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2019年2月

2019年2月28日 (木)

貨幣をもっと造れ!

国家(政府)が市中に貨幣(紙幣や硬貨といった通貨)を流通させるには、二通りの方法がある。

一つは、政府が国債を発行し、市中金融機関、あるいは、二次的に日銀に買い取らせ資金調達する、つまり、政府が債務(信用)を拡大させるやり方。
要は、緊縮主義者や財政再建論者が忌み嫌う「国の借金(正確には“政府の借金”)」を増やす方法だ。

もう一つは、政府が直接的に貨幣を発行するやり方で、財務省が毎期立てる「貨幣製造計画」に基づき、独立行政法人造幣局が硬貨を製造し、財務大臣が日本銀行に製造済の貨幣を交付することにより発行する(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律に規定)もので、平成30年度の発行計画額は1800億円ほどだが、毎年2000億円程度の硬貨(政府貨幣)が発行されてきた。
【参照先】https://www.mof.go.jp/currency/coin/lot/2018kaheiseizou-henkou3.html

なにせ国債は毎年40~50兆円、借換債を含むと150~170兆円も発行されてきたのに比べて、1兆円にも遠く及ばない政府貨幣の発行額などコンマ未満のゴミ扱いされ、一般人のみならず、学者やエコノミストまでもが、「貨幣は債務(のみ)から生まれる」という大嘘を信じ込んでいる。(その割に誰もが硬貨を平気で使っているのが不思議なのだが…)

恐らく国民の99.99%は、政府が貨幣を手に入れるためには、緊縮主義者のバカどもから厳しいチェックを受け、“無駄づかいだの、バラマキだの”と罵倒されながら、わざわざ国債という借用証書(=購入者にとっては債権)を発行せねばならないと信じているに違いない。

だが、財務省の連中が堂々と貨幣製造計画を公表しているとおり、貨幣は政府の意志により、特に限度の定めなく製造可能であり、製造した硬貨は、日銀のB/S上で負債勘定に計上される(※筆者はこの会計処理を間違いだと指摘済み)日銀券とは違い、ちゃっかり造幣益(額面金額-製造コスト)として計上している。

財務省をはじめとする緊縮主義のバカどもに遠慮して、「借用書(国債)発行→民間から資金借入→財政出動」という踏み絵を踏ませ、国民の国債アレルギーを敢えて刺激するようなハレーションを起こさずとも、政府は貨幣を直接的に創造(製造)できる大権を有していることを忘れてはならない。

預金や保険料の運用に困る金融機関や機関投資家といった国債購入者へ国債利子をプレゼントするつもりなら構わぬが、政府にそういった意図がないのなら、これまでのような国債偏重型の貨幣発行体制を改めるべきだ。

いまから半世紀近くも前に、貨幣をゴールドに縛り付ける鎖を断ち切った時から、債務型の貨幣発行(国債)のウェートを減らし、直接製造型の貨幣発行(政府貨幣)の比重をもっと高める努力をすべきだったのだ。

無論、日本政府発行の国債は自国通貨建ての内国債ゆえ、いくら巨額になっても何ら問題はないが、「国債=国民の借金=将来へのツケ回し=増税で回収」という妄想から逃れられない一般国民に何を言っても始まらないのが現実だ。

くだらぬ緊縮主義に盲従する国民からの批判を跳ね返し、国債増発を訴えるのはまことに骨が折れる。
積極財政派の論者にはイロハに過ぎぬ「自国通貨建て・内国債・通貨発行権という絶大なる保証」という国債発行無限論を支える三点セットですら、緊縮病に憑りつかれた国民には神経に触る雑音にしか聞こえない。

毎年、わずか1~2兆円の国債増発ですら、“無駄遣いは許さん”、“私たちの税金が~”の大合唱が沸き起こる我が国では、国債増発への道は長く険しい。
こうした苦行を少しでも癒し、実体経済への貨幣供給量をもっとスムーズに増やすためには、一年でも早く政府による直接的な通貨発行への道を切り拓いておく必要がある。

一方、緊縮主義者に邪魔され、国債発行による十分な財政支出額を確保できぬ間に、我が国の内需はシュリンクし、それを養分とする供給力(国富)は年々劣化を余儀なくされている。
このままでは、通貨発行による内需刺激に供給サイドが反応できず、ただただ高インフレを発症させるだけの途上国型経済に堕落しかねない。

我が国の供給力に余力が蓄えられている僅かな時間を無駄にせぬよう、需要力を大規模かつ長期的なスパンで増やし続けることが不可欠なのだ。

そのためには、税収と国債頼みの財政運営とは一刻も早く決別し、通貨発行を主体とし、国債や税収による補完的財政体制を構築すべきだ。
理想をいえば、通貨発行:国債:税収=6:3:1くらいの比率が望ましい。

国債増発でも特段問題はないのだが、なにせ立法府や行政府の連中は新自由主義者や緊縮主義者揃いゆえ、国債増発への抵抗感は根強く、せいぜい金融緩和政策で市中金融機関の国債を日銀保有へ移し替えする程度が関の山だ。

これとて、政府の実質債務を無効化する効力はあるのだが、何といっても肝心かなめの新発債発行増には至らず、残念ながら財政刺激効果はゼロに等しい。

冒頭に説明したとおり、貨幣発行の方法に二種類あるように、発行された貨幣の性質にも二つの種類がある。

一つは、家計や企業といった民間経済主体の所得や売上に直結するもので、財政政策や給付金などにより、事業や実収入につながるものだ。

もう一つは、金融緩和政策で生み出され日銀当座預金に積みあげられる“貸出金予備軍”としての貨幣だ。

経済が過熱し、家計も企業もこぞってカネを借りたがる世の中なら後者の貨幣(借りるためのカネ)も引っ張りだこになるだろうが、ご存じのとおり、史上空前の超低金利が罷りとおる現状で“借りるためのカネ”に対する需要は著しく低迷している。

誰もがいま欲しているのは、間違いなく前者の貨幣(所得や売上に直結するカネ)であり、利息をつけて返済せねばならないカネなど用はない。

こうした実体経済のプレイヤーの資金ニーズを充たすためには、公共事業にしろ、給付金にしろ、社会保障サービスにしろ、財政出動が積極的かつ大規模かつスムーズに行われる必要があり、“私たちの税金が~”と叫ぶ無学なバカどもの雑音になど構っておられない。

国債を消滅させる必要はないが、財政政策の自由度を確保するためにも、政府貨幣発行による財政支出額をもっと大胆に増やす努力をすべきだろう。

2019年2月25日 (月)

経済成長はマスト

『噛む馬はしまいまで噛む』という諺がある。
“人や柵に噛み付く癖のある馬は、死ぬまでその癖が直ることはない。悪い性質や悪癖は容易に変えられず、死ぬまで直らない”という意味らしい。

筆者は、会社の上司から、かつて「他人の性格を変えようとしてもムリ。四十を超えると人の性格は変わらない」とアドバイスされたことがある。

たしかに、社会に出て周囲の同僚や上司、取引先の関係者などを思い浮かべてみると、一定の年齢に達した人間の性格や基本的な思想信条は、そう簡単に変わるものじゃない。
特に、迷惑な性格や悪い癖ほど頑固にこびりついたまま離れないものだ。
(かくいう筆者も同じだが…)

