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2018年8月

2018年8月30日 (木)

AIは弱い者を助けない

『ぐっちー「AIで銀行員はもう不要? 日米の融資スタイルから見る実情」』(8/12 AERA dot.)
https://dot.asahi.com/aera/2018080900015.html

ぐっちー氏のコラムの内容は、上記URLから参照いただくとして、彼は、友人の社長が10年来取引のあるメインバンクから3億円の融資を受けた際のメインバンクの対応を例に挙げて、手続き至上主義の日本の銀行員の仕事は、近い将来AIに取って代わられると主張している。

ぐっしー氏曰く、友人の社長のメインバンクは、融資決定まで2週間も掛かった挙句、契約書の捺印の濃さにイチャモンをつけて契約行為に1時間も費やし、正式な融資実行までさらに1週間も要したそうで、これが日本の融資現場の通常風景だと揶揄している。

一方、自身がアメリカでほぼ同額の融資を受けた際には、申し込みから12時間後にOKの通知を受け、翌日には振り込まれていましたと自慢げに語り、「日本の一流金融機関ではこういった書類の取り扱い業務を正確に、かつ素早くこなせる能力が尊ばれ、採用でも圧倒的に有利でした。しかし、米国の例では、実はそういう業務はすでにAIが人に取って代わっているのです。そんなことが早く正確にできても仕方ない時代は、すでに来ているのです」と断定し、日本の金融機関のやり方は時代遅れだと非難する。

この超低金利下で国内金融機関が悲鳴を上げているのは事実だが、その真因は、収益を無視した金融機関同士の不毛な金利ダンピング合戦にあり、AI導入や契約手続き云々はまったく関係ない。

正直言って、ぐっちー氏がコラムで挙げた例え話には違和感や無理が多すぎる。

まず、彼の友人がメインバンクから借りようとした3億円もの資金の使い道がよく解らない。
運転資金なのか、設備投資資金なのか、はたまたM&A資金なのか、説明が足りない。

いずれにしろ、一部上場の大企業ならともかく、3億円もの融資を半日で承諾するほど銀行は甘くない。

筆者も銀行を退職して随分になるが、企業規模や支店規模により融資取扱高の上限額、つまり、営業店長や支店長の責任で決裁できる融資の上限額は異なるものの、3億円もの金額を即日決済できるケースは極めて稀だ。

件の社長はメインバンクと10年来の付き合いがあるのに、2週間も待たされたと憤慨しているようだが、業歴の古い銀行にしてみれば、10年なんて、まだまだ新参者の類いに過ぎず、3億円をポンッと貸せるほど信用ある相手とは見なしていない。

街金でもあるまいに、銀行が、3億円の資金使途を問い、事業計画の内容を精査し、資金繰りや収支計画を審査するとなれば2週間くらい掛かるのは当たり前だ。

ぐっちー氏は、融資決定後の契約に1時間も掛かった云々と愚痴を垂れているが、それは事を大袈裟に魅せるためのフィクションだろう。

契約が保証契約の増額なのか、担保付きの抵当権設定に伴う金銭消費貸借契約なのか判らぬが、そんなものにサインと捺印するのに1時間も掛かるはずがない。
時間が掛かったとすれば、社長の長話でも聞かされた所為としか思えない。

また、契約書を持ち帰った後に正式な稟議云々も現場のオペレーションを知らぬ大嘘で、通常は契約とほぼ同時に融資が実行されるはずだ。
正式な稟議(決裁)を待たずに契約するなど普通は考えられない。

ついでに、ぐっちー氏がアメリカで融資を受けた際の自慢話にも突っ込んでおくが、個人名義なのか、事務所名義なのか判らぬが、何ゆえアメリカで3億円(友人社長とほぼ同額)ものカネが必要だったのか?
昨年のアメリカの貸出金利は4%を超えており、3億円も借りてしまうと、利払いだけで年間1,200万円も吹っ飛んでしまうのに、わざわざ金利の高いアメリカで資金調達した理由は何だったのか?

ぐっちー氏は、「日本の一流金融機関ではこういった書類の取り扱い業務を正確に、かつ素早くこなせる能力が尊ばれ、採用でも圧倒的に有利でした」と、銀行の現場をよく知らず世間一般的な妄想を元に批判しているが、書類の取り扱いの正確性なんて、新人行員であっても出来て当たり前の最低ラインに過ぎず、こんなものが銀行員の評価基準になっていると信じる方がどうかしている。
銀行の人事考課で、正確かつスピーディーな事務処理はルーティンレベルの扱いでしかなく、業績評価をいかにクリアできるかが評価の決め手になる。

彼のように、銀行の融資業務がAIに取って代わられると見る向きが多く、実際、人件費カットを狙い、銀行経営層がAI導入に踏み切る時が来るだろう。

だが、AIによる冷酷な融資判断の被害を真っ先に蒙るのは、いい加減な決算処理が横行している中小・零細企業なのだ。

現在、フィンテック技術を応用したAIによる融資審査システムの概要は、税務申告書類や口座の入出金記録、給料や社会保険料などの支払い実績など企業の安定性が判断できる情報や、経済指標などのデータをAIが学習し、融資の際の金利や金額水準を弾き出す仕組みだが、AIは社長の人柄や企業の技術力、地域における存在感云々といった“特殊要因”を考慮しないから、これまでの担当者のように甘い顔はしてくれない。

売掛金に内包される焦付き債権や棚卸資産に隠された不良在庫、価値のないゴルフ会員権や保証金も見逃さないし、役員借入も実質的資本金ではなく外部負債として冷断される。

融資担当者が長年の取引に免じて目を瞑ってくれた実質赤字は、感情を持たず忖度の気持ちもないAIによって白日の下に晒され、多くの中小・零細企業は、融資ストップか、融資金利の跳ね上がり、あるいは、追加担保や追加保証を宣告されるだろう。

