種もあるが、その割合は予想外に低く、全体的には「需要の停滞」、「官公需要の停滞」、「民間需要の停滞」、「大・中型店の進出による競争の激化」という回答が圧倒的に多い。

【中小企業景況調査より抜粋(15ページ目)】

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要は、中小企業が抱える悩みの根源は、“仕事がない、しかも、利益の取れる仕事がまったく足りない”ことに尽きる。

マスコミの連中は、くだらぬ論点ヅラしをせず、中小企業が直面する苦悩にきちんと対峙し、政府支出の拡大や下請けいじめ違反摘発の強化、消費税廃止や社保負担軽減等による消費促進といった具体的な解決策を政府に訴えるべきだろう。

それすらできぬ木偶の坊なら、明日にでもAIと交替すべきだ。

2018年3月 5日 (月)

経世済民は財布の厚みから

一般的な日本人家庭が抱える最大の悩みって何だろうか?



病気や子供の教育、親の介護、近隣とのトラブル…等々、いろんな悩みがあると思うが、最もポピュラーなのは『お金がない(=収入が低すぎる)』という悩みだろう。





昨年4月に明治安田生命が行った家計に関するアンケート調査によると、



■個人消費の回復はまだ遠い!?おこづかい額は調査開始以来最低の「25,082円」



■実感なき景気回復!?家計に余裕ができたと答えた人はわずか8.0%



■日々の生活で精一杯!?現在の給与に満足している人はわずか14.4%



という惨憺たる結果で、多くの人が収入状況に強い不満を抱えているのが判る。



(URL)http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/news/release/2017/pdf/20170428_02.pdf





また、『悩みの大半は「お金が解決」してくれる?』という民間会社の調査でも、およそ4割が「解決可能」と答えている。(筆者もそう思う)



なんだかんだ言っても、お金のパワーってホントに絶大だ。



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筆者は、普段から自ブログでも、聖域なき持続的な財政出動を訴え、インフラ投資・地方交付税交付金の増額・防衛予算の増額・大型の給付金・消費税廃止・社会保険料負担や医療費負担の軽減などを主張してきた。





その真意は、



①民間受注増加を通じた勤労世帯への所得分配による名目所得UP



②勤労世帯の負担軽減を通じた実質所得UP



の両輪を回して、家計の消費力を飛躍的に高めることにある。





①により所得増加期待を定着させ、消費不安や警戒感を解き、消費への意欲を喚起し、そこに②を加えて可処分所得、つまり、消費に廻せる実弾を込め、それを発射させる、というイメージだ。





だが、残念ながら、大型の財政出動も、減税等による家計の負担軽減策も、それが為される可能性は限りなくゼロに近く、政治や論壇では「もっと緊縮を! さらなる増税を!」という真逆の暴論が罷り通っている。





そこで提案したいのが、家計支援型の給付金制度だ。





以前、進撃の庶民に上げた「働き者の日本人は、もっと幸せになってよいはず」というエントリーでも触れたが、月9~10万円ほどの住宅ローン支払い平均額を実質的に補填できるよう、国民一人当たり月3~4万円の給付金支給(ベーシック・インカム)を提案したい。



https://ameblo.jp/shingekinosyomin/entry-12169393316.html





総務省のデータによると、住宅ローンを抱える世帯の可処分所得490,275(2016)のうち、住宅ローン返済額は92,945円と18.9%に達し、家計に大きな負担を与えている。





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(シニアガイドより)





また、実質賃金指数はH5/106H25/99へ右肩下がりなのに、賃貸住宅の賃金指数はH5/124.0H25/126.2と微増しており、賃貸派の家計でも住宅費の負担は重くなっている。





厚労省の所得金額階級別世帯数の分布(H28)を見ると、平均額は545.8万円、中央値は428万円だが、グラフの山は極端に左側に偏っている、つまり、低所得階層への分布が多く、平均所得以下の割合が61.4%にもなる。



(URL)http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa16/dl/03.pdf





つまり、我が国の家計は所得絶対値が低水準な層が圧倒的に多く、実質所得が低下し続けているにもかかわらず、住宅ローンや家賃などの住宅コストは高止まりしたままだ。



これでは、可処分所得はいつまで経っても増えず、消費力が高まることなどあり得ない。





このため、家計の消費力を増やすには、かなり思い切った政策が必要で、消費税廃止は無論のこと、国民一人当たり月3~4万円の給付金支給といった平時なら異常視されるような劇薬が必要ではないか。





これをまともにやると年間40~50兆円分の所得がオンされることになり、景気に大きなインパクトを与えるだろう。



肝心なのは、こうした大型支出を一度きりではなく、少なくとも20年程度は継続させることで、家計が給付金を貯め込まず支出に廻したくなるような環境整備が必要だ。





読者の中には、「また、うずらの野郎が無責任なムダ遣いを推奨してやがる。財源はどうすんだ~、国民に怠け癖をつける気か~(# ゚Д゚)」と、不快感を覚える方もいらっしゃるかもしれない。