『ワタミ創業者の自民・渡辺美樹氏が参院選不出馬、政権批判も』(産経新聞)
https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/190213/plt19021310160004-n1.html
「自民党の渡辺美樹参院議員(比例代表)は13日午前、改選を迎える夏の参院選に出馬せず、政界を引退する意向を表明した。平成25年の初当選時に公約した「財政再建」と「原発ゼロ」が進まず、議員を続けても実現できる見通しがないことを理由に挙げた。
 渡辺氏は外食チェーン大手の「ワタミ」創業者で当選1回。国会内で記者会見し、「経済成長なくして財政健全化なし」との安倍晋三政権の方針について「経済成長しなかったら国は破産してよいのか。そんな崖っぷちの経営をすべきではない」と苦言を呈した。「私は経営者であり、売り上げが増えなくても潰さない会社をつくるのが社員や株主のためだ」とも語った(略)」

渡辺氏といえば、居酒屋チェーン「ワタミ」を創業した人物として有名で、そのブラック経営者ぶりはつとに聞こえている。
2008年に、入社2か月の女性従業員に月140時間超の残業を強制し、過労自殺に追い込んでおきながら、当の本人はまったく反省せず、労災認定決定後も暴言ツイートを吐いて問題になったいわくつきの人物だ。
【参照先】
https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/6ccafc13fd1e83056d769200a8e14490
http://www.mynewsjapan.com/reports/1863
http://www.datu-seisyain.com/watami-burakku/

こんな事故物件を公認し、参議院議員の議席を与えた自民党と選挙民の暗愚さには、改めて強い憤りを覚える。
彼自身、自らの仕事ぶりを評して、「0点。何1つ実績を残せなかった」と反省の弁を述べているくらいだから、このバカに支払われた議員歳費を返還させろ、それが無理なら、自民党の連中が代わりに賠償しろと言いたい。

彼の選挙公約は「財政再建」と「原発ゼロ」だった(“残業代ゼロ、有休ゼロ”かと思った…)らしいが、これこそ経済観念ゼロ、政治センスゼロの大馬鹿者の証しだ。

財政再建は緊縮政策と増税を呼び、消費や投資という経済成長の軸を破壊する。
原発ゼロはエネルギー供給の不安定化をもたらすうえに、国民や企業に再生エネ賦課金という隠れ増税負担を課し消費力を奪う。

いずれの公約も、我が国の需要と供給の両方を弱体化させる最悪の愚策であり、こんなものを公約化する神経の卑しさを疑うほかない。

彼は、安倍政権が財政再建への取り組みに熱心でないとご不満のようだが、政府の諮問会議資料に目を通すと、そこら中に「歳出改革」、「PB黒字化」「財政健全化」、「公債発行縮減」といった“財政再建応援ワード”が散らばっている。
渡辺氏は与党議員のくせに、諮問会議の資料すら見ていないのか?

このバカは、アベノミクスに対して、「経済成長しなかったら国は破産してよいのか。そんな崖っぷちの経営をすべきではない」と偉そうに苦言を呈したそうだが、国家の政治経済運営を安っぽい“経営”に喩えること自体、勘違いも甚だしいド素人ぶりを露呈している。

“経済成長できぬ国家=即、破産”というわけじゃないが、そこに暮らす国民は間違いなく経済的大苦境に晒される。

彼も(超ブラック企業とはいえ)経営者の端くれだったから解かるはずだが、企業にしろ、そこで働く従業員にしろ、明日も今日と同じ売上でよい、5年後もいまと同じ給料でよいと満足する者はない。

みな、今日より明日、今年より来年と常に右肩上がりの成長を期待し、それを前提としたロードマップやライフプランを描いているはず。
そうでないと、安心してモノを買えないし、長期的な人材教育や投資にも打ち込めない。

近ごろ、緊縮主義者だけじゃなく、経済左派的な論者からも、「経済成長を前提としない経済体制」で善しとする非常に安易かつ馬鹿げた主張がなされるのを目にするが、先進国に相応しい生産力や消費力を維持しようとするならば、“経済成長か否か”という選択肢など端からありない。
“経済成長はマスト”であり、そのスピードをどの程度上げるかを議論すべきだ。

国家としての経済運営が、渡辺氏の云う“崖っぷち”に追い込まれるとしたら、それは、財政再建とか反原発、移民受入れ促進、関税廃止といった「反経済主義的逆噴射政策」に溺れたせいでしかない。

「私は経営者であり、売り上げが増えなくても潰さない会社をつくるのが社員や株主のためだ」とのたまう渡辺氏だが、実際やったことといえば、社員を過労地獄に叩き込み、自殺や精神病に追い込んだ挙句、自分だけが私腹を肥やして議員先生の地位を得たというブラック遍歴だけではないか。

彼みたいなド素人には解かるまいが、「売り上げが増えなくても潰れない」程度の思想レベルは、国家運営に携わる責任者として失格だ。
「売り上げが増え続ける=GDP成長=生産力UP=国民の所得UP=生活満足度向上」を維持し続けることが政治家や官僚に課された“絶対条件”であり、このノルマを達成できないクズはビタ一文たりとも報酬を受けるべきではない。

最後に、「0点。何1つ実績を残せなかった」という彼の反省の弁を聞いて、「0点?? いや、マイナス200点だろ‼ お前の議員報酬に利息を付けて、いますぐ返済しろ‼」と怒鳴りつけたくなった。

こんなクズを議員や経営者の椅子に二度と座らせてはならない。

2019年2月21日 (木)

“借金コワい”を煽るだけ

いつの世も、人々は借金を不健全なものと嫌い、それが増えるのを恐れるものだ。

昭和61年に政府が行った「税金に関する世論調査」を見ると、『国の財政は、年間の支出の約2割を借金に頼っていますが、これについてどう思いますか』という設問に対して、
(ア)「国の借金はいずれ税金で返済しなくてはならないものだから、そのツケを先送りするのは不健全であり、1日も早く赤字を解消すべきだ(26.3%)」
(イ)「借金が続くことは不健全だが、公共サービスのカットや負担の増加は急にはできないので、徐々に赤字の解消を図ればよい(45.5%)」
という結果だった。

つまり、合わせて7割以上が「国債は(政府ではなく)国の借金」、「借金が増え続けるのは“不健全”」、「借金を清算する手段は“公共事業費カット+税金”」だと認識していたわけだ。

昭和61年といえば、円高不況により一時的に成長率が落ち込んだものの、その前後の年は実質成長率が6%を超え、同年12月に端を発するバブル景気の暁光が差し込み始め、いまから振り返ると涎が垂れるほど経済が絶好調だった時期だ。
【参照先】https://honkawa2.sakura.ne.jp/4400.html

歳入に占める国債割合も2割ほどとまったく問題なく、日本製品が海外市場を席捲しはじめ、日本の経済大国たる地位もより強固となり、国民全体が、まさに隆々たる未来を疑うこともなかった。

にもかかわらず、多くの国民が、国債を国の借金と嫌悪し、国債発行に頼ることを不健全だと心配していたというのだから呆れ果てるしかない。
もし、バブル崩壊と20年不況を経た今、同じ調査をしたら、(ア)の回答が8割、(イ)が2割くらいに増えるだろう。