世間にはAI導入により融資が容易かつスピーディーになると期待する者も多いが、単なる妄想に過ぎず、実際は目を剥くような高金利を突き付けられ、空気を読まないAIの峻厳たる姿勢に唖然とさせられる。

『話題の「AI融資」、いくらまで借りられるのか実際に算定してみた』(ビジネス+IT)
https://www.sbbit.jp/article/cont1/34187
「みずほ銀行とソフトバンクが出資する「Jスコア」がAI(人工知能)を使った融資サービスに乗り出した。審査にAIが活用されており、必要な情報を入力することで融資可能額や金利を自動的に算出する。しかも積極的に自身の情報を提供すれば融資可能額などがアップするという特典もある。(略)
生年月日やおおまかな年収、勤務形態(正社員、非正規、自営など)、業種や職種、入社時期など約20の質問に回答すると、基本スコアが得られる。中堅企業の正社員で勤続20年、子供一人、持ち家なしという条件で最初に提示されたスコアは674点で、この場合には約10%の金利で120万円まで融資を受けることができるという。(略)
追加情報を加えたところ、スコアは上昇し700を超えた。当初の段階と比較して金利は9.4%に引き下げられ、融資限度額も150万円に増えていた。(略)」

この記事を書いたライターは、AIによるスコアリング審査で120万円借りられたと大はしゃぎしているが、アホか、金利をよく見てみろ、とどついてやりたい。
“10%だ、追加情報を入れると9.4%に下がった”と喜んでいるが、この超低金利時代に10%も金利を払わされるバカがどこにいるのか?
これなら、アコムのカードローンと何ら変わらないではないか?

だいたい、融資審査の場で「いくらまで借りられるか?(=できるだけ多く借りたい)」という言葉は最大のタブーだ。
なぜなら、限度額一杯まで借りたいという言葉を吐く者は、返済する気もなく、能力もない要注意人物だと見るのが融資現場の常識だから…

ここ数年、銀行の貸出DIは良好な水準を保ち続けている、つまり、銀行はカネを貸したがっているのに上手く借りられないという企業は、単に事業スキームが破綻し、事業の将来性がなく、信頼を勝ち得ていないだけの話で、AIに審査を頼んでも結果は同じことだ。

AIが弱き者を切り捨てるスピードは、人間より遥かに速いのだから…

2018年8月27日 (月)

商売の基本を知らぬ出版業界

ここ十数年、出版不況が叫ばれて久しいが、殿様商売に浸り切ったマスコミの連中は何の対策も打てずにいる。

公益財団法人全国出版協会のデータによると、2017年の出版市場規模は紙媒体と電子媒体合わせて前年比4.2%減の1兆5,916億円(紙は6.9%減、電子は16.0%増)と減少傾向に歯止めがかからない。

全体の市場規模はピークの1996年比で半減したと言われ、電子書籍の伸びに期待せざるを得ないが、その伸び率は年々縮小しており今後の見通しは暗い。

最近の書籍出版点数は8万点を超え、6万点に満たなかった1996年より大幅に増えているのに売上は半減するという憂き目に遭っている。

出版点数の増加は、売上をなるべく落としたくない出版社が、取次業者との委託制度を利用して、出版点数をやみくもに増やさざるを得なかったことによるが、スペースの限られた書店にはすべてを並べきれず、知名度の低い出版社の本は段ボールのまま返品されるというバカげた事態も常態化している。
(※どこぞのインチキ教師が書いたニセ経済本も返品の山になっていることだろう…)

こうした事態を招いた一因は、読者のニーズを足蹴にし続けてきた出版社の怠慢にある。

大都市圏の人間には解らぬだろうが、地方では書籍や雑誌の発売日に本が店頭に並ぶことはない。
九州や北海道は2日遅れ、中国四国や東北地方では1日遅れが当たり前で、土日を挟んで4日遅れなんてのも珍しくない。

筆者自身は大して本など読まぬから実害はないが、熱心な読者なら、発売日から何日も待たされイライラは募るばかりだろうとお察しする。

そもそも、出版業界には「発売日」という概念がなく、発売日とは、出版社が取次業者に卸す日を指すというだらしなさだから、地方在住の書籍ファンもバカにされたものだ。

これだけ流通網が発達した現代において、地域によって発売日が異なる業界や商品が他にあるのか?

しかも、出版輸送の運賃が安すぎるため、運送会社も出版輸送だけでは採算が取れず、取次業者との値上げ交渉を諦めて出版輸送そのものから撤退する運送会社もあるそうだから、事態が改善する見通しは立ちそうにない。

出版業界の連中は、“年間8万点を超える新刊書籍刊行数を計画的にコントロールすることが不可能”なんて見苦しい言い訳をしているが、多品種小ロットは他業界でも同じことで、出版業界だけを特別視する理由にはならない。

要はやる気の問題であり、消費者ニーズを足蹴にしたまま、業界横並びの慣習に胡坐をかき、情報や言論を牛耳って利権を貪ってきたナマケモノの哀れな末路が、現在に通じる出版不況なのだ。

売れもしないゴミ本を書籍化する暇があるなら、書籍の発売日を揃えるという商売のイロハをこそ、まず実践すべきだろう。

一般消費者の読書機会について、小中高生層は増えているが、大学生以降の年代層は減っているとのデータもあり、出版業界が消費者の信頼を取り戻すには、公表した発売日に全国津々浦々の書店にきちんと本を並べるという基本中の基本を守るのは当然だ。

市場規模が半減するということは、業界全体が瀕死の重体に陥っていると言うべき深刻な事態であり、事ここに至って、できない言い訳をくどくど並べている暇などない。

2018年8月23日 (木)

国債を嫌う輩は円を棄てよ!