だが、本来なら右肩上がりで増えて然るべき所得や可処分所得が、現実にはまったく増えておらず、家計は両者の差異分に該当する多額の累積所得を失っている。



この膨大な逸失所得を取り戻さない限り、冷え切った家計の消費意欲が本格的に熱を帯びることはない。





「我が国には財政問題は存在しない」というのが機能的財政論を説く者の基本スタンスであり、筆者もこれに同意する。





50兆円程度の財源は、国債や紙幣の増発でいくらでも調達できるし、供給力が有り余っている今の日本なら十分に吸収可能な金額だろう。





50兆円もバラまいて、ハイパーインフレになったらどうするんだ‼」と憤るバカの説得はリフレ派の面々にお任せし、天下無敵の消火力を誇るインフレ・ターゲット政策の威力がいかなるものか説明してもらえば十分だろう。





また、「国民にタダ飯を喰わせたくない、怠け癖をつけさせたくない」というご意見には、





20年以上もの不況下でも懸命に働き続けた国民の所得が、増えるどころか減り続けているのは、本来あってはならない異常な事態。国民は、その間に得て然るべき正当な所得を国に巻き上げられたのも同然。つまり、国民の勤労にタダ乗りして、経済失政により国民の努力を足蹴にし続けてきた国家こそが“タダ飯喰らい”なのであって、国民は国家(や企業)に喰い逃げされた損失分を取り戻す権利がある。





②我が国の平均世帯人数は2.46人とされ、月額3~4万円/人を支給しても、世帯当たり7~10万円にしかならず、怠け癖がつくような金額にはならない。民間調査によると、高額宝くじに当選しても75%以上が仕事継続を希望するほど日本人の労働意欲は高い。



(URL) https://news.mynavi.jp/article/20150930-a047/





とお答えしておきたい。





読者の皆様からも、家計の消費力増強につながるアイディアをお聞かせいただければ幸甚です。

2018年3月 1日 (木)

一人の大衆として

拙ブログも開設から9年余りが経過したが、積極的な財政金融政策を訴える声は相変わらず小さいままだ。

しかし、筆者はそれを悲観するつもりはない。

そもそも、日本人は、生来、勤労や節約を好み、無駄遣いや借金を忌み嫌う気質が染みついている。
しかも、ここ20年ですっかり不況慣れしたせいか、幸福や成長を求めることに怯え、それを否定する者すらいる。
口では貧困を嘆きながら、なぜか不況に心地よさを覚えているかのように見える呆れたバカ者も多い。

こんな体たらくだから、これまでも、この先も、民衆の支持を得る形でボトムアップ型の財政拡大論が沸き起こることなんてまったく期待していない。

筆者は日頃から緊縮思考や構造改革万能主義を口汚く批判しているが、これらは日本人の情緒的かつ心理的な根源や本質と深く密接しており、緊縮&構造改革主義への攻撃は、云わば、日本人のDNAに闘いを挑むようなものだから、相手を捻じ伏せることなんて到底不可能なのはよく解っている。

だが、不可能だと解っていても、心底から沸き起こる憤りを抑え切れないから、今日も日本人の心根に焼き付いた邪心を批判する。
ただ、それだけのことだ。


さて、経済論議に対する世間一般の興味や温度は多種多様だが、大まかには次の三つに大別してよいだろう。

まず一つ目は、目的や手段に相違こそあれ、熱心に経済論を世に問う層だ。(論者)

緊縮派や構造改革派、リフレ派、積極財政派など、理想とする経済体制やそれを実現する手段や手法の違いにより、持論の正当性を主張して、互いに激しく議論を戦わせている。
(と言っても、緊縮派と構造改革派が99.9%くらいの圧倒的シェアを握っているのだが…)

個々の内容や手段の善悪はさておき、経済論を闘わせている者は、外部の批判に晒される覚悟を持っており、それ自体を否定すべきではなかろう。
(“私のブログのコメント欄に意見を書き込むな”と発狂する例のクズは除くとして…)

二つ目は、経済論争に興味を持ちながら自らは持論を示さず、それを外野から眺めて批評や批判するだけの層だ。(批評屋)

予め断っておくが、筆者は、著書の有無やブログ開設やSNS発信の有無によってこの層に該当するか否かを判断していない。

ブログを開設していなくても、他者のブログのコメントなどでしっかりした持論や主張を明言している方(内に秘めた信念や心情をお持ちのロム専の方も同様)は、間違いなく一つ目の層に該当するし、逆に、動画配信やSNSを駆使して、一見、持論や信念があるように見せかけつつ、実は他の論者の揚げ足取りや批評しかできない連中は、間違いなく二つ目の“無責任な批評屋”でしかない。

そして、三つ目は、経済論議にも批評活動にもまったく興味を示さぬ層で、これが絶対的多数を占めている。(無関心層)

つまり、経済に限らず、論壇や議論の世界なんてものは、所詮、少数派に過ぎない論者同士が闘い、それを鼻をほじりながら観戦する批評屋どもが集う極めてクローズドな空間に過ぎず、国民的議論に発展することなどない。


