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2018年12月17日 (月)

せっかくの供給力をムダにするのか?

『大卒の初任給、過去最高20万6700円 5年連続増加』(11/28 朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASLCX52K9LCXULFA01W.html
「2018年の大卒の初任給は前年より0・3%増の20万6700円で、過去最高を更新した。厚生労働省が28日、調査結果を公表した。景気の緩やかな回復基調を受けて、5年連続の増加となった。(略)」

大卒初任給の水準は、この四半世紀でほとんど増えていない。
いまから25年前に当たる1993年の平均額が19.3万円だから、そこからたったの1.3万円しか増えておらず、その増加率たるや年率換算で僅か0.28%というお粗末さだ。

ちなみに、1993年以前の状況を見ると、統計のある1976年→1993年までの17年間は、金額ベースで+98,700円、年間平均増加率6.1%という凄ましさであり、今とは雲泥の差だ。
【参照先】https://www.nenshuu.net/sonota/contents/new_graduate.php

仮に1990年代以降も高度成長が続き、初任給も年率6%の伸びを見せていたのなら、いまごろ大卒初任給はなんと85万円にもなっており、伸び率が半分の3%だったとしても40万円くらいに達していたはずだ。

それから見ると、四半世紀もの横ばい状態を放置し、たった20万円少々で「過去最高‼」なんてはしゃぐのは恥ずかしい限りだ。

経済というものは、生産・貯蔵・流通といった製品やサービスの供給力向上に伴い、年々成長し続けるのが当然で、停滞や減少はあってはならない「異常事態」である。

高度な教育を受けた大卒者の初任給が四半世紀も微動だにしないことに疑問を抱かない方がどうかしている。

日本人はいつから成長や幸福を追求する気を失くしてしまったのか?
資本主義経済下において、幸福への真摯な欲求なくして前進も成長もあり得ないが、幸福への権利すら放棄しようとする国民は、今世紀をどう生き抜くつもりなのか?

経済活動に欠かせないのは、人々の生活を支える供給力の維持向上であり、供給力無くして経済発展はあり得ない。

「供給」は「需要」に引っ張られる形で“貨幣”という対価を与えられ、そこで初めて付加価値が生じることになる。

世界中に管理通貨制度が普及し、(インフレ率を適正範囲内に収めるという条件下ではあるが)事実上、貨幣を無尽蔵に製造・投入可能な経済体制下において、「貨幣=需要の創造」はいくらでもコントロールできるが、それに見合う供給力を育てるのは一朝一夕にはいかない。

裏を返すと、経済は供給力の限界値(=量的・質的限界値)までならいくらでも成長が可能だから、政府は供給力の余剰分を満たす需要を創り出せばよい。

だが、我が国は世界有数の高度な供給力を備えていながら、緊縮財政を賛美するあまり需要創造を忌避し、せっかくの供給力を徒に持て余した挙句、「いつまで経っても景気が良くならない」、「もう日本は成長できないかも」と愚痴をこぼし、自信を失っている。

まことに馬鹿げたことだ。

日本人は、便利なモノを作り、質の良いサービスを提供する能力が人一倍優れているのだから、それを十二分に活かせるだけの需要を付けてやればよいだけではないか。
供給力は余っているのだから、それらをカネに換えるだけの「需要=貨幣」をもっとふんだんに家計や企業の懐にねじ込んでやればよいだけの話だろう。

巷では、日本企業の人手不足による供給力停滞が叫ばれているが、足りないはずの人手を補うための対価、つまり、労働者の賃金水準は驚くほど伸びていない。

大卒者の初任給しかり、サラリーマンの平均給与しかり、パートやバイトの時給水準しかり、人手不足の掛け声の大きさの割に、労働者が受け取る報酬の伸びは毛虫が這う程度の伸びでしかなく、所詮は低賃金労働にひたすら耐える奴隷が足りないというだけの“エア人手不足”でしかない。

また、昨今の人手不足感は供給を量的側面から捉えた訴え、つまり、

・元請からの劣悪な受注条件により恒常的な赤字体質
 ↓
・収益力が脆弱なため給与水準も低迷
 ↓
・労働条件が悪く求人不発
 ↓
・元請からの発注量をこなせない

という馬鹿げた負のループを繰り返している。(特に中小零細企業…)

これでは、いつまで経っても業績は改善されないし、人手不足も解消しない。
「赤字垂れ流し→ベトナム人を雇って人件費削減→ベトナム人を他国に取られてネパール人に求人→ネパール人を他国に取られて人手不足…」の繰り返しに終わり、やがて資金繰りに行き詰まるだけだ。

赤字仕事を大量にこなすだけの無駄な受注体質を改善せぬ限り、事態は解決しない。
受注量を捌くことに四苦八苦するのではなく、受注ごとの付加価値を上げる、要は、個々の受注の収益性を高めるべく受注の質的改善を図らねば、人手不足なんて永遠に解決しない。

一つ一つの受注単価が上がり、赤字仕事の大量生産から解放されれば、中小零細企業の収益力も増し、労働者への分配原資も生まれ人手不足感も緩和される。

本来なら、第一に、下請けいじめや雇用抑制によって史上最高水準にまで利益を溜め込んだ大企業サイドに自助努力を求めるべきだ。

そのうえで、政府が長期にわたる経済成長目標を立て、それを実現するための積極的な財政金融政策を打って市場に安心感と成長期待を与えてやれば、大企業サイドも長期目線で収益見通しを立てることができ、発注や生産拠点の国内回帰が現実のものになるだろう。

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