『6月末、国の借金1088兆円=1人当たり860万円』(8/10 時事通信社)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081000930&g=eco
「財務省は10日、国債と借入金などの残高を合計した「国の借金」が6月末で1088兆9851億円になったと発表した。3月末から1兆1721億円増え、過去最高を更新した。7月1日時点の人口推計(1億2659万人)を基に単純計算すると、国民1人当たりの借金は約860万円になる。
 国の借金は国債、借入金、政府短期証券の合計。このうち国債は962兆2655億円で、3兆1242億円増えた。低金利で資金調達できる環境を背景に長期国債の発行額が増加した。借入金や政府短期証券は減少した。」

正しくは、『政府保証の国民資産1088兆円=1人当たり860万円に増加!』と報じるべきだが、国債発行を悪魔の所業の如く嫌う財務省やバカマスコミの連中は、相変わらず大嘘を撒き散らしている。

国民の情報リテラシーが上がり、質の悪いインチキ報道を無視したり、批判したりできるのなら何の問題もないが、緊縮バカの口車にまんまと乗せられ、「子孫に借金のツケ回しをするな」、「無駄な公共事業を削れ」と歳出削減のボルテージを上げるのが現実だ。

巷には、安倍政権が公共事業を爆増させているというバカげた妄言も飛び交っているが、実際には平成10年をピークに減らされ続け、見るも無残なありさまだ。
(参照先)http://www.mlit.go.jp/common/001067321.pdf

いまから15年後の2033年に建設後50年に達するインフラは、道路橋(40万橋)67%、トンネル50%(1万本)、下水道(45万km)24%、港湾(5千施設)58%にも達する。

15年後と聞くとずいぶん先に思えるが、その間、施工業者や作業人材の育成強化を図っていかねばならぬことを考慮すると、まさにあっという間で、公共事業を敵視し、土木業者を小馬鹿にして事態を放置すれば、近い将来、我々は交通インフラや生活インフラの壊滅的な瓦解に直面するだろう。

先週のお盆時期には、帰省客でごった返すお馴染みの光景が各地で見られたが、公共投資予算削減により道路やトンネル、橋があちこちで崩壊し、帰省すらままならぬハプニングが常態化しても何も不思議ではない。

交通の要所や渋滞の名所にあるトンネルや橋が老朽化し、予算不足や施工技術者不足により永久に通行止めなんて日には、「世界一の金持ち国家だったはずの日本人が道路の補修もできないなんて、いったい何をやってたんだ?」と、世界中の笑いものになるだろう。

“日本は財政危機”なんて大嘘であることは、拙ブログでもたびたび指摘してきたが、「国債=国の借金」と思い込みたがるバカ者は、耳を塞ぎ現実から逃げ続けている。

そんなバカ者には、次の記事を読んでもらいたい。

『信じちゃいけな/い「国の借金を家計に例える」財務省のyoutube~そもそも、元々は国民のカネだろ…』(8/12 現代ビジネス ドクターZ)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56944
「(略)国家の財務状況をバランスシートで見るのはもはや常識となりつつあるのに、財務省は相変わらず負債のみを強調して日本の財政状況が悪いと煽っている。そのためだろうか、公式チャンネルのコメント欄には辛辣なコメントも散見される。
国家の財政を家計に例える話がいまだにまかり通っているのは、記者クラブに所属するメディアたちの影響によるものだと言わざるを得ない。だからこそ、既存メディアに頼らないネットでは国家の財政破綻論をウソだと暴く言説が多くみられるのだ。
ネットと同じように、海外でも財務省の財政危機論はまやかしだというのが当たり前になっている。その証拠に、北朝鮮関係などで緊張が高まる「有事」に突入すると、かならずと言っていいほど円高になる。ほんとうに日本が財政危機なら、有事に円高になるはずがないのだ。(略)」

有事のたびに起きる円買いや史上空前の超低金利が続くのは、「国債の発行量が足りない」、「もっと円を増刷しろ」という市場からのメッセージだが、都合の悪い事は一切聞こうとしない緊縮主義者の耳には届かない。

「国の借金を家計に例える」財務省の幼稚なプロパガンダを信じる輩は、いますぐ価値のない円を棄て、ドルやスロットコインまがいのインチキ通貨(仮想通貨)でも財布に入れるべきだが、日ごろから発言と行動が矛盾だらけの詭弁師たちは、決して円を手放そうとしない。

“国の借金家計説”を信じたい連中は、借金の大半を家族ではなく他人様のみならず敵国にまで依存しているアメリカやドイツ、イギリス、フランスの財政事情こそ心配すべきだろう。

管理通貨制度が一般化して半世紀近く経つというのに、いまだ通貨の本質を理解しようとしない狂人がウヨウヨいる事実に呆れ返るばかりだ。

2018年8月20日 (月)

増税で国を滅ぼす緊縮兇徒

正当な国家観を持てぬ駄馬ほど、間違った国家観を国民に押し付け、日本という大船から国民を荒海へ放り出そうとするものだ。

『財政に足りぬ危機感~消費税10%超が必要だ』(7/3 日経新聞「時論・創論・複眼」 経済同友会代表幹事 小林喜光)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO32507390S8A700C1TCR000/
「(略)早く10%に消費税率を上げるべきだ。無論足りない。そろそろ10%超に上げる議論を始めてもらいたい。(略) 45年度までPB黒字を維持するには17%が必要だ。(略)
歳出の3分の1を占める社会保障費は財政の重荷だ。給付費の改革がいる。例えば、医療機関の外来受診でかかりつけ医以外を受診した場合は定額500円を上乗せする制度の導入や、後期高齢者の医療費の自己負担の引き上げを提案する。相当な痛みを伴う改革を実行すれば、5兆円の歳出を抑制できる。(略)
先進国の中で日本は消費税率が低く、法人税率が高い。企業が国を選ぶ時代に法人税を上げるのは考えづらい。(略)
日本人は国家への状況認識が足りない。政治、経済、文化、学術それぞれのリーダーの責任だ。30年、50年、100年という単位で国家を設計しないと。今の日本だと、いざとなったら国民は逃げ出してしまうのではないか。(略)」

