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2019年3月 7日 (木)

MMTに期待すること

MMT理論(現代貨幣論)を構築する基盤の一つに「内生的貨幣供給論」なるものがある。

これは、“需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論”と説明され、中央銀行がベースマネーの量を制御することでマネーストックの量を制御可能だという、いわゆる「外生的貨幣供給論」の対立概念だと位置づけられている。

これを信奉する論者によると、「内生的貨幣供給論」とは、銀行が民間に貸出を行った結果として預金(マネーストック)が創造される、つまり、銀行の貸出行為によって預金が生まれるという意味だそうだ。

一方、「外生的貨幣供給論」とは、中央銀行が売りオペ・買いオペや、準備預金量の調整を行うことにより銀行の貸出量をコントロールできる、つまり、中央銀行の意志でマネーストック量を制御できるということらしい。

なぜ、両者が対立概念にあるのかというと、“貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります”との説明がある。
【参照先】https://ameblo.jp/shingekinosyomin/entry-12442893865.html

つまり、MMT支持者によると、貨幣数量説や金融緩和万能説を唱えるリフレ派は外生的貨幣供給論に位置づけられ、内生的貨幣供給論を軸とするMMTとは真反対の立場にあるそうだ。
【参照先】http://shavetail2.hateblo.jp/entry/2019/02/17/100049

国債と準備金を両替しただけで空砲に終わった黒田バズーカ、実体なき経済成長が単なる統計偽装だったことがバレたアベノミクス…、これらを熱狂的に支持してきたリフレ派は、壮大な社会実験を経ての大失敗を認めようとせず、いまだに“アベノミクスで雇用激増‼”と強がってみせるが、負け試合という結果は変わらない。

醜態を晒すリフレ派と同属に見られたくないというMMT支持者のお気持ちはよく解かるが、経済の内外を区分するのに、銀行と民間が内部、中央銀行は外部という線引きは、いささか勇み足ではないか?

筆者は、リフレ派と貨幣負債論の貨幣観は対極にあるどころか、かなり近似していると思っている。

リフレ派が、行ったきりのカネ(財政政策)を嫌い、戻ってくるはずのカネ(金融緩和)に固執するのは、「貨幣=負債→むやみに放出できない存在」だと思っているからに違いない。

これに対して、“リフレ派は大規模な金融緩和政策を主張し、日銀による数百兆円規模の国債買取で金融市場に莫大な資金を放出したではないか?”との反論もあろう。

しかし、金市場に供給したのは“直接的に所得として使えるカネ”ではなく、“返済義務を伴う借りるためのカネ”だから、そんなものをいくら増やしても意味がなく、資金を放出したことにはならない。

リフレ派の連中の経済観は新自由主義との親和性が高く、国民所得を直接的に増やす政策(財政政策)への忌避感が強い。(財政政策を否定しないという彼らの言い訳は、まったく信用できない)

彼らの経済政策の主軸は、あくまで金融政策、つまり、行ったきりのワンウェイのカネ(所得や売上に直結するカネ)ではなく、貸借や債権債務で縛られリターンを前提とするカネ(融資や貸出金としてのカネ)を土台としている。

要は、「政府は余計なカネを使いたくない。期待インフレ率を引き上げるから、いま投資しないと先々損するよ。投融資に必要なカネは用意するけど、後は民間同士で稼いで利息を付けて返してね。間違っても政府に甘えようなんて考えないように」というわけだ。

ゆえに、リフレ派は財政政策を声高に訴えない(※時々、財政政策を口にするのは、金融政策がどん詰まりになって話の接ぎ穂に困ったときだけ…)し、政策の成果を国民所得の向上ではなく、税収増に結び付けて語りたがる。

さて、筆者が彼らの内生・外生の区分方法に違和感を覚えるのは次の点である。
①内外の線引き以前に、肝心の「政府」はどこに行ったのか?
②経済活動の内部に位置づける「コア・プレーヤー」は銀行と民間だけでよいのか?
③中央銀行と市中銀行との関係性を考慮すると、両者間に境界線を引く意味がまったく不明。単に、敗戦が確定したリフレ派との対立構造を演出したいがために恣意的な線引きをしただけではないか?
④貨幣が賃借から生まれるという貨幣供給論ばかりがクローズアップされるが、金融の役割は、本来、経済活動の資金供給をアシストする円滑剤でしかない。
⑤彼らの云う「内生」も「外生」も、貸借により貨幣を発生させるという金融論の域を出ておらず、こんな線引きに意味はあるのか?