筆者みたいに聖域ないバラマキを唱える意見は皆無に近く、異物やキチガイ扱いされるのがオチで端から回答の選択肢にも入れてもらえない。

日本人の借金恐怖症は遺伝子レベルの先天性の病で、もはや手の施しようがない。

かような環境下で、「貨幣が負債だ」とか、「貨幣を駆動させるのは税制だ」なんて言おうものなら、“借金コワい病”に侵された国民は、「ヤバいよ。国債だけじゃなく、お金も国の負債なんだってよ」、「日本は純債権国だから安心だなんて言ってた奴がいたけど、あんなのウソッぱちじゃん」、「お金が負債ってことは、借金なんだろ? いったい、いまいくら発行されてんだ… こりゃ、大増税確定やね」云々と狼狽し、消費税増税やむなしだの、国は無駄遣いをヤメロだの、公務員を減らせだの、年寄りは病院に行くなだの、と見境なく他人に八つ当たりし始めるに違いない。

質の悪い貨幣負債論や租税貨幣論を吹聴することは、図らずも、緊縮財政派やアナーキストの連中に手を貸し、彼らの壊国運動をアシストすることになる。

『貨幣負債論こそ国の借金問題の解決策だ』とのご意見もあるが、逆に、“国の借金問題”という多くの国民が誤解したままの妄想をさらに深刻化させるだけだ。

貨幣負債論者が、どういうイメージで「負債」という言葉を使っているのか、いまひとつ判然としない(彼らも明確に定義できないようだが…)が、市井の人々にとって「負債→借金や債務の類い→負のイメージ」がこびりついており、それ以上でも以下でもない。

景気回復を求め、収入UPを願う国民に対して、「お金そのものが負債なのだから、お金を増やそうと思ったら負債を増やすしかないよ」というわけのわからぬ説明をしても、納得する者はおるまい。
「お金が負債なら、お金が増えるだけオレたちが払う税金も増えるんだろ? もうお金を使えないじゃん(# ゚Д゚)」と逆ギレされて終了だ。

「負債にも色々ある。金利の無い負債、利息だけ返せる時に返せば良い負債、返してはダメな負債等々すべて悪ではない。お金は良い負債だ」という方便も拙い。

申し訳ないが、どう言い繕っても、負債は負債(返済や弁済義務を伴う債務)でしかなく、色々もクソもない。
それらはすべて“国債”の増大を擁護する言葉であって、負債ではない貨幣の性質を説明するものではない。

“返さなくてもよい負債、返してはダメな負債”にいたっては、もはや負債とは呼べない。
アルコールが入ってない飲み物をお酒とは言えない、あるいは、水が苦手な魚を魚類に分類できないのと同じこと。
返済義務がなくワンウェイで行ったきりのものは、「資産」か「収益」と呼ぶべきだ。

子供でも解かるだろうが、貨幣を負債呼ばわりしてしまうと、国民に対して「国の借金が増えるのは当然だろっ!」と強弁できなくなる。

国民が国債の累積に怯えるのは、その返済のために巨額の税を課されるリスクを恐れるからだ。

これまで積極財政派は、「国債は政府の債務であって国民にとっては資産」、「通貨発行権を有する国家において、自国通貨建て債務の返済能力は無限大(=国債償還財源は永続的に確保済み)」と主張し、国債増発を擁護してきたが、日銀券(紙幣)や政府紙幣(硬貨)といった貨幣を負債と言い張るのは、長年の持論に大穴を開ける自殺行為に等しい。

国債増大→財政破綻懸念→増税というリスクを恐れる国民に対して、「政府債務たる国債の償還財源は、貨幣、つまり政府や日銀の負債なんですよ」なんて説明した日には、「お前たちの詭弁はもういいよ(# ゚Д゚) 借金を負債で返すのか? どれだけオレ達に税金を払わせる気かっ‼」と激怒されゲームセットだろう。

また、「国家の債務は永久に増え続けるもの」という言い訳も効かない。
“貨幣は政府が無限に発行できる国民の資産”と説明できるならまだしも、“貨幣は負債ですよ ┐(´д`)┌ヤレヤレ”なんてふんぞり返っていたら、国民は、「国債は増え続けてもいいなんて本当に大丈夫なの? お金も負債だっていうし、最後になって、やっぱり税金で払えなんて言われたら怖いよね。いったい誰が責任を取るの?」と疑心暗鬼になるだけだ。

無限の負債拡大を容認するのなら、それを十二分にカバーし得るだけの無限の資産があること、つまり、貨幣が国民共有の資産や財産であることを明示し、国民が臆することなくカネを使えるよう安心材料を与えてやらねばなるまい。

貨幣負債論者が好んで使う、古代メソポタミアの楔形文字でツケ払いや貸し借りの記録が残っていた、太古の昔から人類は他者を信用し債権債務の記録を帳簿につけていた、お金は借用書であり帳簿に負債を記録することで発生するという主張も、少々飛躍しすぎだ。

メソポタミア人の石板に記されたツケ払い帳は、単に古代人にもツケ払いの慣習があったかもしれない、それらを清算するために貨幣を使っていたかもしれない、というだけのことで貨幣=負債を証明するエビデンスには程遠い。

メソポタミアでは、銀が秤量貨幣として流通し、銀1ギン(約8.3g)=大麦1グル(約300㍑)との公定比率も決まっていたらしい。

それこそ当時は、王が貨幣発行によるシニョリッジ(発行益)を独占していたはずで、銀の確保量分だけ収益が生まれるから、貨幣は負債ではなく王に富をもたらす収益や資産だったから、わざわざ帳簿に負債を記録する手間をかけずとも、王の職権で自由に発行できる。

負債の中からしか貨幣が生まれないというのは、国家の通貨発行権を無視した国債呪縛論であり、そう信じる者は硬貨の使用を拒否すべきだろう。

帳簿に記録された負債云々は、あくまで債権債務の発生→清算の過程を記すものであり、貨幣の負債性を証明する材料にはならない。
「へぇ~ メソポタミア人も飲み代をツケ払いしてたんだ(棒) むかしの人も乾杯は、“とりあえずビールで”ってやってたんかいな?」という程度のことだ。

前から気になっていたが、貨幣負債論者は貨幣に負債性という重荷を課すなど、どうも、貨幣の使用にアンカーをつけたがるというか、貨幣の乱用やバラマキを忌み嫌っている。

彼らが政府による国債発行無限論を唱えつつも、なぜか中央銀行の独立性にこだわり、ベーシックインカムや給付金を毛嫌いするのは、やはり、心の奥底で貨幣価値の毀損を恐れ、財出拡大による高インフレへの警戒感を隠せないからだろう。

貨幣負債論者の発想は、どうも「公共事業か、給付金か」「公共事業>給付金」という二者択一論から抜け出せないように見える。

それは、“労働行為を伴う公共事業は善”、“怠け者への施しでしかない給付金は不労所得”という発想と、“貨幣の根源は負債であり、負債である以上、発行量には自ずと限界がある”という呪縛から逃れられないせいだろう。