来秋にも予定される消費税率10%への引き上げ(+2%Pt)により、個人消費は4.5兆円縮小するとの試算もある。
小林氏の妄想に付き合い17%にまで引き上げるとすれば、個人消費に与える負の影響は単純計算で20兆円を超える大参事となる。

PB黒字の維持という誰の腹の足しにもならぬ“健全化ごっこ”のために、個人消費を壊滅させる意義が一体どこにあるのか、小林氏は合理的に説明すべきだ。

個人消費のシュリンクが惹き起こす大寒波は、小売や飲食、宿泊、自動車、住宅、通信など広範な業界を巻き込み、バブル崩壊やリーマン・ショックを軽く凌駕する経済大減退を招くだろう。

小林氏をはじめとする緊縮派のバカ連中は、日本経済第三の敗戦に対して、どう責任を取るつもりなのか?

また、彼は、企業が国を選ぶ時代だから法人税UPなんて以ての外だと自分勝手なことを言っているが、法人税すら払いたくない企業など我が国に要らない。
無能な経営者ともども、中国にでも、インドにでも、いますぐ出て行ってもらいたい。
日ごろから移民好きな彼らのことだから、日本人を使うより、中国人やインド人、ベトナム人らに囲まれた方が心地よいだろうから…


消費増税を正当化しようとする輩は、得てして社会保障予算の窮乏を理由にしたがるが、社会保障費は、国民が遍く広く利益を享受すべき社会的コストだから、必要な財源は国債発行か政府紙幣の発行で賄えばよい。

医療や福祉・介護といった分野は、憲法第25条に、
①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない
と規定されているとおり、国民が社会生活を営み、生産活動に携わるに当たって、最低限必要なライフラインなのだから、その財源確保のために国民に過度な負担を強いるのは明らかに間違っている。

小林氏は、かかりつけ医以外を受診するなら500円払えとか、後期高齢者の医療費自己負担を引き上げろと息巻くが、そんなみみっちい態度では、ただでさえ減退気味の個人消費に益々ブレーキが掛かるだけのことだ。

若者世代の人口が極端に減ってしまった現在の歪な人口構成比を無視して、増えるのが当然の医療費や介護費を、すべて国民の負担に押し付けようとするのは、あまりにも無知で馬鹿げた発想だ。

発行済み国債の4割超を日銀が保有し、実質的な政府債務はピーク比で半分近くまで減っており、国債増発に何の障害もない。

どうしても国債嫌悪症の単細胞に配慮せざるを得ないなら、社会保障費の増加分を政府紙幣発行で手当てしてもよい。
国民が遍く享受する社会福祉分野の財源を賄うという大義名分を用意してやれば、現状では年間2千億円規模に過ぎない政府紙幣(硬貨発行額)の存在を名実ともに国民に認めさせる絶好の機会となるだろう。

国民も、“医療費負担増+消費増税”という迷惑な負担コンボに振り回されずに済み、実質所得も上がり、消費に回せる財源が増え、個人消費関連業界の業績アップにつながるという「正のスパイラル」が生まれる。

政治や経済の存在意義は、政府の懐具合を肥やすことではない。
国民の生活レベルを絶えず向上させ続け、生産や社会活動を通じて産み出される果実を広く分配することにある。

小林氏のような緊縮主義者たちは、長期不況でガタガタになった国家状況への認識がまったく足りない。
50年、100年先を見据えて、日本という大船の乗員(国民)をきちんと喰わせていくためには、通貨という経済ツールをいかに上手く使い、生産力を高められるかにかかっている。

通貨は、ケチったり、出し惜しみするために存在するのではない。
通過をどんどん実体経済に放り込み、それを国民や企業が擦り減るまでこき使う過程で、技術や生産力、サービス力がより高度化し、生活レベルの向上をもたらすのだ。

誰の負債でもなく、いくらでも創造できる通貨を活用せずに、増税や国民負担引き上げしか言えない緊縮主義者どもは、経済の根幹を一から勉強し直すべきだろう。

2018年8月17日 (金)

諂米主義者の卑屈な根性

『入念指示で「事故防げた」=ボ社任せ、責任否定-送検16人供述全容・日航機墜落』(8/11 時事通信社)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081100369&g=soc
「520人の犠牲者を出した1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故で、群馬県警が業務上過失致死傷容疑で書類送検した20人のうち、ボーイング社の4人を除く日本航空と運輸省(現・国土交通省)の16人の供述の全容が11日、明らかになった。「ボ社に任せた」とする責任回避の姿勢が目立ち、整備で入念に指示すれば「事故を防げた」との複数の供述が存在していた。(略)」

今夏は日航ジャンボ機墜落事故から33年目となる。
単独航空機による事故としては史上最悪となる520名もの死者を出した同事故の原因は諸説あるが、1978年に同機が伊丹空港で起こした尻もち事故後に、後部圧力隔壁を修理したボーイング社の修理ミスというのが公式見解であり、同社もこれを認めている。

であれば、一義的な責任は飛行機を製造し、修理責任者であるボーイング社にあり、重大な事故を引き起こした“犯人”として責めを負い、被害者に土下座して詫びるべきは同社であるはずだ。

