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2019年1月14日 (月)

お金はお金

Q.「銀行券が日本銀行のバランスシートにおいて負債に計上されているのはなぜですか?」
A.「日本銀行は銀行券の発行を1885年に開始しました。当初、日本銀行の発行する銀行券は、銀との交換が保証された兌換銀行券でした。その後、金本位制度の採用を経て、金との交換が保証されました。こうした制度の下で、日本銀行は、銀行券の保有者からの金や銀への交換依頼にいつでも対応できるよう、銀行券発行高に相当する金や銀を準備として保有しておくことが義務付けられていました。
このような銀行券は、いわば日本銀行が振り出す「債務証書」のようなものだと言えます。このため、日本銀行は、金や銀をバランスシートの資産に計上し、発行した銀行券を負債として計上しました。
その後、金や銀の保有義務は撤廃されましたが、一方で、銀行券の価値の安定については、「日本銀行の保有資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべき」という考え方がとられるようになってきました。こうした意味で、銀行券は、日本銀行が信認を確保しなければならない「債務証書」のようなものであるという性格に変わりはなく、現在も負債として計上しています。」
(日銀㏋『教えて!にちぎん』より)

“お金(貨幣)とは何か”という疑問に答えるのは容易ではないが、筆者は少なくとも「貨幣は貴金属的価値のある財貨(主にゴールド等)に裏打ちされるべき(金本位制)」とか、「貨幣は負債である(貨幣負債論や貨幣借用書論)」といった愚論を容認する気はさらさらない。

一般的には、日銀(正確には国立印刷局)が発行する日本銀行券(紙幣)や、政府(造幣局)が製造する政府紙幣(硬貨)を総称して、“貨幣や通貨(法定通貨)”と呼ぶのが常識だが、世の中には、国家が製造する法定通貨を捕まえて、「お前の価値を担保するのは何なのか?」とやたらと貨幣に担保を要求したがる者がいる。

それほど貨幣(円)価値の担保が気になるなら、ドルやユーロ、元にでも両替すればいいのだが、こういうめんどくさい奴に限って、平気な顔して毎日のように円で買い物しているからややこしい。

冒頭にご紹介した日銀のQ&Aのとおり、中央銀行は発行した貨幣(日銀券)をB/S上の「負債勘定」に計上しているが、そうした事実が、貨幣の使用に足枷を嵌めたがる緊縮派のバカどもや、貨幣負債論を信じる者の拠り所となっている。

だが、貨幣が負債であるなら、その負債をどうやって清算するつもりなのか、明確な回答を提示した者は誰もいない。

「負債」とは『他から金銭や物品を借りて、返済の義務を負うこと。(デジタル大辞泉)』と解説される。
ここで重要なのは、“負債=返済の義務を負うこと”であり、負債である以上、債権者が存在し、決められた期日までに相応の対価を以って清算せねばならない。

貨幣負債論を信じる者は、最低でも、
①貨幣という負債の清算(返済)義務を負う者は誰なのか
②負債の清算にあたり、持ち込まれた貨幣の対価として何を以って支払うのか
③負債の清算期限は何時なのか
という疑問に対して、具体的に箇条書きで答える必要がある。

念のために言っておくが、持ち込まれた貨幣を別の貨幣と交換することを負債とは呼べない。それは単なる“両替”である。

それから、「負債の定義」を一般人が理解できない特殊な言葉で修飾したり、一部のコミュニティでしか通じない暗号で定義づけしたりするのは明確なルール違反である。

まぁ、貨幣という負債を返済する対価として使われるのが“貨幣”である時点で、貨幣が負債ではないことが明白なのだが…

貨幣が負債であって欲しいと願うのは、「預貯金や債券などの金融資産の価値を裏付けるためには、その対岸に負債の存在が必要になる」という原則論を慮ってのことだろう。

だが、「誰かの資産は誰かの負債」という原則は、あくまで債権債務や貸借関係の線上で成立するものであり、売買や贈与のような行為にまで及ぶものではない。

通常、負債や債務を清算するにあたり、貨幣が使われる(無銭飲食の罰としての皿洗いは別…)が、そうした場合の貨幣の役割は、「負債の総量を円という金額単位で可視化すること」と、「可視化した負債量をゼロにするための清算に使われる道具」であり、負債そのものを意味しない。