だが、そうした自縄自縛的な思想は、財政拡大論から積極性を奪い、財出すべき分野のバリエーションを狭め、福祉政策の拡充や貧困救済を訴える層の支持を失い、ただでさえ少数民族にすぎない積極財政派界隈で上下左右の対立を煽ってしまう。

“給付金=貯蓄に回るだけで無意味”という主張は、あまりにも一面的すぎる。

給付金が消費に回らなかった原因は、それが一過性かつ少額だったからで、長期かつ継続的に十分な額を支給すれば、それを受け取った国民も安心して消費に回せるはず。
少量ワンショットではなく、人々の警戒心を解くよう大量かつ継続的に支給すればよい。

そうすれば受け取った給付金は消費に回り、二次的に供給サイドの労働行為を刺激するから、貨幣負債論者も異存はあるまい。

たとえ給付金が、一時、貯蓄に回されたとしても、経済が十分に活性化されれば、貯蓄→融資→投資・消費というルートを通じて実体経済に戻ってくるのだから、いちいち目くじらを立てることもなかろう。

給付金が貯蓄されるのを忌み嫌うのではなく、貯蓄という仮眠室に入った給付金を叩き起こして働かせるよう、公共事業や給付金の量を大幅に増やし、経済を強烈に刺激すればよい。

貨幣(お金)という国民共有の資産や収益を活用し、実体経済に熱を与えることこそが重要で、貨幣に負債という重荷を背負わせるのは、何の意味もないどころか、緊縮派の馬鹿どもに花を持たせるに等しい愚行でしかない。

2019年2月18日 (月)

財政悲観派は降伏主義者

読者の皆様は、最近、「日本はもうお終い。巨額の国債を整理し、財政赤字体質から脱するには大増税が不可避。国民は増税から逃げるな! 積極財政論者は国民を騙すな! 経済成長なんて諦めろ! 破滅的な事態を覚悟しろ!(# ゚Д゚)」というトンデモ論を耳にしたことはおありだろうか?

日本悲観論や増税不可避論の類いは、これまでも緊縮主義者からさんざん吹聴されてきたが、緊縮教の布教に行き詰まり、焦りを感じているのか、近ごろ彼らの口調も、少々トゲのあるものに変わってきた。

日本破滅宿命論を唱える狂信者が経済成長を嫌うのは勝手だが、それを他人に強要するのはお門違いも甚だしいし、そんなに破滅ごっこをしたいなら、東北や山陰の寒村でも買い取って緊縮教徒を集め、終末世界へのカウントダウンを楽しむ百物語でも騙り合ってはいかがか。

さて、今回のエントリーでは、醜悪な日本破滅宿命論の妄言を取り上げ、個々に誤りを指摘していきたい。

【妄言①】
経済成長率は落ちているのに。国債発行額は増える一方。これは経済成長できない分を借金でごまかし続けてきた証拠。これが日本の現実だ。こんなのがもつわけない。

【指摘①】
・本来なら他国に負けぬくらい経済成長できたはずなのに、緊縮主義者たちが“日本は財政危機”という大嘘を吹聴し、財政支出を邪魔してきた。こうした政府の緊縮姿勢が民間部門に伝播し、消費や投資がいいだけ削られてきた結果として起きたのが、経済の衰退と巨額の赤字国債なのだ。

・20年以上の緊縮財政による政策経費の抑制が、民間部門の消費や投資を委縮させ「GDP低迷+赤字国債増加」という双子の赤字を生んだ。これこそが緊縮主義者のもたらした日本の厳しい現実だ。

・そもそも、“カネを使わずに経済成長しろ”、“いや、経済成長なんて諦めろ”、“日本人は大増税を甘受すべき”、こんな支離滅裂な呪文を唱え続けておいて、日本経済がもつわけなかろう。

【妄言②】
高齢人口だけが増え,社会保障費の負担は増大する一方で成長率は落ちていく。
なのに,「経済成長すれば何とかなる」と思い続け、歳出に見合う増税から逃げ、借金でごまかし続けた。ちゃんとコツコツ増税していれば、これほど借金が積みあがることはなかった。

【指摘②】
・歳出に見合う増税? コツコツ増税? このバカは、いったい何が言いたいのか?
 国民や中小企業は20年不況で塗炭の苦しみを負ってきたのに、ぺたんこの財布からコツコツ税を毟り取る逆噴射政策を採っていたら、いまごろ日本のGDPは400兆円割れしてドイツに抜かれ、40歳台以降の若者はすべてロスジェネ化していたに違いない。

・なんといっても、税金、とりわけ消費税は、消費や投資へのキツいペナルティーだ。消費と投資は経済活動の大黒柱(GDPの構成項目を見れば一目瞭然)ゆえ、そこへの課税強化は経済活動の首を絞めるのと同じこと。

・経済成長を嫌い、“増税こそが唯一の解決策”と唱えるのは、経済が何を以って駆動するのかをまったく理解できていないポンコツの証拠だ。

【妄言③】
政府は、歳出が増え続ける中で、なぜ所得税と法人税を減税し、消費税を増税したのか? それは「経済成長すれば何とかなる」と勘違いしたせいだ。

【指摘③】
・直接税の減税と間接税の増税に文句があるのなら、素直に高額所得者の所得税率や法人税率の引き上げと消費税の撤廃を訴えればよいだけ。

・そもそも、「所得税・法人税の減税+消費税の増税」への文句から、経済成長すれば云々の流れに至るつながりが意味不明。

・所得税&法人税の最高税率引き下げと消費増税を推し進めた緊縮派や新自由主義者の狙いは、経済成長ではない。ただ単に、高額所得者や大企業といった“インナーサークル(自分たちとお仲間)”の私腹を肥やし、そこで生じる負担を一般大衆に付け替えたかっただけのこと。そんなことも解からないのか?

【妄言④】
日本の生産年齢人口は、人類史に例を見ない勢いで減っていく一方で高齢者は増えていく。
2025年に団塊の世代が後期高齢者になるが、それは通過点だ。後期高齢者数のピークは2054年。つまり、巨額の社会保障費が必要になり、これから先の未来は今までよりもっとお金がかかる。

【指摘④】
・生産年齢人口減少と高齢化という課題を前に、シッポを巻いて逃げようとするなら、この先、偉そうに経済を騙るのは止めるべき。

・その程度のことにビビッて未来を放棄するのか? 
先の大戦で我が国は310万人もの(生産年齢人口に近い)若い命が失われ、そのせいで日本の男性人口は、昭和15年の3,629万人から昭和20年には3,389万人へ激減してしまった。おまけに終戦時は、空襲による破壊やひどいモノ不足で我が国の供給力はメタメタに破壊され尽されるという大惨事に直面していたが、当時の日本人は、想像を絶する困難にもめげることなく、果敢に供給力の回復に取り組み、奇跡的と称賛される高度成長を成し遂げた。もし、終戦直後の日本人が、生産年齢人口の縮小に怯える臆病者ばかりだったなら、いまごろ我が国はバングラディッシュやパプア・ニューギニアにも劣る後進国としての地位に甘んじていただろう。

・ちょっと発想を変えれば、「高齢人口の増加=消費者の増加」とも言え、本来なら需要不足の我が国に害を及ぼすものではない。高齢化が何かとお荷物視されるのは、低所得層の高齢者の増加と、労働分配率の抑制による質の高い労働環境の不足が潜在失業者の労働市場への流入を阻害していることによるものだ。