例えば、2015年に発生したカーフェリー「さんふらわあ だいせつ」の火災事故(乗員1名死亡)では、火元となったトラックの冷凍機モーターを交換した整備士の男が業務上過失致死などの容疑で書類送検されている。

事故の規模が違うとはいえ、事故を起こしたトラックの運転手の点検ミスではなく、トラックの整備責任者の責任を問うたもので、整備不良が惹き起こした事故の責任の所在は、一義的に整備責任者が負うべきものという原則に従えば、日航機の事故責任を厳しく問われるべきは、やはり、いい加減な修理で重大な修理ミスを犯したボーイング社であろう。

しかも、自動車やトラックと違い、数百万もの部品で構成され、メーカー以外にその構造を詳しく検証できない飛行機ならば、メーカー側の整備ミスを運航会社が点検で発見できる確率は相当低く、日航に必要以上の責任を負わせるのはお門違いも甚だしい。

なのに、多くの国民やマスコミは日航を目の敵とし、ボーイング社の修理ミスを完全スルーして点検責任者ばかりに責任を押し付けようとする。

ボーイングは、遺族の前で薄っぺらな弔辞を読んだだけで事を済ませ平気な顔をしているが、当時のマスコミだけでなく、今に至ってもボーイングの責任を口にしないマスコミがゴロゴロいることに強い憤りを覚える。

えてして、日本人は外国人の圧力に弱く、外に向かって文句を言えない腹いせに、自国民を必要以上に攻め立てる醜悪な癖がある。

日航ジャンボ機事故を巡るマスコミの偏った論調も、トヨタ車のブレーキ故障問題でアメリカ司法省から言い掛かりをつけられ、事実は、バカなアメリカ人ドライバーによるアクセルとブレーキとの踏み間違いによる「自爆事故」であったにもかかわらず、1,200億ドルもの和解金を支払わされた事例とよく似ている。

マスコミの連中は、トヨタの事件でも自国メーカーを庇うどころか、アメリカと一緒になってトヨタ車のブレーキに欠陥があるかのように騒ぎ立てていたが、同事件の公聴会で証言した被害者を騙るオバサンの不可解な言い分(下記参照)を聞いて怪しいと思わなかったのか?

〈アメリカの狂言オバサンの言い訳〉
①走行中のレクサスが加速開始
②ギアを「ニュートラル」に入れても減速せず、「リバース」には入らない
③サイドブレーキも機能せず時速145キロに
④「ガードレールか木にぶつけて止めるしかない」と考えた
⑤時速160キロに達し、夫に「最後の電話」をした
⑥その後、特に新しいことをしないうちに徐々に減速
⑦時速53キロに落ちたところで、中央分離帯に寄せてエンジンを切った

こんなものは、誰がどう見ても、アクセルを間違ってベタ踏みしたスピード狂の見苦しい狂言だろう。

常に日本人の粗探しに躍起になり、誰かを蹴落としたい、誰かの足を引っ張りたいと舌なめずりするマスコミ連中の卑しい根性が見え隠れする。

これは、原爆投下や終戦記念日などの集会で、アメリカの戦争犯罪や虐殺行為を非難せず、ひたすら不戦の誓いとやらを唱え、先の敗戦の原因や責任を、戦争を選択せざるを得なかった日本人の無謀さのみに帰結させようとするマスコミの論調に通じるものがある。

第二次世界大戦中にアメリカが日本各地を空襲し、それらによる死者は41万人以上(原爆被害者を含む)にも上る。

先日、北海道に出張した際に地元の人と雑談の中で、戦争当時、函館市や小樽市、帯広市、旭川市といった戦略上まったく意味のない都市や農村部もアメリカ軍によって空襲され、一般市民を中心に死者2,000人を超える被害を出したとの話を聞いた。

筆者も幼い時に、母からアメリカ軍の爆撃機が襲来し、空襲警報が鳴って避難した時の体験を聞いたことがある。
その時は何気なく、「これが空襲警報の話か」と聞いていたが、よく考えると、東北地方の山奥にあった母の生家にまでアメリカの空襲が迫っていたことに強い違和感を覚えた。

戦略的見地からは、人気も乏しい農村地帯を爆撃するなんて、爆弾と燃料の無駄遣いでしかないはずだが、当時のアメリカ軍は全国180カ所もの爆撃リストを作り、軍事的要所でもなんでもない都市や農村部まで爆撃している。

これは、戦争を超えた「殺戮」であり、東洋人に対する強い差別意識や恨みに裏打ちされた虐殺行為にほかならない。

本来、日本人たる我々が、原爆投下の日や終戦記念日(※こうした名称自体も見直す必要があるが…)に唱えるべきは、当時のアメリカが犯した醜い戦争犯罪や虐殺行為に対する強い非難である。

いつまで経っても“従米根性”や“諂米主義”から抜け出せぬバカマスコミに踊らされ、日本人の真の敵を見誤ってはならない。

2018年8月 9日 (木)

国家を分断したがる輩

(※)お盆休暇のため、次回は8月17日(金)の予定です


政治の世界や論壇には、新自由主義者がウヨウヨ跋扈している。
実社会で揉まれた経験の少ない彼らの言葉は、一見勇ましく聞こえるが、どこか空虚で冷酷だ。

彼らはいつもリーダー気取りで、自分を一般人より上位に位置付け、他人を叱咤したがるが、社会の重しとなる核心的な課題には決して触れようとはせず、バカでも動かせる軽少な課題を、さも重大ごとであるかのように騒ぎ立て、それを攻撃する自分の地位を高めることに腐心する。

