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2019年3月14日 (木)

財政赤字を気にするブードゥー教徒

筆者は、3/7にアップした記事『MMTに期待すること』(https://ameblo.jp/kobuta1205/page-2.html)にて、MMT論の支持者に対し、
①一般国民の支持を得られそうにない貨幣負債論と租税貨幣論は一旦横に置くべし
②そのうえで、MMTの根幹である“自国通貨発行権に基づく政府の非制限的な財政支出能力を活かした大胆かつ無選別の財政政策”を積極的に訴えるべき
と述べた。

下記のロイター記事によると、MMT支持者の経済学者が、財政赤字限界論に固執する御大級の学者たちを向こうに回し、財政赤字よりも社会的課題解決を優先すべしと訴え、奮闘している。

記事で紹介されたステファニー・ケルトン教授が、貨幣負債論や租税貨幣論にどの程度こだわっているかは知らぬが、「財政赤字なんて、社会的課題解決という大目標を前にすれば、取るに足らぬ些末事に過ぎない」という主張が、マスコミを通じて広く周知されることは非常に意義深い。

大多数の国民は「財政赤字=絶対悪」と盲目的に信じ込み、財政赤字がもたらす国民所得の増進、技術革新、産業発展、医療や福祉・教育の充実、貧困の根絶などといった莫大な社会的効用に気づくことなく、財政赤字を嫌悪し緊縮財政を受忍することにより、社会問題解決や構造改革のチャンスを自らゴミ箱に放り投げ続けてきた。

筆者は、MMTに関わる論争が「財政赤字は悪くない→“財政赤字=積極財政”は社会的重要課題解決につながる良薬だ」という常識が浸透するきっかけになることを願っている。

『「財政赤字は悪くない」、大統領選にらみ米国で経済学論争』(ロイター)
https://diamond.jp/articles/-/196615
「ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏とローレンス・サマーズ元米財務長官は過去3週間、ツイッターやテレビ、新聞のコラム欄を活用して、ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授に反論を重ねてきた。
 ケルトン教授は、政府予算や財政赤字は完全雇用やインフレを実現するために積極利用すべしという「現代金融理論(MMT)」の強固な提唱者で、2016年の前回大統領選ではバーニー・サンダース上院議員の顧問を務めた。
 ケルトン氏の主張に対し、クルーグマン氏は「支離滅裂」と一蹴し、サマーズ氏はワシントン・ポストのコラムで新たな「ブードゥー経済学(魔術のようで理論的に怪しいとの意味)だ」と批判した。(略)
これほどの発想転換は、平時なら思いもよらないだろう。(略)
ケルトン氏に至っては、政府ができるし、やるべきだと考える範囲はもっと広く、債券市場や外国為替市場が許さないことを地球を救う支出を抑制する理由に挙げるのは、かなり筋が悪いと主張する。(略)
 またケルトン氏は、米国の通貨発行権を完全雇用や温暖化対策の財源確保などの実現に活用すべきだと論じている(略)」

クルーグマンやサマーズらはケルトン氏をこき下ろすくせに、自分たちは、インフラ整備や教育・社会保障の拡大、雇用の確保と質の向上といったアメリカが抱える諸問題を、カネを使わずに完全かつスピーディーに解決できる方法を何ら示すことができない。
(一時、クルーグマンはリフレ派から積極財政派に転向したと言われたが、いまだに未熟なリフレ論から離れられないらしい…)

国民に重税を課し、カネを使わせないよう我慢を強いて捻出したカネを財源に福祉や教育、貧困、インフラ問題を解決できると本気で思っているのなら、彼らこそブードゥー経済学にも劣るジャンクと言えるだろう。

財政支出を経済発展や国民生活向上に活用しようとするケルトン氏の主張は、次のコラムに紹介されている。
『ステファニー・ケルトン「財政赤字は気にしなくていい」』
http://econdays.net/?p=9268

インタビュアーの質問に答える彼女の論をいくつかピックアップしてみる。

「ツイッターで民主党は1.5兆ドルでどんな健全な投資をするのかと聞かれました。こんなことができます。インフラ整備に6500億ドル、公立大学の授業料無償化に7500億ドル、プエルトリコに1000億ドル。あるいは、1.4兆ドルですべての未払い学生ローンの棒引き。または、社会保障拡大に1.2兆ドル。共和党がもうお金なんて必要ないお金持ちにただ同然に渡したがっている1.5兆ドルを、アメリカ国民に渡すのです」

「国の財政赤字があるという理由で憤慨して朝目覚めるひとはいません。彼らが怒っているのは、給与が上がらなくなったから、退職後が心配だから、そして子どもたちを学校に通わせ続けられるかどうか心配だからです」