・巨額の社会保障費など問題ではない。いくらでも造れる“カネ”で済む事など問題とは呼べない。社保負担を家計や企業に付け回す悪習を改め、国債や通貨増刷で財源を宛がってやれば、巨額の社会保障費は、民間事業者にとって膨大かつ超長期的なビジネスチャンスに生まれ変わる。

【妄言⑤】
日本は既にあり得ないぐらい巨大の債務(国債)を抱えている。こんな闘いは,勝てるわけがない。

【指摘⑤】
・筆者には、自国通貨建ての内国債を前にして、いったいどうやれば債務不履行を起こせるのか適切な方法が見当たらない。通貨発行権を持つ日本政府が日本円の返済に窮するなんて、どう考えてもあり得ない。この状況で不履行を起こすのは、“砂漠のど真ん中で溺れろ、豆腐の角に頭をぶつけて死ね”と命令される以上に難解だ。

・緊縮主義者の連中は、国債残高を見るだけで闘いを放棄するつもりのようだ。まぁ、お金が債務に見える変わり者なら、生活困窮に苦しむ国民を見捨て、何の努力もせず簡単に白旗を上げるだろう。だが、国債発行や通貨増刷による財源確保で積極財政を打とうとする論者は“闘い”の成否を別の次元から俯瞰している。本当の闘いとは、国債減らしに熱中して国民を恫喝することではなく、国債や貨幣(ツール)を活用し、生産力や供給力という大切な国富の維持向上に尽力することを指す。「国債償還=増税強制=本当の戦い」というレベルの低いヒロイズムに浸るのは周回遅れのバカだけ。

【妄言⑥】
「経済成長すれば財政問題も解決する」とかとぼけたことを言うな! うそをつくな。もうそんな次元じゃねえだろ。

【指摘⑥】
・増税で財政問題を解決する、つまり、1000兆円を超える国債を税だけで償還せねばと思い込むのは、知性に欠けるただのバカ。仮に、消費増税で国債全額償還しようとすれば、年50兆円×20年(利払い分は無視)として、今よりさらに税率を25ポイント程度引き上げるする必要がある。消費税率が33~35%にもなる世界だ。当然、高額商品や高付加価値商品の需要は吹っ飛びトヨタは国内工場を閉鎖せざるを得なくなるし、Amazonの配送センターも閑古鳥が鳴くだろう。日本のモノづくりは壊滅、昭和恐慌を凌駕する大不況となり、失業率は二桁どころか30%くらいになるかもしれない。生産年齢人口の縮小をはるかに上回るスピードで失業者が増え社会問題が深刻化する。(運送業界の人手不足解消と外国人労働者の激減という効果はあるかもしれないが…)

・安易な増税は財政問題を解決できないどころか、財政問題や社会問題を修復不可能なレベルにまで破壊する。

【妄言⑦】
日本財政は破綻しないという財政楽観論者が、この国をボロボロにした。

【指摘⑦】
・盗人猛々しいとは、まさにこのこと。
緊縮財政で消費や投資の蛇口を絞り、消費増税で内需の原資を奪ってきた緊縮主義者こそが我が国を世界で唯一の非成長国に没落させ、ロスジェネ世代や少子化という悲劇を招き日本をボロボロに壊した張本人だ。己の不明や失態を棚に上げ、正論を吐く論者に責任を擦り付けようとする彼らの姑息さや卑怯さに反吐を吐きかけたい気分だ。

【妄言⑧】
財政楽観論に頼るな。国民に耳の痛いことを言え、嫌われるのを覚悟で誰かが本当のこと(増税不可避+社会保障費削減)を言え、国民に見たくない現実を突きつけろ。
そうでないと,また同じ過ちが繰り返される。

【指摘⑧】
・国民を痛めつける安っぽいヒロイズムに恍惚感を覚えるバカは、財政支出を怠った日本だけが“世界で唯一の非成長国”という汚名をかぶり、それを横目に財政支出を増やした他の先進諸国が順調に成長を遂げてきた“現実”にきちんと向き合うべき。

・「甘え癖のついた国民に耳の痛いことを言うべき」なんて偉そうにしているが、何のことはない、“面倒事に関わりたくない、国民を前に向かせる努力をしたくない、自分は汗をかきたくない”と逃げ腰の怠け者が、負担を他人に押し付けたいがために醜い言い訳をしているだけだ。

・国家的困難に立ち向かう勇気と、それを打破しようとする気概のない逃げ腰の卑怯者は、国家再建にとって重荷にしかならない邪魔者や害虫ゆえ、はっきり言って日本から出て行ってもらいたい。

【妄言⑨】
文句があるなら、オレの本を読んでから批判しろ。

【指摘⑨】
・これは、自説に自信のない臆病者の常套句。
 安っぽい啖呵を切ったところで、まともに相手する者は誰もいない。ただで読めるブログやSNSならまだしも、高いカネと貴重な時間を費やしてクズ本を買う奇特な暇人など何処にもいない。

・何時間もかけてくだらないポエムを読まずとも、目次や帯の宣伝文句を見れば、それがクズ本か否か一目瞭然だ。Amazonの解説文を見て、「“増税”の必要性に切り込み、財政改革、社会改革の構想を大胆に提言する、著者渾身の一冊」とか、「以前からハイパーインフレ、日本財政の崩壊を予測してきたが、いよいよそのXデーが間近に迫ってきた」といった腐臭漂う謳い文句が目に入ってきた瞬間にクソ本確定で、読む気も失せる。

・第一、いまどき本を読んだくらいで自説を180度転向させるおめでたい奴などいない。異見を持つ相手の本に目を通すとしたら、それは相手を理解するためじゃなく、論理の矛盾点や粗を探し、攻撃材料や反証用の材料を揃えるためでしかない。

・いい年こいた大人なら、その程度の社会の狡さや残酷さを勉強しておかないと、思わぬところで恥をかくぞとアドバイスしておきたい。

2019年2月14日 (木)

租税貨幣論のウソ〜税がなくなれば人々はもっとお金をつかうようになる

“貨幣に需要があるのは、課された税の支払い手段として自国政府の貨幣を用いることができるから”
“広範かつ安定的な貨幣の受取先(最終需要)が「租税」として存在しているがゆえに、多くの国民にとって貨幣は疑いなく資産として機能する”

いわゆる『租税貨幣論』の解釈を読むと、このようなセリフに出会う。
だが、筆者はこれをまったく信用していない。

貨幣の歴史は優に1000年を超え、我が国では、飛鳥時代の683年に中国の「開元通宝」をモデルに造られた「富本銭」が最初の貨幣と言われている。

富本銭の「富本」とは、『国を富ませ、民を富ませる本(もと)』という意味らしいが、1400年近くも前の日本人が、本邦初の貨幣に、お金(貨幣)という存在の本質を見事に見抜いた名称をつけたことに、とても深い感慨を覚える。