新自由主義者の刃は、常にか弱い民衆に向けられているのだが、当の民衆は眼前に突き付けられている刃先と脅し文句を「宣託」だと勘違いしているから手に負えない。

『「地方はもっと責任を引き受けろ」~東京都に"中核市"が少ない根本原因』(7/25 PRESIDENT Online 橋下徹/前大阪市長)
http://president.jp/articles/-/25672
「(略)待機児童問題解消のための保育士増、教員の負担軽減のための教員増、いじめ問題に対応するスクールカウンセラーの増員、治安維持のための警察官増、領海を守るための海上保安官増……とにかく人員増のオンパレードだ。
人を増やすことに表立って反対する人はいないだろう。そして無責任な政治家、自称インテリ連中は、そればかり言う。問題は、カネ・財源をどうするか、である。(略)
何か問題があるたびに、政府が旗を振って、人員増の対策を進めれば、政府の予算は無限に膨張していく。しかし日本にはそこまでの余裕がないし、もっと違うところにカネを使わなければならないという優先順位もあるはずだ。(略)
この国を適切に引っ張っていくための組織マネジメントとして最も重要なキーは、中央政府と地方自治体の仕事の役割分担を明確化し、地方自治体がやるべき仕事については、首相や中央政府が、「それは地方の責任だ! カネの用意も含めてしっかりやれ!」と地方を突き放すことである。」

国家運営を、「中央vs地方」という二項対立や上下階層の分断視点でしか考えられないド素人は、あらゆる課題や問題を“カネ不足”と“やる気の問題”で片づけたがる。

大阪府の経済力は1970年の万博以降下降の一途を辿り、長期的地盤沈下が叫ばれて久しく、大阪府がとりまとめたレポート「大阪の改革を評価する(報告書)2014年9月」でも、
●今や大阪は、低所得者の割合が他都市に比べてかなり高く、犯罪、雇用、離婚、自殺などの社会指標も軒並み全国ワーストレベルにある。加えてこれらが複合して、他の指標を一層悪化させるという悪循環に陥っている(いわゆる「大阪問題」)。
●社会問題の深化と拡大と同時に、都市の経済力や財政力も低下・・・府庁・市役所も次第に余裕を失い、状況対応に追われ、抜本策が打ち出せないままに、都市問題が一層深刻化。
と強い危機感をもって総括されているが、そういった状況は今でも一向に改善されていない。

帝国データバンクの調査(1994年→2014年)による企業本社数(従業者50人以上かつ資本金又は出資金3,000万円以上)の推移を見ると、東京都が約5,600社→約8,500社と右肩上がりなのに対し、大阪府は3,000社前後でほぼ横ばいという体たらくで、その間に東京都へ200社、隣県の兵庫県へ120社余り流出するなど、首都との格差は開く一方だ。

大阪が地盤沈下の泥沼から抜け出せないのも、「地方は中央に甘えるな」、「必要な金は地方が自分で稼いで来い」と叫び散らす無能知事や無能市長を甘やかして当選させ続けてきた報いだろう。

橋下のバカが決定的に見落としているのは、
①カネを惜しみ財政再建を優先するあまり、諸課題・諸問題解決がもたらす国民的な福利や厚生の向上を蔑ろにしていること
②行政機構を「中央vs地方」という対立構造や上下階層でしか理解していないこと
③カネ(貨幣)を創造し、津々浦々に流通させるのは、国家にのみ負託された大権であるが、それをまったく理解できていないこと
の3点だろう。

橋本のバカは“児童相談所の体制強化、待機児童問題解消のための保育士増、教員の負担軽減のための教員増、いじめ問題に対応するスクールカウンセラー増員、治安維持のための警察官増、領海を守るための海上保安官増…”等々を例に挙げ、「人を増やせというのは簡単だが、予算(カネ)はどうするんだ?」と息巻いている。

しかし、「財源をどうする」、「予算がないぞ」というセリフは、山積する諸問題を放り出したいだけの無能なクズの常套句だ。

カネが無いなら国家が必要なだけ造ればよいだけのことだ。
最も大切なのは、問題や課題を一分でも早く解決できる人材を育成することや、必要な法整備を施し、行政手続きを改善してやることだ。

児童虐待によりただでさえ貴重な幼子の命が奪われるのは、もはや国家的損失と言えるが、マスコミ連中は児童相談所の手落ちを責めるだけで、法整備や人員増といった根本的な問題解決にまで手を付けようとはしない。

こんなありさまでは、この先も悲運な幼子は見殺しにされ、放置されるだけだろう。
「中央に頼るな。地方で何とかしろ」とほざくバカ者の自尊心を満たしている間にも、貴重な人命が次々と踏みにじられるのだ。

カネさえあれば人員を確保できるのに、敢えてそれをせず、地方の自助を強要し、くだらぬ根性論を押し付けるバカの論に正当性は一mmもない。

そもそも、中央(政府)が地方にカネをめぐんでやるという意識が根本的に間違っている。

広大な日本という国家を統治し運営・発展させるためには、“中央にカネを集め、中央が権限を握り、もったいぶって地方にカネを恵み、箸の上げ下げまで事細かに指図を出す”という構図ではダメだ。

本来、行政に中央も地方もない。

島根県庁は、たまたま日本国の山陰地方にある島根という地域の行政を、大田原市庁は、たまたま日本国の北関東地方にある栃木県大田原という地域の行政を司る役割を担っているだけで、国家の一部であることに何ら変わりはない。

各々の地方行政機構を「一地方」だと切り捨て、カネは自分たちで用意しろなんて幼稚なセリフを吐くのは、右手の人差し指や大腸に向かって「お前たちに喰わせる飯はない」、「栄養分や血が足りないなら、自分たちで何とかしろ」と言い放つようなものだ。

新自由主義者という人種は、得てして国家観が皆無で人間(他者)を嫌っている。

彼らは、他者の幸福を嫉み、その不幸に無上の快感を覚える人非人だから、他者の苦境を救うカネなど、たとえそのカネが自分の懐を痛めるものではなくとも、ビタ一文使う気はない。

