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2019年3月18日 (月)

貨幣をツールと割り切る胆力

前々回のエントリーで、MMT(Modern Monetary Theory 現代金融理論)を支持するアメリカの経済学者が、財政赤字を悪とする周回遅れの古株学者を相手に奮闘している様子をご紹介した。

ご紹介したステファニー・ケルトン氏のようなMMT論者は、通貨発行権を盾にした政府の将来支払いに対する非制限的な支払い能力を明示したうえで、
①積極的な財政政策の実行(財政赤字への懸念払拭)
②財政支出の対象や費目の拡大(公共投資だけでなく社会保障的な給付金も)
をきちんと訴えており、この点を非常に好ましく思っている。

だが、MMT論者、特に国内の論者の多くは、いまだに、貨幣負債論や租税貨幣論といった、どうでもよい枝葉の部分への強いこだわりを捨てきれず、MMTが目指すべき経済政策や、その先にある適正な社会の在り方に関する考察がなおざりになっているのが残念でならぬ。

MMT論者は、自分たちの貨幣観はリフレ派とは違うと主張し、しきりに距離を取りたがるが、
・貨幣を負債視したがる(=野放図に増やせない)こと
・経済の起点を金融や負債の拡大に置きたがること
・政府から家計への直接給付をフリーランチと蔑視しがちなこと
・“カネか、雇用か”、“インフラか、ベーシックインカムか”という二者択一論を語りたがること
・政府紙幣よりも国債みたいな負債に頼りたがること
・財政支出拡大の話をハイパーインフレとセットで語りたがること
・心の奥底では、政府の非制限的な支払い能力に対する疑念を捨てきれないこと
・持説への反論に対するレスポンスが、「教科書を読め‼」しかないこと
・反論に対して具体的な回答を避け、逆に相手へ質問を返したがること(貨幣という負債を誰が、何を以って、何時までに返済すべきか、という簡単な質問への回答が、いまだに帰ってこない…)
などといった点から、MMTとリフレ派の経済観はかなり近似しているのではないか。

片や、国債増発による財政政策を訴え、片や、金融緩和万能論に固執する違いはあるものの、両者間にある、
・社会的弱者(いまや国民の大半がここに属するにもかかわらず)の救済に対する視線の冷たさ
・貨幣を負債の一種と捉え、その配布量に制限を掛けたがる点
・金融や負債の拡大を重視したがること(名称にも“金融”を使いたがるし…)
・経済基盤や国民生活の崩壊に対する危機感の甘さ
といった共通項を見るにつけ、せいぜいカツ丼とカツ煮定食くらいの違いしかないと思っている。

筆者は、MMTの根幹は、政府の非制限的支払い能力を活用した社会的課題のスピーディーな解決にあると考えている。

よって、「MMTは経済政策の是非を問うものではなく、現実を説明しているだけ」と責任回避の煙幕を張るのは無責任極まりないし、一般人には理解不能な貨幣負債論や租税貨幣論のような空疎な書生論などゴミくずでしかない。

経済的苦境に苦しむ国民の生活を一秒でも早く救い出すために何をすべきか、もっと真面目に考えてもらいたい。
くだらぬ貨幣負債論を唱える前にやるべきことがあるはずだ。

だいたい、以前にも指摘したが、MMT論者の貨幣負債論に関する説明はあまりにも雑すぎる。

「円は日本政府の借用書、つまり、貨幣は日本政府の負債。日本政府は借用書を書き、国民からモノやサービスを借りている」
「“誰かの資産=誰かの負債”という経済の大原則から、通貨は政府の負債でしかありえない」
「貨幣が負債の一種だと、ランドール・レイの教科書に書いてある」

こんな説明だけで、貨幣負債論が認められると思ったら考えが甘すぎる。

そもそも、国民は円を日本政府の借用書だなんて思っていない。

貨幣を、国内に存在するあらゆるモノやサービスと強制交換できる資産だと思っているからこそ喜んでそれを受け取り、欲しがるのであって、貨幣が政府の借用書だなんて言ったら、「国の借金を俺たちに押し付けるのか~」と逆ギレされるだけだ。

また、政府は発行した円を使い、国民や企業からモノやサービスを“買い取っている”のであって、“借りている”のではない。

公共事業や福祉事業によって、政府と民間経済主体との間に生じるのは、労働の提供と対価の支払いであって、賃借や債権・債務関係ではない。

MMT論者は、森羅万象の取引を賃借や債権・債務の視線で捉えたがるあまり、「誰かの資産=誰かの負債」論を貨幣にも援用できると思い込んでいるようだが、はっきり言って「誤用」であろう。

それが真であるのは、銀行の預貸金や政府の国債のような双方の間に債権・債務関係が成り立つ場合のみであり、モノやサービスの売り買いみたいにその場で決済・清算されてしまうものにまで経済の大原則とやらを被せるのは不適切だ。

“教科書に書いてあるから~”の類いに至っては、レベルが低すぎてコメントする気にもならない。
「本当に貨幣が負債なのか否か、自分の頭を使ってよく考えろ!」と言っておく。

MMT論者は、雇用保障プログラム(JGP)、つまり、政府や地方自治体による雇用創出事業を勧めており、これはこれでよい。
ただし、既存の地域おこし協力隊みたいな不安定かつ低賃金な短期雇用をいくら増やしても大した効果は生まないだろう。

ジョブトレーニング的な“雇用対策にきちんと取り組んでますよアピール”はもう要らない。
そんなものは、失職者に無理やり名刺を与えるための一時しのぎでしかなく、職務経歴をバージョンアップさせるのにクソの役にも立たず、失職者を正規雇用の座に就かせるための期間をいたずらに浪費するだけに終わる。

MMT論者がお嫌いなベーシックインカムにしても同じだが、MMTは政府の非制限的財政支出能力を謳う以上、財出の使い道をやたらと選別したがる悪い癖をいますぐに止めてもらいたい。

失業者対策を行うに当たり、おためごかしのJGPに逃げるのではなく、堂々と公務員の大増員に言及すべきではないか。

我が国の人口当たりの公務員数は他国より少ないし、民から公への人材流入によって、日ごろからお役所批判を繰り返す国民にお役所仕事を改革させるチャンスを与えることにもつながる。

また、公務員と民間とで人手の争奪戦を繰り広げることが、いまだに奴隷労働を探し回る民間経営者の意識を変える良いきっかけにもなるだろう。

筆者が他者の経済論を評価するに当たり重視するのは、「貨幣を経済拡大や国民生活向上、ひいては国富(生産力や技術力)増強のツールとして割り切って使う度量や胆力があるか否か」という点に尽きるが、貨幣負債論者は、リフレ派同様、その点の覚悟が十分ではないと感じている。

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