初めて貨幣を鋳造した日本人が、“貨幣は発行元(政府)の負債”というトンデモ論に躓くことなく、「貨幣という存在は、国民にモノやサービスの購買力を与え、それが国全体の生産力や付加価値をUPさせ、供給力の高度化を通じて国民生活をより豊かにし、労働の質の向上や文明を発展させる国民共通の資産である」という事実にストレートに辿り着けたのは、やはり、太古の昔から生産力の貧弱さや脆弱さに苦しめられ、何とかこれらを飛躍させる手立てがないものかと悩みぬいた末に、貨幣という貴重な財産に出会ったからだろう。

モノやサービスを供給し、社会生活を維持向上させる力こそが“国富”であり、貨幣はそれを加速するための燃料や道具にすぎないと見切ることができたからこそ、貨幣に“国や民を富ませる”役割を期待したのだろう。

租税貨幣論者は、貨幣と租税とを紐づけたがるが、我が国に貨幣が誕生してからしばらくは、税といえば、租(口分田の収穫の約3%の物納)、庸(年間10日間の労役or布による物納)、調(特産物の物納)、雑徭(土木工事などへの労役)という時代が500年近くも続いていた。

その後、生産・販売の独占を認める「座」の対価として貨幣による納税が一般化したのは、ようやく鎌倉時代に入ってからであったという史実を見ても、貨幣の最終需要は税だから、貨幣需要があるのは税という制度のおかげ、つまり、税が貨幣を駆動させるという租税貨幣論は成り立たない。(租税米穀論や租税労役論なら成り立つかも…)

そもそも、永続性を保障された貨幣に「最終需要」なんてない。

租税貨幣論者は、租税による回収が貨幣の墓場であるかのように説くが、たとえ税で回収されても、その貨幣は、遅くとも国家の次年度予算の財源として、公共事業や公務員の給与、社会保障費などに姿を変え、再び世に出て行くから、納税というゲートがゴールになるわけじゃない。

貨幣は、摩耗や消耗による焼却処分でも受けぬ限り、永遠に使われ続けるものだから、最終需要なんて考え自体がありえない。

仮に円という貨幣に最終需要があるとしたら、それは日本国家が滅亡の時を迎える瞬間だけだろう。

また、劣悪な供給力を原因とする高インフレに苦しむ多くの途上国で、納税に使える自国通貨よりも、非納税通貨の米ドルが流通しているという指摘に対して、租税貨幣論者は、米ドルはその母国であるアメリカにおける租税最終需要を満たす存在であるがゆえに、途上国での米ドル流通は、たとえ間接的であっても租税貨幣論の普遍性が保持されていると強弁する。

まったく詭弁もいいところだ。

“貨幣に需要があるのは、課された税の支払い手段として自国政府の貨幣を用いることができるから”と言っておきながら、都合の悪い事実を突きつけられると、“他国の通貨であっても、それが母国で納税通貨として用いられているなら問題ない”と恥ずかしい言い訳をするのは止めてもらいたい。

非納税通貨の外国通貨が自国通貨を駆逐するという実態は、人々が、租税と貨幣価値との連関性をまったく意識していないという何よりの証拠だ。

試しに、エクアドルとか、パナマ辺りのインチキ国家に行き、ダウンタウンで屯している薬の売人にでも、「アンタが米ドルを欲しがるのは、納税のためかい?」と訊いてみればよい。

ここ15年間でマネーストックは600兆円後半→1000兆円近くにまで大幅に増えているのに、税収は43兆円→59兆円にしか増えておらず、両者のアンバランスは説明のつかない水準にまで拡大している。

租税が貨幣価値を根拠づけるのなら、この間生じたバランスの崩壊が、貨幣価値を大きく毀損するはずだが、円(貨幣)の価値ほぼ変わらないどころか、4-5%ほど円高に振れている。

またもや都合の悪い事実を突きつけられた租税貨幣論者は、税収の多寡と貨幣価値の関係は必ずしも相関しないと見苦しい言い訳を始めるから情けない。

両者に相関関係がないのなら、極端な話、租税という制度さえ残しておけば、国民の年間納税額を一人1円にまで落としても構わないはずだが、そんな話をすると、租税貨幣論者は顔を真っ赤にして怒り出す。

彼らは、“もし税を廃止したら、たちまち人々は通貨を使わなくなる”、“租税水準は、通貨の安定を守るために十分な高さが必要だが、十分と高いと言える雇用水準が満足に実現できる水準よりは低くあるべき”と述べるだけで、適正な租税水準を具体的に明示することはない。

要は、逃げ回っているだけなのだ。

正直言って、税が廃止されたなら、人々は実質所得が上がるから、歓んで消費や投資に精を出すだろう。
「税がなくなるのか… それじゃお金の価値もなくなるよ。もう金は使えないな…(;´д`)トホホ」と嘆くバカなど一人もおるまい。

税の廃止が人々の貨幣に対する信頼を失わせるとしたら、増税こそ貨幣の信頼向上にとって最善手ということとなり、人々は消費税や所得税の大増税に対して歓喜を以って迎えるはずだが…

租税貨幣論者は、おかしな屁理屈を捏ね繰り回す暇があるのなら、身近な人々に貨幣と租税の関係性について尋ねてみるべきだし、実質無税国家に近いドバイ、アブダビ、サウジアラビアで普通に貨幣が使われている事実をとくと見物してくるがよかろう。

2019年2月11日 (月)

反原発ゴロがつくる「人間の戦場」

【木下昌明の映画批評 : 長谷川三郎監督『広河隆一 人間の戦場』】(2015.12.27 サンデー毎日より)
http://www.labornetjp.org/news/2015/1221eiga
「広河隆一は、世界を駆け回るフォトジャーナリストとしてよく知られる。
本誌2011年4月10日号では福島原発事故に迫った彼の写真がグラビアを飾った。その広河の半生を撮ったドキュメンタリー映画が公開される。長谷川三郎監督『広河隆一 人間の戦場』がそれだ。
 広河は「人間の尊厳が奪われている場所を人間の戦場」と呼んでいる。彼の行く先は戦争現場に限らず、パレスチナ、チェルノブイリ、福島だったりする。映画はこれらの「戦場」での広河の活動を追う。(略)
映画は、広河の歩んだ戦後史とともに、戦争や原発事故などで苦しんでいる子どもたちの〈いのち〉を救う、もう一つの活動に焦点を当てている。「すごい」としか、言葉が出ない。」

この映画評を書いた木下氏は、大いに赤っ恥をかかされ、いまごろ歯噛みしているに違いない。
なにせ、巷の報道のとおり、「DAYS JAPAN」編集長で人権派フォトジャーナリストとして著名な広河氏による鬼畜にも等しいセクハラ&パワハラ問題が白日の下に曝された挙句、当の本人もそれを認め、デイズジャパンの代表取締役を解任されてしまったからだ。

だが、日ごろから自称人権派のゴロツキ左翼活動を煽動するような人物ゆえ、自身の不明を恥じるどころか、手放しで褒めちぎったお仲間の醜聞をいかに糊塗すべきかと悩んでいるのだろう。それを証拠に、彼のTwitterは昨年11月以降更新が止まっている。

筆者は、戦場カメラマンとか、フォトジャーナリストなんて人種をまったく信用していない。

彼らは、“戦地で起きている悲劇を世界に伝える”なんて大義名分を掲げるが、正義ヅラして戦地をうろつき、銃弾に倒れる現地の被害者をただただ見殺しにするだけで、左翼テイスト満載のフォト雑誌に掲載されたご自慢の写真が戦争の悲劇を止めた試しなど一度もあるまい。