MMT支持者の方々から、自分たちは貨幣供給論を論じているだけと反論がありそうだが、貨幣は負債や債務だけから生まれるわけではない。

現に、政府発行の硬貨が流通しているとおり、通貨発行権という大権を有する政府の意志で生み出すこともできるのだから、貨幣供給論を論じるに当たり、肝心かなめの「政府」を外すのはおかしい。

「貨幣的主権を持つ政府は貨幣の独占的な供給者であり、物理的な形であれ非物理的な形であれ任意の貨幣単位で貨幣の発行を行うことができる。そのため政府は将来の支払いに対して非制限的な支払い能力を有しており、さらに非制限的に他部門に資金を提供する能力を持っている。そのため、政府の債務超過による破綻は起こりえない。換言すれば、政府は常に支払うことが可能なのである(Wikipedia)」というMMTの根幹的主張を自ら汚すことにならないのか?

政府の貨幣製造・供給能力をこそこそ隠そうとせず、その活用をもっと堂々と訴えればよい。

国債発行という政府負債の拡大により、貨幣を実体経済に供給するのが、積極財政論の本筋であるのは間違いない。

だが、ほとんどの国民は、「国債=借金=将来世代へのツケ回し」と信じ込む緊縮主義者であり、国債増加は税負担増加を招くと怯え、“私たちの税金が~”と叫びながら、国債を一円でも減らそうと鬼の形相で財政支出を口汚く非難する。

ここで、「貨幣は負債です」論や「国債増加宿命論」で正面突破を図ろうとするなら敢えて止めないが、借金恐怖症に駆られた国民から悪質タックルを喰らって病院送りにされるだけだ。

“私たちの税金が~”という雑音が届かない財源を確保するためには、国債発行と並行し、政府による貨幣製造、つまり、政府紙幣の発行をもっと一般化させる必要がある。

現在の政府紙幣(硬貨)発行量は年間2,000億円ほどと、あまりにも少なすぎる。
まずは、これを20兆円くらいに拡大させ、財政政策の自由度を高めていくべきだ。

筆者は機能的財政論の立場から、MMTの政府の支払い能力無限論(=貨幣発行無限論)を支持している。

だが、MMTを支持する方々が、同じ文脈から、なぜか給付金拡大やベーシックインカムを敬遠し、あまりにも公共工事などのインフラ投資に偏った財政支出を主張する様を残念に思っている。

“政府は将来の支払いに対して非制限的な支払い能力を有している”のなら、公共工事か、給付金かといった択一論にこだわる理由などなかろう。
国民ニーズの強い政策なら、双方を天秤にかけて一方を排除する必要はない。

MMTを支持する方々には、政府の絶大なる貨幣供給能力を十分に活かした議論を期待したい。

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コメント

初めまして。

本エントリーの意見私も同意いたします。

私は、金融は国家国民主権が管理運営していかなければいけないと思っています。そしてその目的は、国家国民の繁栄永続の為と思います。

緊縮財政派、リフレ派、MMT派何れもその主権の外、つまりはグローバリズムを固持している集団としか思えません。

そのグローバリズムを隠蔽するために、不毛な論戦を仕掛け、結果国家国民の衰退を招くこととなるのでしょう。

Suraさん

コメントありがとうございます。

御指摘のとおり、財政政策を民間企業の発想で抑制したり、金融の民間主権に拘る連中は、新自由主義者に染まった緊縮主義者にカテゴライズすべきだと思います。

彼らにとって大事なのは、国民生活ではなく、貨幣価値や政治体制であり、それ故に貨幣の放出を嫌うのです。

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