そうした現実を踏まえて、筆者が常々情けなく思うのは、批評屋さんたちの卑怯で非生産的な態度だ。

特に、論者の中でも超少数民族でしかない“積極的財政金融派”に寄生したがる批評屋(※議論が対立する緊縮派やリフレ派のことではない)には心底呆れ返っている。

・インテリ気取りで外部の人間を愚民だと見下している
・これでは外部の人間から見て気持ち悪がられるだけ
・内輪の閉鎖的なコミュニティでしか議論しないから、一向に主張が世間に広まらない

批評屋の言いたいことを要約するとこんなところか…

「はいはい、解りました。で、あなたはどうするの??」と詰問してみたいが、批評屋さんという生き物は、「あいつらのやり方はまずい。あんなやり方じゃ上手くいかない」と文句だけは一人前だが、自分が率先して“上手いやり方”とやらの手本を見せることは決してないし、すぐに投げやりな態度を取る。

自分の思い通りに動かない他人の姿を見てイラつくくらいなら、正解を知っている当の本人が行動を起こし、範を垂れればよいのだが、批評屋さんたちは、斜に構え苦い顔をするだけで自分の手足を絶対に動かそうとはしない。

要は、行動に伴う外部や同類の批評屋さんからの批判を受け止める気量や度胸すら持っていないのだ。
彼らは、主張や行動を論者たちに120%依存しておきながら、外部からの批判をすべて論者におっ被せ、その結果だけを痛烈に批判して悦に入るだけのナマケモノに過ぎない。


機能的財政論を軸に財政拡大を訴える論者に、持説を理解せぬ他人を見下し、インテリ気取りになっている者などいない。

筆者を含めてほとんどの論者は、学者でもエコノミストでも専門家でもない、一介の市井人であり、インテリ云々は、批判屋さんたちが勝手に貼ったレッテルでしかない。

また、生活を劣化させるだけの緊縮政策に諸手を挙げ賛同するバカ者を掴まえて、ありのままに「バカ」だと叱りつけるのは、彼らの行く末を危惧し憐れむがゆえのことであり、敢えて緊縮策という(ご丁寧に「ハズレ」と明記された)貧乏くじを引きたがるバカ者を見下す以前に、彼らの度を越した“だメンズウォーカーぶり”に呆れ返っているというのが正直なところだ。

バカ者の愚行を指摘して気持ち悪がられるなら、それもよかろう。
こちらの指摘を無視して繰り返す愚行の分だけ、自分たちの生活が苦しくなるだけのことだ。
バカ者の態度に遠慮して持説を曲げるくらいなら、とっくに昔に言論活動なんて止めている。

また、閉鎖的コミュニティ云々という的外れな批判にも呆れるしかない。

そもそも、積極的財政金融派なんてコンマ以下のミジンコみたいな勢力でしかないから、それが倍増したところで、圧倒的多数派から見れば内輪とか閉鎖的という文字でしか表現できない領域に止まらざるを得ない。
それが閉鎖的に見えるのは、単に少数意見が収斂した結果に過ぎない。

閉鎖的どころか、積極財金派で内に籠るタイプの論者を筆者は見たことがない。
むしろ、書籍やSNSを使って積極的に論を張る者が多く、どこが閉鎖的なのかまったく理解できない。

そもそも、意見の合わぬ者との議論より意見の合う者との議論の物量が多くなるのは極めて自然なことで、緊縮派や構造改革派、リフレ派とて同じことだ。
例えば、日経新聞や東洋経済、中央公論、正論辺りの新聞や雑誌を捲ってみればよい。
どこでも緊縮臭や改革色の強い似た者同士が寄り集まり、傷を嘗め合っているではないか?


えてして批評屋さんレベルの人種は、常に現状への不満を抱えているが、それを解消する努力をしないし、自発的に行動したり自身の言論の責任を負うのを嫌がり、そうした面倒事を思想信条の近い他人に押し付けたがる。

彼らは、依存した論者の行動を見張り、その落ち度を事細かに咎め、シニカルな態度で批評する自分の姿に酔うだけの気持ち悪いポエマーでしかない。

斜に構えて他の論者のやり方を批評したり、投げやりな態度で世を儚んだりする暇があるのなら、泥に塗れても堂々と持論を主張すべきだろう。
行動を伴わない批評ほど格好の悪いものはない。


筆者は自ブログで緊縮派やエセ分配派、リフレ派や、彼らの妄想を信じる大衆を厳しく批判してきたため、そうした連中から蛇蝎のごとく嫌われ、激しい批判や中傷を受けることもしばしばある。

筆者は自らが批判する大衆の一人として、財政政策を無駄遣いだと貶し、自分たちの生活を敢えて貶めようとする自殺志願者みたいな大衆に、心底から呆れ果て、その浅はかさに憤り、嘲り、バカにしながらも、彼らの生活や将来が心配で仕方がない、何とか彼らを救いたい、生活を楽にしてあげたい、という一心でブログを書いてきたし、今後も書き続けるつもりだ。

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