「誰も経済がその可能性より低いパフォーマンスをすることを望みません。雇用できる限りの労働力や使える限りの資本の投入をして、経済がその可能性を完全に達成することを、みんな望んでいるのです。ひとびとが条件の悪い雇用のもとで働いたり失業者になったりしてもらいたくはないでしょう?完全雇用がほしいのです」

「MMTが何を主張しているかというと、アメリカのように自国通貨を発行できる国はギリシャのようにはけっしてならないということです。自国通貨を持つ国の政府は、請求書が払えなくなるような状況に陥ることはありません。アメリカ政府は売られているものは何でもアメリカドルで買うことができます」

「もし私がアメリカ議会で支出の許可権限を持っているとしたら、座ってこう言います:「インフラ整備に1.4兆ドル。どうやってやるかって?私がたった今、許可しました。それだけよ」って。政府の支出はセルフ・ファイナンスである(資金調達を自ら行っている)と私がいうのは、政府支出というのは私たちが車を買いに行くときのように資金をあらかじめ用意するわけではないという意味です。(略) 国会議員が、インフラ整備、教育、社会保障の拡大などの何らかの法案を提出します。すると法案の採決があります。例えば、戦争を取り上げてみましょう。「国防にお金を使います」、するとこの法案に各国会議員は賛成か反対の票を入れます。前もって資金調達を手配したりはしません。(略) 要は、議会が支出を許可すれば、お金は使われるということです」

「限界は現実の経済の中にあります。もし私がアメリカ政府なら、「すべての国民の健康保険、あらゆる分野の高等教育、そしてインフラ整備の法案を通したい」と言います。私たちにはもっと病院、大学、教師が必要ですし、改良された道路や橋も必要です。もし経済が完全雇用を達成していてもう雇用可能なひとが誰もいなくなったら、どうしたらよいでしょうか。限界は現実の経済の中に存在するのです」

彼女の主張を踏まえて、筆者が抱いた感想は、
①財政赤字や国債累積を心配するあまり、社会的諸課題解決を放置したままにするのは鈍物の証し
②通貨発行権の存在を認めておきながら、財政支出の行き先を選別したがるのは愚者の証し
というもので、管理通貨制度が一般化した現在において財政収支それ自体を議論することの愚かさを訴え、財政支出を国民の生活向上を妨げる諸問題根絶のためのツールとして積極的に活用しようとする彼女の経済観を高く評価する。

MMT論者が、貨幣負債論や租税貨幣論という子供じみた言葉遊びに躓くことなく、財政赤字にまつわる妄想や幻想の類いを払拭する論を張ることは大いに歓迎したい。

世界一の経済大国であるアメリカとて、貧困や失業、質の悪い雇用、医療・福祉レベルの低下、インフラの老朽化といった社会的課題と縁を切ることができず、世界トップの経済大国に暮らす国民という地位にふさわしい生活を送れるものは、3億人を超える国民のうちごく僅かだ。

上記インタビューの中でケルトン氏は、財政支出の限界は赤字額ではなく、支出されたカネを付加価値のあるモノに変えるために欠かせない労働力・資材・資源などといった生産力や供給力にあると主張する。

これは、天然資源や一次資源を国民の生活向上に資する物品やサービスに変換する「生産力・供給力・技術力」こそが最重要の国富であると主張する筆者の考えとも一致する。

地下に溜まったガスや大海を泳ぐマグロは、それらを家庭のコンロの火力に変え、美味しい寿司ネタに加工する技術があってこそ、初めて“資源”と言えるのだ。

地球上に存在する気体や魚類を、生活を潤す資源に変換する技術を維持し、磨き続けるためには、人々の意欲を刺激し、そうした行為に没頭させる動機や報酬が必要になる。
それこそがカネの果たすべき役割なのだ。

カネなんてものは国民や政府の意志により制限なく造り出せるツールに過ぎない。
財政赤字とかPBを心配するあまり、国民に重税を課してカネを取り上げ、実体経済に放出するカネの量を絞ってしまうと、企業や国民の収入が減り、生産力や技術力は減退を余儀なくされ、国富は腐敗へと進む。

国富たる生産力や技術力を失った国家の国民は、いったい何を支えに生活を維持できるというのか…

筆者が国債増発や政府紙幣発行を財源とする積極財政論を口うるさく訴え続けてきた真意はここにある。

国民の生活を最終的に支え得るのは国民自身しかいない。
国民自身が、貧困や失業により、就業を通じてしか得られない技術や労働に対する前向きな意欲を失ってしまえば、国家はおろか、社会生活を支える基盤は瞬く間に崩壊の危機を迎えるだろう。

“カネが惜しい、無駄遣いは悪、国債は将来世代へのツケ送り、給付金は怠け者を増やすだけ”云々と愚痴を吐き続け、財政赤字を攻撃し、財出の行く先を選別したがる大バカ者たちは、真の国富、最凶の国難とは何たるかをまったく理解できないブードゥー教徒でしかあるまい。

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