所詮は、死体を撮った写真や映像を飯の種にし、ジャーナリストとしての自身の戦歴を誇る勲章代わりにするような下賤な輩でしかない。

件の広河のバカが惹き起こしたセクハラ・パワハラ・モラハラ問題は次のようなものだ。

『“人権派ジャーナリスト”広河隆一氏、女性への壮絶な性行為強要&パワハラに世間震撼』(Business Journal)
https://biz-journal.jp/2019/02/post_26520.html
『広河隆一氏に「2週間毎晩襲われた」新たな女性が性被害を告発』(週刊文春)
http://bunshun.jp/articles/-/10578
『広河隆一氏のハラスメント、被害女性が実名手記』(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20190131/k00/00m/040/128000c

事件の詳細は、該当記事をご覧いただきたいが、そこに書かれているのは、人権派気取りで反原発運動や反戦活動を訴えてきた鬼畜にも劣るゲテモノによる、目を背けたくなるような胸糞の悪い性犯罪や恐喝、洗脳といった憎むべき犯罪行為の数々だ。

彼は、パレスチナ、チェルノブイリ、福島を“人間の尊厳が奪われている場所”だと揶揄して「人間の戦場」と呼んだそうだが、海外取材に同行させた女性社員を恐喝のうえ性奴隷とし、入社したての女性社員を初日から長時間労働させ、残業代も出さず、契約通りの初任給も払わず、頻繁に「いつでもクビにできる」「もし君の実力を知っていたら雇うことはなかった」などと恫喝して人格否定するような鬼畜野郎が何を言うかと、薄汚れた老顔を蹴り上げたい気分だ。

「人間の戦場」に放り込まれたのは、ジャーナリストを志しながら、性犯罪やパワハラ・モラハワ被害により人間としての尊厳を奪われ、洋々たる前途を閉ざされた被害女性の方ではないか。

彼のようなクズ中のクズを、社会的地位を奪うだけで赦してはならない。
きちんと犯罪行為として刑事罰を与え、民事面からも、精神的・肉体的被害に対する巨額の賠償を科すべきだ。
薄汚い狗の卑しい根性を叩き直すには、棍棒で痛いほど殴りつけねばならぬ。

彼のお仲間である反原発運動のゴロツキどもは、事あるごとに「福島の子供に甲状腺がんが増えている」、「原発作業員の白血病が増えている」、「放射能汚染のせいで鼻血が止まらない」とエセ科学に基づく悪質なデマをまき散らし、我が国の電力政策の一翼を担ってきた原発を捕まえて、「これは殺人だ」、「子供たちを救え」と口汚く非難してきたが、反原発運動の“ご本尊”がやらかした女性への卑劣な人権侵害や犯罪行為に対して、どれだけ真剣かつ手厳しく非難するつもりがあるのか?

残念ながらというか、やはりというか、ゴロツキどもの口から、鬼畜にも劣る犯罪者を非難する声や態度はほとんど見当たらない。

性根の腐った反原発ゴロに、常識人としての態度を期待する方が無理というものだが…

2019年2月 7日 (木)

増税反対の理由すら間違う緊縮派の愚かさ

厚労省の統計不正問題で景気を推し量る基礎データの正当性に対する疑念が勃発し、今年10月に予定されている消費税率引き上げにも、ようやく疑問の声が上がり始めた。

そもそも、経済活動の根幹を成す消費や投資への課税は経済成長に重い足枷を科す「反経済行為」であり、長すぎる不況からの脱却が最優先課題の我が国にとって、消費税増税など以てのほかの暴論で、引き上げ凍結はおろか、減税や廃止にまで踏み込んで議論すべき問題なのだ。

『消費増税も軽減税率もポイント還元も中止しよう』(1/29 アゴラ 池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/2036956.html
「(略)長期的には消費税の増税は必要だが、今回の増税案は軽減税率やポイント還元など複雑怪奇になり、消費税の最大のメリットである「一律で透明な税」という特長がなくなった。(略)
 本来はEUの付加価値税(VAT)のように一律に課税することが望ましいが、安倍政権の増税案は例外だらけだ。一旦こういう前例をつくると軽減税率をめぐるロビイングが起こり、政治力の強い業界に食い物にされる。(略)
何らかの基準を設定することも考えられる。「インフレ目標2%に達するまで増税を凍結する」というのが、シムズの提案である。彼もいうように今の日本は「政府が過剰に信頼されている」状況なので、この程度では(よくも悪くも)何も起こらないだろう。消費税の増税はいずれ必要だが、今は財政破綻を心配する局面ではない。(略)」

財政破綻論が大好物で時代遅れの緊縮主義者として有名な池田氏でさえ、現状の日本経済に財政破綻や国債金利急騰の懸念はなく、消費増税を強行する環境にはないことを認めざるを得ないようだ。

ただ、問題なのは、彼が消費税そのものや増税の真の愚かさについて何も理解できていない点だろう。

彼が今回の増税に反意を示すのは、軽減税率の導入を巡って政治家や政治力の強い業界が蠢動するのが不快だというだけの理由であり、仮に増税を呑ませるための人質として軽減税率が差し出されなかったとしたら、諸手を挙げて増税に賛成していたに違いない。
それを証拠に、彼は最後まで「消費税の増税はいずれ必要だ」とぐずぐず愚痴っている。

要は、“増税で内需がシュリンクし、日本経済が壊滅的な打撃を受けようが関係ない”、“8%の軽減税率に新たなモノやサービスを含めろという要求や5%とか3%のカテゴリーもつくれという要求が、政治家や様々な業界から次々に出され、財務省がそれに振り回されるのが忍びない”というまことに身勝手な理由でしかない。

増税により国民や中小企業が塗炭の苦しみに喘ぐことなど毛ほどの痛みも感じぬが、無菌培養された財務省のバカどもには要らぬ苦労をさせたくないという、呆れるほど倒錯した心根が見え隠れする。

消費に対する国民の態度は非常にネガティブで、改善の兆しがまったく見えない。
このまま増税を強行してしまうと、内需は間違いなく氷河期に突入する。
軽減税率なんて恐らく何の役にも立つまい。押し寄せる内需凍結の大雪崩に飲み込まれるだけだろう。

日銀による「生活意識に関するアンケート調査」(第76回)の結果を見ると、現在を1年前と比較した「現在の暮らし向き」では、[ゆとりが出てきた]との回答は、たったの6.4%しかなく、少なくとも調査データが残る2006年以降、一貫して二桁に達したためしがない。

一方、[どちらとも言えない](55.0%)と[ゆとりがなくなってきた](38.1%)を合わせて93.1%にもなるが、この[どちらとも言えない]の基準となる生活レベルの絶対値の高さが問題で、高度成長期やバブル景気期辺りの国民の多くが生活レベルに満足していた時代ならまだしも、20年以上も続く長期不況下で生活レベルの絶対値そのものが最低ライン付近にまで落ち込んでいる以上、[どちらとも言えない]という答えを鵜呑みにはできない。