カネ(貨幣)なんて、国家がその気になれば幾らでも創れる程度のモノに過ぎない。
そんなものを後生大事に崇めるよりも、国民に多大な不幸とストレスを課し続ける社会問題を解決する方が、国民にとって遥かに莫大な利益をもたらすだろう。

この程度の理屈すら理解できない新自由主義者のバカどもは、社会常識を叩きこむため初等教育からやり直させる必要があるのではないか。

2018年8月 6日 (月)

JRは再統合すべき

『JR北海道の苦境は一体どこに原因があるのか』(7/2 DIAMOND Online 枝久保達也/鉄道ジャーナリスト)
https://diamond.jp/articles/-/173703
「JR北海道の苦境が続いている。2017年度の連結決算は106億円の経常赤字となり、2016年度の103億円に続いて、2期連続で過去最悪を更新する大変厳しい結果となった。(略)
今年4月からJR北海道は経営再生に向けて、国土交通省、北海道、北海道市長会、北海道町村会、JR貨物との6者協議を開催している。6月17日に行われた第2回協議で発表された「経営再生の見通し」で、北海道新幹線の札幌開業が予定される2030年度まで国と北海道、沿線自治体に対して支援を求めたが、沿線自治体の財政状況は厳しく、財務省も長期の支援に難色を示しているという報道もある。(略)」

筆者も北海道へ出張する際に、年に何度かJR北海道を利用して広大な北海道を移動している。
ご存知のように、北海道の面積の広さは想像以上で、九州の二倍にもなり、北方領土を除いても、そこいらの都府県が軽く12~13個は入るくらい大きい。

空路で新千歳空港に降り立ち、そこから出張先がある釧路や北見、稚内、函館といった道内主要都市に移動するのだが、なにせ移動距離が300~600㎞にもなるから、特急列車を使っても4~6時間掛かり、ほぼ一日移動に費やされてしまい、訪問先の最寄り駅についた途端、仕事をする気も失せるくらいだ。

正直言って、JR北海道の特急列車に乗るのは苦痛でしかない。

運行本数の少なさに加えて、老朽化した車両の乗り心地はお世辞にも良いとは言えず、特に冬期間は空調調整が難しいのか、極端に暑かったり寒かったりと温度調節に苦労させられる。

おまけに、社内Wifiが未整備なのは当然として、電源プラグの類いもないうえに、路線の多くを占める山間部ではWifiどころかデータ通信や携帯の電波すら入らぬ場所も多い。

また、ほとんどの列車で車内販売が廃止され、飲み物や食べ物を買い忘れると、最悪6~7時間も飲まず食わずの苦行を強いられることになる

有り体に言えば、もはや乗車というよりも、単なるモノとして運ばれている感覚と表現すべきか…

元々、北海道の人は列車や飛行機よりも車で長距離を移動する方が多く、筆者の取引先の経営者も、そもそも列車を使うという考えなど毛頭なく、商用の際にも、道北地方の果てから札幌まで400㎞近い距離を車で飛ばして(平均時速は軽く100キロ越えだそうな)移動している。

本州のビジネスマンなら、新幹線や飛行機での移動が日常だが、道民の多くは、本数も少ないうえに雪害や水害、故障でしょっちゅう運休になる列車を当てにしていないようだ。

冒頭の記事では、万年赤字に苦しむJR北海道が、赤字路線の廃止を巡って道庁や自治体との折衝に苦労している様子が書かれているが、さもありなんといった感想しかない。

JR北海道の直近決算では、営業利益▲416億円、経常利益▲106億円とまったく冴えない。
同じくお荷物と言われてきたJR九州(営業利益639億円)やJR四国(営業利益▲117億円)と比べても著しく見劣りするが、なんといってもJR北海道の営業キロ総延長距離は約2,500㎞と群を抜き、その多くが峻烈な山間部や海岸沿いに配置され、冬には▲20~30℃にもなる凍てつく大地を走る都合上、除排雪作業も加わるから、保守点検に多大なコストが掛かるのは致し方なかろう。
むしろ、この程度の赤字で済んでいることに感心している。

JR四国も同じことだが、これだけの地理的あるいは人口集積面のハンデを背負わされたJR北海道が、そもそも黒字化できるはずがない。

JR北海道には黒字路線が一つもなく(※JR九州・四国は一路線のみ黒字)、輸送密度4千人未満の線区が営業キロ総延長の74%を占めているほど経営資源に恵まれず、この会社を黒字化できる経営者など、おそらくこの世に一人もおるまい。

幸い、JR東日本・東海・西日本の本州三社の決算を合計すると、営業利益ベースで1兆3,450億円、経常利益ベースで1兆2,570億円にもなり、JR北海道やJR四国の赤字など余裕で吸収できる。

元の国鉄みたいに一つに統合するもよし、NTTみたいに東と西の2社に、あるいは、NEXCOのように東日本・中日本・西日本の3社に統合するもよし。
いずれのケースでも、盤石な経営基盤を十二分に維持できるはずだ。

そうすれば、実りのないローカル赤字路線の廃止問題に貴重な時間や労力、経営資源を削ぐ必要もなくなるし、駄々をこねる自治体との折衝で社員が精神的に追い込まれることもない。

特に、JR北海道には、函館本線や室蘭本線、根室本線、釧網線などといった周回ルートを組める路線を多数抱えているのだから、国内外ともに人気の高い道産品や観光地とのコラボによるハイグレードな観光商品を打ち出すことも可能になる。