冒頭のQ&Aで日銀は、『銀行券の価値の安定については、「日本銀行の保有資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべき」という考え方がとられるようになってきました』と口を滑らせている。

これを額面通りに受け取れば、貨幣(銀行券=紙幣)の価値を担保するのは、日銀のB/Sの資産勘定にある国債や有価証券ではないという意味になる。

つまり、国債や有価証券という金融資産を資産化するには、それらを売却して“貨幣”に換金する必要があり、換金された貨幣を以って、負債勘定にある貨幣の価値を担保することはできないという事実を暗に認めているのだ。

積極財政を主張する者たちは、これまで、世間に流布する「1,000兆円もの国債を抱える日本は財政危機」という緊縮財政派の大嘘に対して、「国債は政府の債務であって国民にとっての資産。政府債務は経済規模の拡大に伴い永久に増え続けるのが当たり前。国内には日銀や民間金融機関をはじめ国債の買い手はいくらでもおり、政府債務の拡大に懸念はない。債務がいくら増えても、政府が貨幣発行権という大権を有する以上、内国債の債務不履行など起こり得ない」という論で厳しく批判してきた。

しかし、貨幣が負債となると、“政府の負債は国民の資産”まではよいが、その先の“貨幣発行権発動による政府債務解消”の段階で躓いてしまう。

借金恐怖症に駆られた国民の多くは、「お金が負債だって?じゃあ、国債をどうするんだ!借金で借金を返すのか??いい加減なことを言いやがって(# ゚Д゚)」とヒステリーを起こして暴走し、緊縮病が重篤化するだけだろう。

緊縮思想に汚染された無知な国民に、「負債には返すべき負債と返さなくともよい負債がある」という理屈は通じない。
一般的な常識では、返さなくてよいものを負債とは呼ばないからだ。

返さなくてもよいのなら、むしろそれは負債ではなく、政府による硬貨発行が「貨幣造幣益」であるのと同じく「資産や収益」と呼ぶべきだろう。

貨幣負債論は、国民の借金恐怖症をいたずらに刺激し、経済政策における貨幣活用のハードルを自ら上げるだけの愚策でしかない。

また、『財政政策は、政府が負債や借用書である円を刷って、国民からモノやサービスを借りるのと同義』という論もあるが、これも“借りる”ではなく、“買う”と表現すべきで、政府はサービス提供者に対する対価(貨幣)の支払いを個々に清算済みだから、借りっぱなしというわけじゃないし、ましてや対価として支払われる貨幣そのものが負債になるわけでもない。

貨幣とは、『国家が定める法律によって保障された強制的な通用力を持ち、あらゆるモノやサービスと交換できるこの世で最も便利なツール』である。

貨幣が負債に見えてしまうのは、会計至上主義に囚われ、資産の対義語を欲する者の“早とちり”であろう。

誰もがお金(貨幣)を欲しがるのは、日本政府がその通用を保障しているからであり、通用の保障と負債とは同義語ではない。

貨幣の価値に疑問を持った馬鹿者が、政府に対して、「俺の持っている一万円札はあんたの負債なんだろ?いますぐ借金を返せよ!」とゴネたところで、誰も相手にはしない。
せいぜい、「両替ならお近くの金融機関でどうぞ」、「お金の価値に疑問を持つのは勝手ですが、万札が気に入らないなら、豪勢にお寿司でも召し上がってはいかがですか」と追い払われるのがオチだろう。

ありもしない貨幣負債論をいくら唱えても、その負債とやらを返済してくれる者はどこにもいない。
当たり前だ。そもそも、貨幣は誰の負債でもないのだから。

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