これを“イーブンペース”だと受け取るのは、あまりにも危機感に欠けており、ただでさえ低レベルの生活水準が一向に回復していない、つまり、“貧困の永続化”、あるいは、“幸福追求の放棄”だと理解すべきなのだ。

[ゆとりがなくなってきた]との回答理由の内訳(複数回答)を見ると、[給与や事業などの収入が減ったから](45.8%)や[物価が上がったから](52.3%)という声が飛びぬけて多く、多くの国民が低収入に苦しめられ、生活必需品の価格上昇に強い警戒感を抱いていることが判る。

ここで消費増税なんて大愚策を打った日には、国民が消費抑制行動に出て内需が壊滅的打撃を受けることくらい子供でも容易に予想できる。

さらに、1年後の雇用環境について勤め先での雇用・処遇の不安に関する質問では[少し感じる](45.9%)と[かなり感じる](28.0%)が合わせて73.9%にも達している。

昨今の人手不足とやらが本物なら、何処も人手の取り合いになるのが当たり前で、企業サイドが雇用条件や給与水準を引き上げてでも人手を繋ぎ止める努力をするはずだ。

しかし、実際に調査してみると、雇用や処遇に不安感を抱く割合が四分の三近くにもなるという体たらくであり、巷の人手不足なんて大嘘、そこにあるのは“安月給・長時間労働・高ノルマ”でも黙って働く「都合のよい奴隷」が足りないという“エア人手不足”でしかない。

池田氏が消費増税に反対するのはよいが、その理由が、政治家の蠢動嫌悪や財務官僚への配慮というのでは、あまりにも情けない。

せっかく閲覧数の多い大ブログを運営しているのだから、もっと経済の実態を勉強し、現実を真摯に受け止めて、まともな政策提言をしてもらいたい。

2019年2月 4日 (月)

福祉財源は紙幣増刷で賄えばよい〜増税は国民を不幸にしかしない

世の中には、加害者のくせに被害者のふりをして弱者を装う不届き者がいる。

他者を散々殴りつけた挙句にDV被害者を装ったり、思想信条の異なる他者の言論を圧殺しておきながら自分たちが言論を奪われたかのように言い立てたりする馬鹿者が後を絶たない。

エセ同和や総会屋まがいのいかがわしい輩は、か弱い被害者のフリをしつつペシミスティックな言葉で国民を騙し、成長への熱意や活力を奪い取ろうとする。

『「増税反対論」は日本人を不幸にするだけだ~経済成長前提の社会モデルには限界』(1/28 東洋経済ONLINE)
https://toyokeizai.net/articles/-/261088

上記は、『幸福の増税論』を書いた慶応大学の井手英策教授へのインタビューをまとめたものだが、「成長モデルは幻想、増税が日本を救う」がモットーの井手氏らしく、支離滅裂な主張が満載だ。

まず、出だしの「実際は社会でリベラルの居場所がどんどんなくなっている。リベラルが自立した理論をつくらないといけない」という彼のセリフは嗤うべきポイントなのか?

TV・新聞・雑誌のみならず、ネットメディアまで見渡しても、リベラル以外の主張などゴミクズ程度の量しか見当たらない。
どこを見ても、構造改革だの、規制緩和だの、フリトレードだの、原発反対だの、国境や性差の撤廃だのとリベラルの大好物な話題が目白押しではないか。

リベラルの居場所は無くなるどころか、日々膨張し続けている。
彼は大学教授のくせに、新聞や雑誌にすら眼を通していないのか?

また、井手氏は、「各個人が銀行に預けた金で医療や教育、老後に備えるのではなく、税金を集め、それを社会保障に充てれば、貯蓄がなくても安心して生きていけます。そんな新しい社会モデルをつくりたい」、「成長を決める4つのファクターのうち、労働力人口、設備投資、労働生産性には期待できない。最後の希望は技術革新だが、これは起きるかどうか、誰にもわからない。わからないものに将来の安心を委ねるわけにはいかず、成長を前提としない社会モデルに変えなければならない」と述べ、消費税の大増税を財源とする高負担高福祉国家を理想とする、“弱者の救済ではなく、弱者を生まない社会”こそ理想だと騙っている。

彼が妄想する理想社会では、国民全員が消費増税に耐え、医療や介護、教育などのベーシックサービスを全員が享受する、つまり、「皆が受益者になる仕組み」さえ創れば、多数の国民から感涙を以って支持されるらしい。

井手氏の専門は財政社会学(何を研究してるのか意味不明)だそうだが、財政学者の連中は、得てして財政バランスを均衡させることに拘泥しすぎる。

彼らには、国富(生産力や供給能力、国民の労働スキル)や国民生活の向上のために財政を活用する発想がまったく欠如しており、ひたすら財政均衡を追い求め、供給力や需要力の養成を一段下に見る癖がある。

国家たるもの、通貨発行権という大権を有している以上、財政均衡なんてまったく気にする必要などないのだが、彼らの脳内はいまだに前近代的な金本位制に支配されており、徴税と歳出削減にばかり気を奪われている。

徴税も緊縮財政も、経済活動にとって負の影響しか与えぬから、彼らが口を開いても、景気の足を引っ張るネガティブワードしか出てこない。

井手氏は、福祉制度さえ充実させれば、国民が増税を呑むと思い込んでいるが、そうは問屋が卸さない。

高福祉を誇る理想社会のように語られるスウェーデンやデンマークですら、高すぎる税金や物価(移民厚遇も)を嫌う若者の海外流出が問題視されている。

また、福祉を構成する医療・介護・生活保護・教育といった分野は、日常生活に直結するものもあるが、特に医療や生活保護などは、利用する回数や頻度が低い“非日常的なイベントに関わるものだから、そうした費用を毎回の消費に上乗せされてペナルティーのごとく徴収されることに、国民は強い反発を抱くだろう。

国民が”もしもの時の備え“を重視するなら、生命保険への負担を厭わないはずだが、生命保険に関する長期データを確認すると、世帯加入率、保険金額、保険料年間支払い額のいずれも減少しており、「国民は高福祉社会のためなら増税や負担増を歓迎するはず」という彼の妄想には何の説得力もない。
【参照先】http://www.jili.or.jp/press/2018/pdf/h30_zenkoku.pdf

消費税の大増税を財源とする高福祉社会で、誰もが受益者になれるなんてのは、タチの悪い冗談でしかない。

大増税は消費の壊滅的減退をもたらし、生産活動には大ブレーキが掛かり、国民から富や雇用、所得を奪い去る。


失業率が街に溢れ、納税者が激減する社会では、福祉財源を捻出する消費活動が死滅を余儀なくされるから、高福祉社会の維持などできるはずがない。

大増税下の高負担社会がもたらすのは「皆が負担者にしかなれない不幸な仕組み」であり、その先に待つのは絶望と壊国でしかない。

福祉財源を賄うために国民に負担を課すなど、悲劇にヒロイズムを見いだしたがるシバキあげ論者特有の愚論であり、まともに取り合う必要はない。

誰もが受益者になる福祉分野をより充実させることは、国民生活向上に資する最重要課題だが、その財源を国民の負担に求めるのは愚策中の愚策と言える。

そんなものは、国民の共有財産である通貨の増刷で賄えばよい。

くだらぬ財源論に時間を費やすのではなく、充実させる福祉の中身をこそ論議すべきだ。

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