このままコストカットや路線カットばかりの撤退戦略だけに終始すれば、早晩経営はじり貧となり、日本一の観光地を縦断する公共交通機関を永遠に失ってしまう。

少なくとも、JR東日本と合併させれば、経常利益で4千億円を超える超優良企業の傘下に入ることができ、運行車両の更新や本数の増発といった攻めの経営に転じることができ、道内観光をより魅力的なものに変える力を持てるようになる。

北海道はお荷物だ、四国に列車なんて要らない、などと弱った部分だけを切り捨て続けていけば、国土は末端から空白化し、“領土はあれども人住まず”といった具合に地方から壊死してしまうだろう。

地方を蔑み切り捨てるのは容易いが、そうした愚かで無責任な行為が、やがて己の身を蝕むことに気付くべきだ。

2018年8月 2日 (木)

交通インフラの需要は増すばかり

民間調査会社の「ブランド総合研究所」が毎年秋に発表している『都道府県魅力度ランキング』。
このランキングで、最下位の常連(昨年も最下位で5年連続‼)として有名なのは“茨城県”であり、TVのバラエティー番組でも散々ネタにされ弄られている。

茨城県は今年4月時点で人口286万人と静岡県に次ぐ全国第11位(広島や京都、宮城、新潟よりも、実は人口が多い)を誇り、工業出荷額も11兆1千億円(H28年)と全国第8位にランクされ、また、全国屈指の農業県&漁業県でもあり、全国一位の収穫量や生産量、漁獲量を誇る品目を挙げると、干し芋、レンコン、栗、メロン、ビール、サバ、マイワシ、芝、ピーマン、白菜、レタス、水菜、鶏卵等々、その実力たるや目を見張るものがある。

だが、茨城や栃木、群馬といった北関東三県のように、大都市圏に近接する県はどうしても影が薄くなりがちで、岐阜や和歌山、山口、佐賀といった地域も同じことだが、全国ニュースで採り上げられる機会もなく他県の人々の印象に残りづらいのだろう。

えてして、こうした“都会の隣県”は、隣接する都心からの交通の便こそ良いものの、それ以外の地域との交通手段が貧弱なケースが多く、せっかく魅力的な観光資源を持っていても、わざわざ遠方から訪れるには物理的な負担が大きすぎ、足を運ぶ機会が少なくなってしまい、魅力度低下の主因となる。

茨城県は平成20年まで、京都府、奈良県、滋賀県、山梨県、埼玉県、群馬県、栃木県、岐阜県、神奈川県、三重県の10府県と並び、空港のない県の一つに数えられ、一時は山梨・三重と同じく“空港も新幹線の駅もないド田舎”という汚名を拝していたが、平成21年3月の茨城空港開港により、他県との玄関口が大きく開かれることになった。

茨城空港は、開港当初こそ「無駄な公共事業の象徴」、「我田引空」だと散々批判され、唯一の就航便であったスカイマークが平成27年に民事再生法申請による破綻の憂き目に遭うという不幸も重なった。

しかし、関係者や地元の努力もあって、現在、国内線4路線6往復(新千歳・神戸・福岡・那覇)、国際線3路線(ソウル・上海・台北)が就航し、着実に旅客実績を伸ばしており、平成29年度の旅客数は国内外合わせて68万人に上り、実質開港一年目の平成22年度実績20.3万人の3.3倍に膨張している。

旅客実績は8年連続右肩上がり、しかも、国際便よりも国内便の伸び率が大きく、また、旅客数を運航便の隻数で割り返した搭乗率も73%程度を維持していると思われ、地方空港の実績としてはかなり健闘している。

自家用車を主な移動手段とする茨城県民にとって、1,300台もの無料駐車場を要する茨城空港は、非常に利便性が高く、それが空港の利用促進に一役買ったのだろうが、県庁や各市町村の担当者による観光PRを通じた地道な努力が実を結び、県外からの利用客が増加している点も見逃せない。

こうした実績は、地方空港の運営にとって大いに参考になるケースであり、もはや茨城空港を問題児扱いする意見を耳にすることは少なくなった。

とかく、空港や新幹線、高速道路といった交通インフラを整備する話になると、無駄づかいだの、誰も利用しないだのと文句ばかりタレる能無しが出てくるが、いざ造ってみると、結構便利に利用されるものだ。

造る前に大騒ぎしていた文句タレどもが、いそいそと大きなスーツケースを転がして空港から海外旅行に出かける様を眺めて、筆者は苦笑いしか出ない。

現在、我が国には空港新設の計画はなく、その主軸は既存施設の機能強化や運営の民営化に重点が置かれている。

一方、中国では、華北、華東など全国の6大地域の空港群を整備し、2025年までに民間空港136カ所を新設、世界レベルの3つの大空港群と国際ハブ空港10カ所、地域ハブ空港29カ所を構築する計画をぶち上げるなど意気盛んで、二言目には、財源がない~、少子高齢化だ~、人口減少社会だ~と逃げ腰の言い訳ばかりする日本とかの国との差は拡がるばかりだ。

我が国でも、まずは、国内の空港未整備府県を解消し、全都道府県に新幹線を通すくらいの気概が欲しい。

造った後の利用の有無に気をもむ暇があるなら、利用促進に向けた計画を練り、周辺の観光資源やビジネス需要の掘り起こし策に精力を注ぐべきだ。

一日数本ではダメだが、まともな運行本数さえ確保できれば住民にも利便性が理解され、利用拡大につながるものだ。

消極的な縮小策で国が発展することはなく、国民の生活レベルが向上することもない。
少子高齢化社会に直面する我が国で生産性を維持向上させるためには、交通インフラの充実や緻密化による移動効率の大幅な改善が不可欠である。

地方空港の新設や新幹線や高速道路の新設といったインフラ整備計画は、人口減少社会にとって不要どころか、その必要性は益々高まるばかりだと言えよう。

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